(この記事は、当ブログ管理人が「レイバーネット日本」に寄稿した内容をそのまま転載したものです。)
能登半島地震とともに全国の正月気分を打ち砕いた1月2日、羽田空港でのJAL516便と海上保安庁機の衝突事故。安全問題研究会はすでに、第1報記事「羽田衝突事故は羽田空港の強引な過密化による人災だ」(1月8日付け)、続報記事「航空機数は右肩上がり、管制官数は右肩下がり~日本の空を危険にさらした国交省の責任を追及せよ!」(1月9日付け)と相次いで本欄で報じてきた。
ここ最近は大手メディアでも次第に報道量が減ってきているが、この事故の背景にはまだまだ触れなければならないいくつもの「闇」がある。両記事を見た人から私に寄せられた「羽田新ルート問題と今回の事故の間に関係があるのか」もそのひとつだ。
<写真=都心上空を低空飛行するJAL機(東京新聞から)>
●観光と五輪のため強行された新ルート
羽田新ルートは、新型コロナ禍の2020年3月に実施が強行された都心上空を飛ぶ新ルートである。旧羽田空港の騒音・振動に苦しんできた地元では、1973年、東京都大田区議会が「安全と快適な生活を確保できない限り空港は撤去する」と決議。運輸省は羽田空港を現在の沖合に移転するとともに、危険な都心を飛ぶルートを避けるため、羽田空港に離発着する航空機はすべて南側の東京湾から入り、また東京湾に出るという運用ルールを維持してきた。1978年の成田開港以来、国内線は羽田、国際線は成田という棲み分けもできた。
それが変わったのは、2010年代に入り羽田空港の再国際化の方針が打ち出されてからだ。ほぼ時を同じくして、インバウンド(海外からの日本旅行客)が大幅に増え始める。2011年に622万人だった訪日外国人旅行者数は右肩上がりに増えて2015年には1974万人となり、海外旅行する日本人数(1621万人)を上回る。2016年には2000万人を突破、コロナ禍直前の2019年には3188万人まで増えるに至った。
羽田国際化が本格化した2014年、国交省は羽田空港機能強化のための増便計画を発表。ここで初めて新ルート案が公表される。羽田沖合移転時の約束を一方的に破り、北側から羽田空港に向かう新ルート案は、埼玉・東京両都県境で上空1000mの高度から、新宿区上空では500m、港区上空では300mまで高度を下げるというものだ。東京スカイツリーはもちろん、東京タワーよりも低い高度をジェット旅客機が飛行するという、それまでの常識を覆すものになっていた。新宿区・港区・渋谷区などの上空で著しい騒音・振動の発生は避けられず、多くの都民に犠牲を強いる理不尽な新ルート案だった。
航空機の飛行ルートに設けられている制限を外せば発着回数を増やせることは航空専門家でなくてもわかる単純な論理だ。新ルートは国交省所管の財団法人「運輸政策研究機構」の研究者らが2009年に発表したものが「原案」とされる。だが、住民合意形成へのハードルの高さを理由に、多くの国交省関係者も当初、実現可能だとは考えていなかった。
だが、2014年、事態は大きく変わる。羽田新ルート問題が「官邸案件」になったからだ。「本当にできないのか」と官邸官僚が国交省上層部に強く迫ったという。複数の国交省関係者は「安倍政権は成田よりも羽田重視。官邸に逆らえば、飛ばされるからノーとは言えない」と証言する。高級官僚人事を一元的に管理する内閣人事局の権限を背景に国交省をねじ伏せた安倍首相(当時)は2019年1月、通常国会での施政方針演説で「東京五輪が行われる2020年に外国人観光客4000万人を実現する」とぶち上げた。
こうした危険な新ルート案が出てきた背景には、2013年に招致が決定した東京五輪の他に、激しくなる一方の国際競争もある。近年、アジアでは韓国・仁川(インチョン)空港やシンガポール空港が国際間のハブ(拠点)空港として存在感を増していた。日本の各空港はアジア各国の空港との競争に大きく出遅れており、このままではインバウンドを軸とした「観光立国」に支障を来してしまうという焦りも政府にはあった。東京五輪を口実に、予算などのリソース(資源)を羽田に集中的に配分することを通じて、先を走っているアジアのハブ空港に追いつき、追い越すとのかけ声の下、政府は、2020年にインバウンド数を4000万人に増やし、2030年には6000万人にするという「観光立国政策」を掲げるに至った。
