ここ最近、ブログの記事を書く気にまったくなれない。仕事は年度替わりの繁忙期をやっと脱しつつあるし、この間、「保育園落ちた。日本死ね!」ブログがきっかけで保育所問題がクローズアップされるということは確かにあった。
しかし、もはやブログごときではどうにもならないほど、安倍1強体制は安泰で、揺るぎないような気がする。こんなところで無駄にエネルギーを浪費するより、ここしばらくは自分の得意分野(公共交通問題)に集中し、情勢が変わるのを待つ方が得策のように思う。労働組合など大きな組織に身を置いて、与えられた任務を全うしながら、ここ最近は日高線など北海道内ローカル線問題に集中している。
政治的には我慢の時だ。あきらめてはならないが、早急に成果を求めず、将来に向けて地道に種をまく時期だと思う。種をまき、水をやり続けていれば、暖かくなったときいっせいに花が咲くように、政治情勢が大きく開けると信じて。
そんなどうしようもない政治情勢だが、55年体制が崩壊した93年以降、ほぼ四半世紀にわたって繰り広げられてきた、野党の「離合集散」の時代がようやく終わり、不安定だった日本の政局に安定期が訪れそうな気が、最近してきた。中学生の時に政治に目覚めて以降、30年間、政治をウォッチしてきた皮膚感覚で、確たる根拠はないが、皮膚感覚というのは案外侮れない。
というのも、今年3月に、民主党と維新の党が合併し、民進党となったが、ここで与党に反対することを主な仕事にする主要な「反対野党」「抵抗野党」の数が、民進、共産、社民、生活と4つになったからだ。
ここで、当ブログ管理人が想起したのが、55年体制当時も主要な反対野党が社会、公明、共産、民社の4つだったという事実である。当時と違うのは、公明党が野党から与党に変わったこと、野党第2党に浮上した共産党の発言力が増し、55年体制当時のように野党間協議の場から共産党を閉め出すことができなくなった点だろう。55年体制当時の4野党が、最も少数だった民社党でも常時、2桁の議席を持っていたのに対し、現在の野党3党以下――社民、生活両党――が1桁の議席数にあえいでいる点も、違いと言えば違いだ。こうした政党を「主要」野党と表現することには、さすがの当ブログにも抵抗がある。
(なお、日本を元気にする会、日本のこころを大切にする党(旧次世代の党)、新党改革の右派系3党は、与党と協力的であり、当ブログは野党と定義していない。政権を担当していないにもかかわらず、内閣不信任決議案に反対するような政党は、ヨーロッパ諸国であれば「閣外協力」として与党の一員とみなされることが多いという事情も参考にしている。)
55年体制は、初めは自社2大政党体制として出発したが、共産党が勢力を伸ばし、公明政治連盟(後、公明党に改称)も結成され国会進出。さらに、社会党の左派支配に不満を持った右派の一部が民主社会党(後、民社党に改称)を結成したことで、60年代終わりには4野党体制が固まる。この「与党1、野党4」の体制は、宮沢内閣不信任案に賛成した自民党議員の一部が離党、新生党を結成して細川非自民連立政権を誕生させる93年まで、実に四半世紀にわたって続くのである。
元気会、日本のこころ、改革の右派3党は影響力を失いつつあり、今後は自民復党の流れが強まって徐々に「溶けて」いくと思われる。民進党発足以降の日本の政治状況は、与党側の自民・公明をひとつの塊と見ると、「与党1、野党4」となり、最も政局が安定していた55年体制後期とそっくりだ。この時代、政権交代はおろか、野党間でも、わずかに共産党と民社党の順位が時折、総選挙により入れ替わる程度でほとんど変化がなく、政局は長期にわたって安定していた。こうしたことから考えると、四半世紀にわたって繰り広げられ、なにひとつ成果を生み出さなかった93年以降の野党の「離合集散」はこれで一段落し、ここしばらくは安定期に入りそうに思われるのだ。
日本の政局が安定するために必要な「反対野党」の数は、なぜ4なのか。3や5ではなぜダメなのか。当ブログにも明確な答えはない。ただ、長年、日本政治をウォッチし、労働運動や市民活動の現場に身を置いてきたひとりとして、これもやはり皮膚感覚で説明できるような気がする。
来る参院選に向けて、4野党がすべての1人区で統一候補を立てることに合意したが、ここに至るまでの道のりは決して平坦ではなかった。産経新聞など「ご都合主義丸出し」の右派メディア(そして自民党も)は、野党がまとまると「野合」と批判し、バラバラに別れて戦うと「自民1強体制は、バラバラの野党に責任がある」などと批判する。立っても座っても寝ていても、悪いのは常に野党で、自民党は常に正しいという、産経のような「便所の落書きメディア」は放置するとしよう。
労働運動や市民活動などの現場で、「自民党政治を変えたいと思っているなら、意見の違いは脇に置いて、とにかくまとまらなければ勝てない」と、まとまることを訴える人がいる一方、「意見が違うのになぜまとまらなければならないのか」「自分を曲げてまで勝たなくていい。政治的に正しくあることの方が重要だ」と主張する人もいる。
当ブログの考えは後者に近い。意見の違う者を寄せ集めてできた民主党政権が「党内抗争」であっけなく崩壊した経験から見ても、意見が違う者は別々に闘うのが本来のあり方だ。勝ち負けのために誰かが妥協を強いられなければならないのはおかしいし、日本では左翼・リベラルには敗北の歴史しかないから、(さすがに「負けてもいい」とまでは思わないが)勝つこと自体は最優先目標でなくていい。正しいことをどれだけ真摯に主張できるかが大事であり、自分を曲げてまで勝たなくてもいいと思っている。
