人生チャレンジ20000km~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

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こんなにおかしい!ニッポンの鉄道政策
私たちは根室線をなくしてはならないと考えます
国は今こそ貨物列車迂回対策を!

急速に変貌するTOKYOに思うこと

2015-10-24 22:23:28 | その他社会・時事
所用があってこの2日間、東京に来ている。明日25日、東京の「団結まつり」でJR北海道問題の報告を行うためだ。

ホテルにチェックインする傍ら、明日の報告用レジュメ(資料)をコピーするため、近くのコンビニに出向く。夜9時過ぎ、夕食を食べていなかったため空腹を覚えた私は、電車で新橋まで行き、駅近くの比較的空いているラーメン屋に入った。すぐに、東南アジア系とみられる女性従業員2人が注文を取りに来た。私が念のため、メニューを指さして注文すると、厨房に注文を伝えに行く。

注文を伝え終わると、2人の従業員は母国語で私語を始めた。何を言っているのはまったくわからないが、少なくとも中国語でなかったことは確かだ。タガログ語(フィリピンの公用語)か、それともインドネシア語か、タイ語か。

注文していたラーメンが出てきて、食べ始めた頃、私が入店したのと反対側の自動ドアが開き、男性4人組が入ってきた。私のすぐ左のカウンター席にちょうど4人分の空席があり、彼らは間違いなくそこに座るだろうと思われた。4人横並びで座れないと気の毒だと思った私が、すぐ左隣の椅子の上に置いていた自分の鞄を移動させると、彼らのひとりに「謝謝」と中国語で礼を言われた。

私は、「どういたしまして」を中国語では何と言うのだろうと思ったが、そんなこととっさにわかるはずもない。軽い会釈をすると、伝わったようだった。

再び、東南アジア系の女性従業員2人が出てきて、注文を取り始める。私に礼を言った中国人の労働者風の男性がメニューをやはり指さすと、言葉の通じない女性従業員が厨房に注文を伝えに行く。

その風景を見ながら、私は一瞬、ここはどこの国なのだろう、と軽い衝撃を受けた。実は今年8月にも東京に出かけているが、そのときは夜の宴会もずっと仲間と一緒で、こうしてひとりでふらりと飲食店に出向いたのはずいぶん久しぶりだ。とはいえ、ブランクはわずか1年足らず。わずかの期間に、東京、いやTOKYOの夜の風景は急激に変貌したような気がする。

東京都民として、毎日、少しずつ移り変わる風景を「定点観測」している人々にとっては、急激な変化とは感じられないだろう。多くの国籍、人種の人々が交わることを私は悪いことだとは思わない。日本に今、一番必要とされながら最も欠けているのは多様性で、彼らはそれを満たしてくれるからだ。だが、これまでに比べあまりに変化のスピードが急すぎる。

これは「少子化なのに移民反対」姿勢を続けるまま、手遅れを迎えてしまった日本にとって、受け入れがたくとも受け入れざるを得ない現実的変化のひとつだろう。どんなにネトウヨ諸君が拒んだとしても、単純労働、低賃金労働の分野からじわじわと外国人労働者が進出してきている。ここ最近の円安・ドル高は円建て給与を母国に送金した際、以前より目減りすることを意味しているから、外国人労働者の大量洪水という流れには為替によって一定の歯止めがかかるかもしれない。だが、家族ともども日本に移住して働く外国籍労働者にもはや為替は関係ないし、円建て給与が目減りしたとしても、例えば母国の失業率が70~80%でろくな就職先もないような外国籍労働者にとって、出稼ぎ先としての日本はまだまだ有力な選択肢となり得るからだ。

急激に進む少子化、高齢化、抗うことのできない必然としての外国籍労働者の進出。そう遠くない将来、病院のベッドのそばで最期の私を看取るのは日本人ではないかもしれない――急激に変貌を遂げるTOKYOを見て、私はふと、そんなことを思った。別に私はそれでもかまわない。「朝鮮人を叩き出せ」などとヘイトスピーチを繰り返す偏狭な日本人に看取られるより幸せであることは間違いないからだ。

むしろ、当ブログの危惧はそれとはまったく別のところにある。資料コピーで利用したコンビニで翌日の昼食用の弁当を買った際、「温めますか」と尋ねられた私は、明日の昼食用ということもあって「温めなくていい」と答えた。だが、日本人店員は条件反射のように弁当をレンジに入れていた。「温めますか」と尋ねることもマニュアル通りなら、「弁当を買う客は温めるに決まっている」という思い込みもまたマニュアル通りなのだろう。

仕事中の私語が悪いとは私は思わない。労働者にとって私語こそ仲間意識を芽生えさせ、コミュニケーションを高めるからだ。マニュアル通りも別に悪いとは思わない。定型的な仕事ではそれも重要なことだからだ。だが、言葉の壁の中、メニューを指さす客の注文を正確に厨房に伝えるアジア人のラーメン店員と、言葉の壁などないはずなのに客の言っていることも理解できていない日本人コンビニ店員との対照的な落差が私の印象に残った。日本人とりわけ若者にとっての真の苦難は案外、こんなところから始まるのかもしれないという気がした。こんな状況で「お・も・て・な・し」なんて、筋の悪いジョークとしか思えない。

コミュニケーション不全に陥った若者の中から、外国人への憎悪を募らせる者が現れ、移民排斥を煽る右翼への熱狂的な支持に結びつく――少し前、ヨーロッパで起きたような出来事が、日本で繰り返されることのないようにしなければならない。

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