(この記事は、当ブログ管理人が月刊誌「地域と労働運動」2024年9月号に発表した原稿をそのまま掲載しています。)
●始まった「令和の米騒動」
大手メディアではなぜかほとんど報じられないが「日本農業新聞」等の専門媒体、またインターネットをここ数か月来、賑わせているキーワードがある。ずばり「令和の米騒動」だ。実際、スーパーやホームセンターなどの量販店では、早いところでは今年春頃から、購入数量を1人1袋に制限するなどの動きが出始めていた。6月頃からこの動きはさらに加速、7月に入ると、ついに流通業者から米が入荷しないため販売を取りやめざるを得ない店も出てきた。
米の「欠品」は、まず東京都内など生産地から遠い大消費地で始まり、最近は大生産地である北海道、東北、北陸といった地域でも購入数量制限の動きが広がっている。20~30年くらい前までの農業界では、1等米比率の最も高い米どころといえば東北や北陸というのが常識だったが、10年くらい前から1等米比率の最も高い地域は北海道に移っている。今や日本一の米どころとなった北海道で、さすがにそのようなことはあり得ないだろうと思っていたら、先日、スーパーの店頭で実際に1人1袋の購入制限が行われていて衝撃を受けた。北海道でさえこんなことになっているとは……。事態は私たちの考えている以上に深刻だと考えなければならない。
メディアが食料品高騰などを取り上げる際、取材に気軽に応じることで知られる都内のスーパー「アキダイ」の秋葉弘道社長は「ここまで米がないというのは、僕の記憶でも30年ぶりくらいだ」と話す。30年前といえば、私と同年代かそれ以上の読者には今なお記憶に残る「平成の米騒動」(後述)であり、今年の米不足はそれ以来だというのである。
●米不足の背景に気候変動
今年の深刻な米不足の原因として、私から大きく2点、指摘しておきたい。
第1点は、2023年夏の記録的な猛暑の影響である。昨年産米が「作況指数に表れない隠れた不作」だったことを多くの農業関係者が指摘している。どういうことか。
農林水産省が公表した2023年産米の作況指数(確定値)は平年を100とした数値で101であり「平年並み」だ。数字だけを見れば悪くないが、米作りの現場の実感は数字とはまったく異なっていた。
気温35度以上の「猛暑日」が1か月近く続く地点もあった昨年の記録的な猛暑により、主力のコシヒカリを中心に「白濁」現象などが多発。歩留まり(精米した際に白米として残る部分の比率)の良い1等米の比率は近年になく低かった。作況指数は「10a当たり平年収量に対する10a当たり収量の比率であり、都道府県ごとに、過去5か年間に農家等が実際に使用したふるい目幅の分布において、最も多い使用割合の目幅以上に選別された玄米を基に算出」(注1)した数値であるというのが公式の説明であり、作況指数に歩留まりは反映されていないことに注意を要する。玄米段階では平年並みの収量が上がったが、白米に精米する過程で平年以上に小粒になってしまうことによる「隠れた不作」だったというのが農業関係者の一致した見方だ。
1993年は、東北地方の太平洋側ではほとんど日照がなく、「やませ」と呼ばれるオホーツク海高気圧からの冷たい風が吹き続けた。作況指数がゼロとなる地域も出るなど壊滅的な作況となり「100年に一度」「父母はもちろん、祖父母も経験したことのないほどの大冷害」といわれた。日照不足が続くと、稲が穂をつけないまま白く濁って倒伏する「いもち病」が発生することがある。この年、私は就職活動のため全国を回っていたが、面接先へ向かう列車の窓から見た水田の光景は今も忘れることができない。いもち病のため、白く濁った稲穂が折り重なるように倒伏した光景は、自分の生きているうちには二度と見たくないと思うほど悲惨なものだった。
翌、1994年の春先には米不足の噂が広がり始め、人々が先を競うように米を買いだめに走る悪循環が始まった。6月頃になるとどこに行っても米が買えない事態となり、政府は史上初の外国産米の輸入に踏み切った。米の生産、流通を政府と農協が一手に取り仕切る食糧管理制度に、戦後初めて穴が空いた瞬間だった。
冷害に弱いという重大な問題があるにもかかわらず、食味が良いことから全国で作付けされていたササニシキを見直す動きも出た。コシヒカリを中心に、冷害に強い品種への植え替えがこの年以降、進んだが、皮肉なことに、この年を最後に温暖化の進展で冷害は減った。私の記憶では、明確に冷害に分類できるのは東北地方で梅雨明けが特定できないまま終わった2003年、2009年くらいだろう。