ちなみに、当ブログ管理人は、20歳で選挙権を得て以来、選挙は一度も棄権したことがなく、総務省・中央選挙管理会からは表彰されてもいいくらいだが、一方で、「自分の投票した候補者がこれまで一度も当選したことがない」という、輝かしい敗北の歴史を持っている。
小異を捨ててもまとまるべきか、それぞれが切磋琢磨しながら競い合い、己の力量を磨くことに努めるべきかは古くて新しい問題だ。本来ならこんな弱小ブログの手には余るし、この問題を徹底的に突き詰めていくなら、おそらく本が1冊(場合によっては数冊)書ける。「まとまらなければ自民党には勝てない」は文句なく正しいし、「意見が違うからこそ別の政党に別れているのであり、意見の違う者は別々にやるべきだ」というのもおそらく正しい。その時の政治状況によりどちらが優勢になるかが決まるのだ。
その「政治状況」で言えば、今は反自民の全勢力が、小異はとりあえず脇に置いてまとまるときだろう。改憲勢力の3分の2確保を阻止しなければ、日本国憲法施行以来積み上げてきたすべてのものが一瞬にして壊される、政治的自由がなくなれば自分たちの闘いどころではなくなる、という危機感で全分野の運動団体が一致しており、そうした共通認識が野党共闘を生み出したと言える(その意味で、今回の野党共闘は、自民党や、「自民党機関紙」産経が言うほどの野合には当たらない)。
ただ、こうした日本の政治状況から考えると、野党共闘はおそらく「一夜限りの夢」だろう。改憲阻止という目標が達成されたら、また各運動団体はそれぞれ自分の「持ち場」に戻っていき、バラバラになる。「自民党を倒すために、まとまらなくていいのか」「自分を曲げてまで勝たなくていい。政治的に正しくあることの方が重要だ」――2つの勢力の闘いは今後も続くだろう。
「自民党を倒すために、まとまらなければならない」と考える勢力がいる。「自分に嘘をつき、誰かに妥協してまで勝つよりも、政治的に正しくあることの方が重要」と考える勢力もいる。前者は民進党などを選ぶことができるし、後者も遠慮なく日本共産党を選ぶことができる。
そして、これら2つの勢力が、平時はそれぞれ別々に活動し、今回のような「危機」に陥ったときは、立場の違いを超えて共闘する。2つの勢力のどちらも納得させることができる、ベストのあり方だろう。2つの勢力が反自民という目標を共有しながら、共倒れに陥らず、うまく棲み分けできるために、最も適切な野党の数――それがおそらく、日本では4なのだと考えると、納得がいく。
かくして、離合集散を繰り返してきた野党は4つに収斂した。収まるところに収まったといえる。当ブログの皮膚感覚が正しければ、ここで野党の離合集散の動きは止まり、安定局面に入るだろう。ただしそれは、かつてと同じ形での安定である。万年与党と万年野党。強行採決する与党に、「反対、反対」と叫ぶ野党――第2次55年体制は完全に確立した。
「与党1、野党4」体制が四半世紀続き、それが崩壊した後の「離合集散の時代」も四半世紀続いた。概ね四半世紀が日本政界の変化のフェーズだとすれば、次に政権交代が起こるのは、早くても四半世紀後だろう(安倍政権が発足した2012年を起点とすれば、2037年頃になる)。自民党という「優位政党」がソ連共産党のような形で自壊しない限り、もしかすると永遠に自民1党支配が続くかもしれない。
ちなみに、ソ連共産党の支配期間は1917~1991年までの74年間だった。自民党は、55年に結党され、昨年が60周年だった。その間、政権を手放したのは、細川・羽田政権の1年と、民主党政権の3年3ヶ月間だけ。その支配期間は56年間に及んでおり、あと18年、自民党政権が続いたら、自民党の支配期間はソ連共産党より長くなる。そんなことがあるわけがないと思っていたが、昨年あたりから、もしかすると……という可能性が頭をかすめるようになった。もちろん、先進国でこれだけの長期1党支配は例がないが、そんなことを言っても仕方ないと、最近は達観している。どうせ自民1党支配が今後も避けられないのなら、できるだけ自民党の力を削ぐとともに、できるだけ自民党をうまく使い、自分たちの要求を実現するにはどうするべきかを真剣に考えるときだろう。
当ブログは、公共交通問題を巡っては、もう国交省は完全に当事者能力を失っていると思っている。今後は政治対策に本腰を入れなければならないが、その時、自民党は有力な選択肢になる。そもそも自民党議員らは口を開けば「民主主義は多数決なのだから、決まった以上、反対していた人たちも従うべきだ」と意味のない恫喝をしてくる。それならこちらにも言い分がある。自民党議員たちは、当選した以上、国民全体の代表であり、自民党支持者の代表ではないのだから、自分に投票しなかった人たちの意見も聴くべきである。政策立案~討議の段階で、「投票してくれた人たち以外の意見も含めて真摯に聴き、いい提案があれば取り入れる」という過程が保障されたとき、初めて「多数決に従え」と言う権利が生まれる。それが権利と義務が表裏一体の近代国家の原則である。自分には甘く、他人の権利は踏みにじって恥じないような連中に「国民全体の奉仕者」たる資格はない――こういうときだからこそ、正論を主張して本エントリの結びに代えたい。