6000万人といえば、コロナ禍直前の2019年のほぼ倍であり、2800万人もの上積みが必要となる。目標まで11年の猶予があるとはいえ、コロナ前のペース(年200万人増)を維持したとしても11年で2200万人の増にしかならない。達成できるかどうか不透明な目標設定といえる。
羽田新ルート実施によって、発着回数はどの程度増えるのか。国交省は国際線で年間6万回から9.9万回へ、3.9万回の増と見積もっている。羽田の年間発着枠数は約49万であり、約9%の増加に当たる。だが、ちょうど新ルート導入のタイミングをコロナ禍が襲った。緊急事態宣言が出され、航空機数はかつてないほど大幅に減少した。「3月29日から4月4日までの1週間で、前年同月と比べまして、国際旅客便は、羽田空港はマイナス81%でございます」--2020年4月6日の衆院決算委員会で、コロナ禍による航空機の減少率を問う松原仁衆院議員(無所属)に対し、和田浩一・国交省航空局長が答えた内容は驚くべきものだった。この状況が向こう1年続くなら、国際線発着回数は6万回の81%なので、年に約4.9万回も減る計算になる。羽田新ルートを実施する必要などみじんもない数字が示された。だが、結局は官邸と国交省のメンツのためだけに、新ルートは予定通り強行された。
2023年5月の連休明けをもって、新型コロナの感染症法上の位置づけが2類から、通常のインフルエンザ等と同じ5類に変更された。感染力は依然として強いものの、社会生活を通常に戻すべきという世間のムードに押された面もある。こうした経過をたどり、迎えた2024年1月2日は、社会生活が通常に戻って以降初めて経験する年末年始Uターンのピーク日に当たっていた。コロナ禍で数年間、少ない回数で推移してきた離発着が急に通常ベースに戻り、そこにコロナ禍で強行された新ルートによる1割近い発着回数の増が加わる。この状況を右肩下がりの定員削減で迎えなければならなかった航空管制官の現場の苦労と混乱ぶりが見える。これでもなお、事故が羽田新ルートと無関係だったと考える人は、ほとんどいないのではないだろうか。
●JAL「初のCA出身女性社長」を手放しで喜んでいいのか?
事故の傷も癒えないJALは、1月17日、鳥取三津子専務を4月1日付で社長に昇格させる人事を発表した。女性、CA(キャビンアテンダント=客室乗務員)出身、旧東亜国内航空(JAS=日本エアシステムに改名後、JALに統合)採用者の社長就任はいずれもJALとして初めてであり、驚きと若干の新鮮さをもって受け止められた。「女性活用」の象徴的人事として歓迎する向きもあるようだが、手放しで喜んでいいものなのか。
鳥取氏に関しては、ドア数に合わせて配置されることになっていた客室乗務員の人数を「削減」したことがコスト節減として評価され、社長昇格につながったとする報道もすでに出ている。2010年年末、165人の労働者が解雇されたJAL争議に関しては、会社側との和解を選んだ労働組合(CCU=日本航空キャビンクルーユニオン)に対し、和解せず闘いを続行することを選んだJHU(JAL被解雇者労働組合)のようにさまざまな方針がある。だが、ドア数に応じた客室乗務員数を維持すべきとの考えでは双方が一致している。これに対する回答が鳥取氏の社長人事だとするなら、会社側の姿勢は「目先の刷新感を出したいだけ」だとのそしりを免れないだろう。
今回、幸いにも死者ゼロに終わることができたのは安全のため厳しく会社を監視し、対峙してきた現場の努力があったからだということを改めて痛感させられる。来年(2025年)はいよいよ「御巣鷹事故」から40年の節目を迎える。当研究会は引き続き、会社の姿勢を厳しく監視していきたいと考えている。
衝撃的な事故からまもなく1ヶ月。「羽田空港衝突事故 追撃」シリーズ、次回(第4回)では、羽田新ルートの裏に隠された「ある国交官僚の人生」にスポットを当て、この事故とその背景にある航空行政を読み解く。(続く)
・第1報記事「羽田衝突事故は羽田空港の強引な過密化による人災だ」(1月8日付け)
・第2報記事「航空機数は右肩上がり、管制官数は右肩下がり~日本の空を危険にさらした国交省の責任を追及せよ!」(1月9日付け)
・羽田空港でのJAL機と海保機の衝突事故について(JHU=JAL被解雇者労働組合の見解)
<参考資料・文献>
・訪日外国人旅行者数・出国日本人数の推移(観光庁)
・羽田新ルート 「逆らえば飛ばされる」国交省を押し切った官邸(2020.9.8付け「東京新聞」)
この他、当記事執筆にあたっては「羽田空港増便問題を考える会」のチラシ・資料を参考にしました。この資料がなければ記事執筆は不可能だったと思います。ここに記して感謝します。