2010年代に入ると、猛暑の年が急激に増え、今度は暑熱対策が米農家最大の課題となった。1993年の大冷害の記憶もまだ残る中で、暑熱対策は道半ばなのが現状だが、気候変動は農家の対策を越えるスピードで進んでいる。
2023年産米の不作が起きた原因は猛暑であり、1993年産米の冷害とは正反対だが、今年の米不足が当時と大きく違うのは、作況指数がほとんど崩れていないため、農水省など農政の現場に隠れた不作だという認識がほとんどないことかもしれない。そのせいか、農水省はメディア取材に対しても「在庫は大きく減っておらず、現在の米不足は一時的で、早場米が市場に出始める8月下旬頃から徐々に沈静化する」との回答を繰り返している。
だが、私が足下の現場を見る限り、事態はそれほど楽観できなくなってきたといえる。農水省がデータを元に、必要な米の量は確保していると繰り返しても、消費者にとっては、馴染みのスーパーやホームセンター、米穀店の店頭で買えなければ「誰がなんと言おうと、ないものはない」ということになり、先を競うように買いだめが始まる。新型コロナ感染拡大期におけるマスクと同じように、長期保存が可能な米も「とりあえず自分が買っておけば、他者が買い占めに走っても走らなくても、自分が敗者になることはない」という事実は、すでにゲーム理論によって証明されている。
事実ではなかったはずの「米不足」が、多くの人々の買い占めによって現実化する「予言の自己成就」のプロセスが進行しつつある。この段階になってから買い占めを沈静化させるのは、コロナ禍において、マスク転売業者に対して政府が実施したような手法を採らない限り難しいだろう。すなわち、罰則規定を持つ国民生活安定緊急措置法(1973年制定)や物価統制令(1946年制定)などの強制法規を発動することである(物価統制令はマスク転売業者には結局、適用されなかった)。
今年の夏も、既に猛暑日が1か月以上続いている地点があるなど、昨年を上回る猛暑となりつつある。作況指数ベースではない「歩留まりを加味した真の作柄」が昨年から回復するかどうかは予断を許さない情勢だ。秋になっても米不足が解消せず、買い占め後、高値転売で荒稼ぎする業者が跋扈する事態になれば、マスクと違って主食の米だけに、前述の2法令の本格発動なども視野に入れた重大局面を迎えることになろう。
新型コロナ感染拡大や、ウクライナ戦争以降の食料需給逼迫を受け、政府は今年、「食料・農業・農村基本法」を約30年ぶりに改定した。その際、関連法案として「食料供給困難事態対策法案」も可決、成立したが、この法律には政府の食料供出命令に従わなかった農業者に対する罰則規定のみが盛り込まれ、食料の買い占め、高値販売を行う事業者に対しては罰則が科されないことになった。販売業者に対しては、前述の2法令により対処可能だという判断に基づいているが、ここで重要な事実を指摘しておく必要がある。
主食の米をめぐっては、敗戦直後の深刻な食料不足に対処するため、必要と認められる場合に政府が農家から米を強制徴発できる「食糧緊急措置令」(注2)が1946年に制定され、食糧管理法とともに廃止される1995年まで、形式的には存続していたという事実である。それから30年、食糧緊急措置令と名称も内容も酷似した法律が、装いを改め、再び登場することになるとは夢にも思わなかった。これがどれほど重大な意味を持つか、賢明な本誌読者のみなさんにこれ以上説明する必要はなかろう。
●真の原因は減反政策~「インバウンドが食べ過ぎ」はメディアの「論点ぼかし」
大手メディアは、コロナ禍で入国が禁じられていたインバウンド(外国人旅行客)が急激に回復したことによって米の需要が急拡大したことも米不足の背景にあると報道しているが、これは誤りである。インバウンドによる米の消費量は1万トン前後と推計されており、これを日本における米の年間生産量(650~700万トン)と比べると1%にも満たない。統計上は誤差の範囲であり、無視できる数字と言っていい。もちろん米の需給全体に影響を与えるほどのものでもない。明らかに米不足への不満、政府の農業政策の失敗に対する批判を排外主義へ流し込む危険な動きである。
