安全問題研究会(旧・人生チャレンジ20000km)~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

公共交通と原発を中心に社会を幅広く考える。連帯を求めて孤立を恐れず、理想に近づくため毎日をより良く生きる。

投票率低下と岸田首相襲撃事件~破滅への「帰らざる河」を渡ったニッポン

2023-04-20 23:36:52 | その他(国内)
まったく盛り上がらない統一地方選全体の低調さもさることながら、またも選挙期間中に起きた岸田首相襲撃事件を見ていて思う。この国、ニッポンは、破滅に向け引き返すことのできない、最後の「帰らざる河」を渡ってしまったのではないか、と。

それは投票率にも表れている。保守が3分裂し、それなりに見応えがあったと思われる徳島県知事選ですら54.6%と半分を超えるのがやっと。女性スキャンダルが暴かれた現職に、対抗馬が共産新人と元NHK党新人だけという惨状だった神奈川県知事選に至っては40.35%と、知事選なのにもう少しで3割台に落ちるところだった。

ここ数年、選挙のたびに投票率は右肩下がりを続けている。国政選では50~55%くらいのことが多いが、この調子では50%を切るのは時間の問題だろう。「日本では、国民、特に女性や若者を強圧的に支配し、『日本版タリバン』と呼ばれてきた宗教原理主義政党、自民党による長期一党支配が続き、国内には沈滞ムードが漂っていました。今回、有権者の半分以上が選挙をボイコットしたことは、いつまでも変化の兆しが見られない原理主義支配に対する、国民の抗議の意思の現れといえます。以上、東京からお伝えしました」--こんなふうに伝える海外メディアも、きっと出てくるに違いない。

安倍元首相殺害事件の余波は、様々な形で今も続いている。死後半年以上経つ今もなお、ニュースで安倍元首相の名前を見聞きしない日がないほどだ。一方で、事件から1年も経たないのに再び選挙期間中を狙った現職首相襲撃事件が起きたことは、この国の底流で何かが壊れ、社会全体が深く暗い谷底に向かって引き込まれているような、言いしれない気味悪さを感じる。

「もう政治になんて頼っても仕方ない。政治家は江戸時代の大名と同じで、俺たちのことなんて領地領民としか思っていない。領民から五公五民で年貢を取り立て、自分たちだけは腹一杯食べ、政治に飽きたら息子に家督と領地領民を世襲で引き継ぐだけだ。そんな連中に対話など呼びかけても仕方がないし、選挙なんて江戸時代の寄り合いと同じでどうせ形式だけ。やる前から当選者は決まっている。そんな茶番劇になど興味はないし、できるならどんな手を使ってでも復讐してやりたい」--そんな危ういムードを最近の若い世代からはひしひしと感じるのだ。

政治家から発せられる「テロは民主主義への挑戦」だという学級委員のような綺麗事も、メディアが繰り出す「政治家の警備体制を考え直さなければならない」というお決まりの問題のすり替えにも飽き飽きする。問題は民主主義への挑戦でも警備体制でもない。「非合法的手段を使ってでも<政治それ自体>に復讐したい」「自民党を倒すのに選挙など無力。実力あるのみだ」という彼らの気持ちの<源泉>を突き止める努力をしないと、同じことは今後何度でも繰り返されるだろう。

コロナ禍と、それを背景にした各国政府の権力的な行動制限があり、ウクライナ戦争が起こり、そして安倍元首相は凶弾に倒れた。日本でも世界でも人心荒廃は限界に達している。積もり積もった鬱屈が、政府の権力をもってしても抑えられず、ほんのちょっとした「かがり火」でも引火、爆発しかねない状況に至っている。

世界は明らかに「動乱と転換の時代」に入った。このような時代には、「まさか」と思うような考えられない事態が、人知を越える形で進むことがある。第二次世界大戦において最も重要な戦勝国に数えられ、その終了とともに、United Nations(日本では「国際連合」と訳されているが、実際には「連合国」という意味しか持たない)を中心として確立した世界秩序の中で、安全保障理事会にかけられるすべての議案に拒否権を持つという形で最も特権的な地位を享受してきた大国が、みずからそれを壊しにかかるとは思いもよらなかった。通常の感覚で考えれば、戦勝国としての特権を失うことになりかねない自殺行為に等しく、益のない振る舞いであることは明白だが、そんな簡単なことですら理解できないプーチン大統領は、やはり衰えたというほかない。

合法的な手段に限定していては、自分の願いは果たせない。思いを遂げたいと願うなら、手段など選んでいる場合ではないのだ--そんな危険な合唱が、今、耳をふさいでいてもはっきりした声で聞こえてくる。日本も世界も明らかに「一線」を超えてしまった。それでも人類は、なんとか2023年の新年を迎えることができたが、2024年の新年も今年と同じように迎えることができるかどうかは予断を許さない。

これまで、日本国内では、政治的意味合いを持たせることなく、単純に時代を区切る用語としての「戦後」というキーワードが、ファーストフードを食べるような軽い感覚で使われてきたが、この意味での「戦後」ははっきり終わったと断言できる。現在は、次に来るのがどのような秩序になるのか、そもそも秩序自体が確立できるのかも見通せない不安定の中で、世界中の人びとが浮き足立っているように見える。

このような時代を、自分を見失うことなく生き抜くために必要なものは何か。私は「覚悟」だと思う。今日が自分の人生で最後の日になっても恥ずかしくなく、悔いも残らないように毎日を懸命に生き抜くことに尽きる。

中国には天地人という言葉がある。誰も見ていない場所、自分1人しかいない場所でも、天知る、地知る、我知る、人知るという。天、地、人、そして自分自身は自分の行いを常に見ている。この4者には誰も嘘をつくことはできない。子どもたちに、誇りを持って自分の生きる姿を見せられるか。戦争や原発など生命そのものを脅かす絶対的巨悪と覚悟を持って対峙できるかが問われている。

世界には190もの国があり、それぞれが自国中心主義の下に行動している。このような国際社会を束ね、新しい世界秩序を打ち立てるのは容易なことではない。「動乱と転換の時代」はしばらく(数十年単位で)続くだろう。私の生きている間に何かが打ち立てられること自体、ないかもしれない。「覚悟」の時代ももう少しの間、続くと思う。

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