(取材・文責:黒鉄好)
能登半島地震とともに全国の正月気分を打ち砕いた1月2日、羽田空港でのJAL516便と海上保安庁機の衝突事故。安全問題研究会はすでに、第1報記事「羽田衝突事故は羽田空港の強引な過密化による人災だ」(1月8日付け)、続報記事「航空機数は右肩上がり、管制官数は右肩下がり~日本の空を危険にさらした国交省の責任を追及せよ!」(1月9日付け)と相次いで本欄で報じてきた。
ここ最近は大手メディアでも次第に報道量が減ってきているが、この事故の背景にはまだまだ触れなければならないいくつもの「闇」がある。両記事を見た人から私に寄せられた「羽田新ルート問題と今回の事故の間に関係があるのか」もそのひとつだ。
<写真=都心上空を低空飛行するJAL機(東京新聞から)>
●観光と五輪のため強行された新ルート
羽田新ルートは、新型コロナ禍の2020年3月に実施が強行された都心上空を飛ぶ新ルートである。旧羽田空港の騒音・振動に苦しんできた地元では、1973年、東京都大田区議会が「安全と快適な生活を確保できない限り空港は撤去する」と決議。運輸省は羽田空港を現在の沖合に移転するとともに、危険な都心を飛ぶルートを避けるため、羽田空港に離発着する航空機はすべて南側の東京湾から入り、また東京湾に出るという運用ルールを維持してきた。1978年の成田開港以来、国内線は羽田、国際線は成田という棲み分けもできた。
それが変わったのは、2010年代に入り羽田空港の再国際化の方針が打ち出されてからだ。ほぼ時を同じくして、インバウンド(海外からの日本旅行客)が大幅に増え始める。2011年に622万人だった訪日外国人旅行者数は右肩上がりに増えて2015年には1974万人となり、海外旅行する日本人数(1621万人)を上回る。2016年には2000万人を突破、コロナ禍直前の2019年には3188万人まで増えるに至った。
羽田国際化が本格化した2014年、国交省は羽田空港機能強化のための増便計画を発表。ここで初めて新ルート案が公表される。羽田沖合移転時の約束を一方的に破り、北側から羽田空港に向かう新ルート案は、埼玉・東京両都県境で上空1000mの高度から、新宿区上空では500m、港区上空では300mまで高度を下げるというものだ。東京スカイツリーはもちろん、東京タワーよりも低い高度をジェット旅客機が飛行するという、それまでの常識を覆すものになっていた。新宿区・港区・渋谷区などの上空で著しい騒音・振動の発生は避けられず、多くの都民に犠牲を強いる理不尽な新ルート案だった。
航空機の飛行ルートに設けられている制限を外せば発着回数を増やせることは航空専門家でなくてもわかる単純な論理だ。新ルートは国交省所管の財団法人「運輸政策研究機構」の研究者らが2009年に発表したものが「原案」とされる。だが、住民合意形成へのハードルの高さを理由に、多くの国交省関係者も当初、実現可能だとは考えていなかった。
だが、2014年、事態は大きく変わる。羽田新ルート問題が「官邸案件」になったからだ。「本当にできないのか」と官邸官僚が国交省上層部に強く迫ったという。複数の国交省関係者は「安倍政権は成田よりも羽田重視。官邸に逆らえば、飛ばされるからノーとは言えない」と証言する。高級官僚人事を一元的に管理する内閣人事局の権限を背景に国交省をねじ伏せた安倍首相(当時)は2019年1月、通常国会での施政方針演説で「東京五輪が行われる2020年に外国人観光客4000万人を実現する」とぶち上げた。
こうした危険な新ルート案が出てきた背景には、2013年に招致が決定した東京五輪の他に、激しくなる一方の国際競争もある。近年、アジアでは韓国・仁川(インチョン)空港やシンガポール空港が国際間のハブ(拠点)空港として存在感を増していた。日本の各空港はアジア各国の空港との競争に大きく出遅れており、このままではインバウンドを軸とした「観光立国」に支障を来してしまうという焦りも政府にはあった。東京五輪を口実に、予算などのリソース(資源)を羽田に集中的に配分することを通じて、先を走っているアジアのハブ空港に追いつき、追い越すとのかけ声の下、政府は、2020年にインバウンド数を4000万人に増やし、2030年には6000万人にするという「観光立国政策」を掲げるに至った。
6000万人といえば、コロナ禍直前の2019年のほぼ倍であり、2800万人もの上積みが必要となる。目標まで11年の猶予があるとはいえ、コロナ前のペース(年200万人増)を維持したとしても11年で2200万人の増にしかならない。達成できるかどうか不透明な目標設定といえる。
羽田新ルート実施によって、発着回数はどの程度増えるのか。国交省は国際線で年間6万回から9.9万回へ、3.9万回の増と見積もっている。羽田の年間発着枠数は約49万であり、約9%の増加に当たる。だが、ちょうど新ルート導入のタイミングをコロナ禍が襲った。緊急事態宣言が出され、航空機数はかつてないほど大幅に減少した。「3月29日から4月4日までの1週間で、前年同月と比べまして、国際旅客便は、羽田空港はマイナス81%でございます」--2020年4月6日の衆院決算委員会で、コロナ禍による航空機の減少率を問う松原仁衆院議員(無所属)に対し、和田浩一・国交省航空局長が答えた内容は驚くべきものだった。この状況が向こう1年続くなら、国際線発着回数は6万回の81%なので、年に約4.9万回も減る計算になる。羽田新ルートを実施する必要などみじんもない数字が示された。だが、結局は官邸と国交省のメンツのためだけに、新ルートは予定通り強行された。
2023年5月の連休明けをもって、新型コロナの感染症法上の位置づけが2類から、通常のインフルエンザ等と同じ5類に変更された。感染力は依然として強いものの、社会生活を通常に戻すべきという世間のムードに押された面もある。こうした経過をたどり、迎えた2024年1月2日は、社会生活が通常に戻って以降初めて経験する年末年始Uターンのピーク日に当たっていた。コロナ禍で数年間、少ない回数で推移してきた離発着が急に通常ベースに戻り、そこにコロナ禍で強行された新ルートによる1割近い発着回数の増が加わる。この状況を右肩下がりの定員削減で迎えなければならなかった航空管制官の現場の苦労と混乱ぶりが見える。これでもなお、事故が羽田新ルートと無関係だったと考える人は、ほとんどいないのではないだろうか。
●JAL「初のCA出身女性社長」を手放しで喜んでいいのか?
事故の傷も癒えないJALは、1月17日、鳥取三津子専務を4月1日付で社長に昇格させる人事を発表した。女性、CA(キャビンアテンダント=客室乗務員)出身、旧東亜国内航空(JAS=日本エアシステムに改名後、JALに統合)採用者の社長就任はいずれもJALとして初めてであり、驚きと若干の新鮮さをもって受け止められた。「女性活用」の象徴的人事として歓迎する向きもあるようだが、手放しで喜んでいいものなのか。
鳥取氏に関しては、ドア数に合わせて配置されることになっていた客室乗務員の人数を「削減」したことがコスト節減として評価され、社長昇格につながったとする報道もすでに出ている。2010年年末、165人の労働者が解雇されたJAL争議に関しては、会社側との和解を選んだ労働組合(CCU=日本航空キャビンクルーユニオン)に対し、和解せず闘いを続行することを選んだJHU(JAL被解雇者労働組合)のようにさまざまな方針がある。だが、ドア数に応じた客室乗務員数を維持すべきとの考えでは双方が一致している。これに対する回答が鳥取氏の社長人事だとするなら、会社側の姿勢は「目先の刷新感を出したいだけ」だとのそしりを免れないだろう。
今回、幸いにも死者ゼロに終わることができたのは安全のため厳しく会社を監視し、対峙してきた現場の努力があったからだということを改めて痛感させられる。来年(2025年)はいよいよ「御巣鷹事故」から40年の節目を迎える。当研究会は引き続き、会社の姿勢を厳しく監視していきたいと考えている。
衝撃的な事故からまもなく1ヶ月。「羽田空港衝突事故 追撃」シリーズ、次回(第4回)では、羽田新ルートの裏に隠された「ある国交官僚の人生」にスポットを当て、この事故とその背景にある航空行政を読み解く。(続く)
・第1報記事「羽田衝突事故は羽田空港の強引な過密化による人災だ」(1月8日付け)
・第2報記事「航空機数は右肩上がり、管制官数は右肩下がり~日本の空を危険にさらした国交省の責任を追及せよ!」(1月9日付け)
・羽田空港でのJAL機と海保機の衝突事故について(JHU=JAL被解雇者労働組合の見解)
<参考資料・文献>
・訪日外国人旅行者数・出国日本人数の推移(観光庁)
・羽田新ルート 「逆らえば飛ばされる」国交省を押し切った官邸(2020.9.8付け「東京新聞」)
この他、当記事執筆にあたっては「羽田空港増便問題を考える会」のチラシ・資料を参考にしました。この資料がなければ記事執筆は不可能だったと思います。ここに記して感謝します。
(取材・文責:黒鉄好)