むしろ、多くの農業専門家が口を揃えるのが国の農業政策の失敗だ。元農水官僚で、キヤノングローバル戦略研究所の山下一仁研究主幹は、半世紀にわたって続けられてきた減反政策こそ、米の生産基盤弱体化を通じて米不足を引き起こした主因だと指摘する。
もちろん、現在政府が行っている減反政策は、かつての食糧管理制度の下で行われてきたものと同じではない。食管制度の下では、国が買い上げる「政府米」の他、政府が指定した民間2団体――農協及び「全集連」(全国主食集荷協同組合連合会)――が買い上げる「自主流通米」だけが正規米とされ、これ以外のルートで出荷される米は「非正規流通米」(俗に言う「ヤミ米」)扱いだった。減反に従わず、非正規流通米として出荷した米の数量分は翌年の減反数量に上乗せされることになっていた。認められた数量を超過した分は国にも農協、全集連にも買い上げてもらえないため「誰にも売れない」恐れがあり、減反は事実上強制力を持つ仕組みといえた。
食管制度廃止後は、国が地方自治体を通じて生産目標数量を農業現場に降ろす形となり、さらに安倍政権下では、政府が「生産目安数量」を示す形にまで弱められた。いわば「これ以上作ると米価暴落のおそれがありますよ」というものだが、戦前の小作制の反省の上に生まれた戦後農業は自作農主義だから、米価はそのまま農家の所得に直結する。そのような制度下で「手取り収入が暴落してもいいから政府が示した目安数量を超えて作りたい」「他の農業仲間などどうでもいいから、自分だけ目安を大幅に超過した数量を生産して出荷し、同業者を出し抜いて儲けたい」などという「勇気ある」行動を取れる農家は多くない。結局は、米消費量が戦後、一貫して減り続ける情勢の中で、手取り収入を維持するため、農家ができることは「生産を減らすこと」だという減反の本質はそれほど変わらなかったと言っていい。
このようにして生産を減らし続けた結果、最盛期には年間1500万トンも生産されていた日本の米は、現在では700万トンを切るところまで来ている。最盛期の半分以下の生産量にまで減らしたことになる。前述した「平成の大凶作」の年、1993年の米の生産量が、それでも783万4千トンあったことを知れば、たいていの読者は仰天するだろう。ここ最近の米の年間生産量はそれより少ないのだ。数字だけ見れば、もはや米が日本人の主食の地位を維持できるかどうかも危ういところまで来ているのである。
これほどまでに米を食べなくなった日本人は今、何を食べているのか。それを解き明かすデータがある。総務省「家計調査」によれば、1世帯あたり年間支出額は1985年には米7万5302円に対し、パンは2万3499円で、3倍以上の差があった。それが2011年、米2万7777円、パン2万8371円とついに逆転する。2012~13年には米が一時的に上回ったが、2014年に再び逆転。以降ずっとパンが米を上回っている。
注意していただきたいのは、パンに対する支出額が1985年と2011年でほとんど変わっていないことである。すなわち日本人が米消費を減らす代わりにパン消費を増やしたわけではないということだ。日本人の人口減少が本格化したのは2010年代に入ってからで、2011年の時点ではまだ人口減少は本格化していないから、米消費量の長期的な減少トレンドを人口減少で説明するのも適切とはいえない。
日本人の米消費量の長期的減少トレンドを説明できる要因として、当てはまらないものを順に消していくと、最後まで消えずに残るものがある。ラーメン、パスタ、うどんなどの麺類である。日本人は、米消費量を減らした分を、麺類、つまり小麦の消費量を増やすことで補ってきたといえる。
米と異なり、日本は小麦を自給できない。大半を輸入に頼っている小麦の消費が一貫して上昇トレンドにあることは、食料自給率の低下と直結している。実際、1980年代にはカロリーベースで50%を超えていた食料自給率は今、38%にとどまる。
農水省は、生産額ベースでの食料自給率が6割近くに達したことを公表している。だが、食料生産が質・量の両面で増えていなくても、今までより高く売ることによって生産額ベースでの食料自給率はいくらでも引き上げることができる。高くなった農産物を食べたからといって、質・量が増えていなければお腹の膨れ方は変わらない。生産額ベースでの食料自給率の数値は、日本の農産物がどれだけブランド化されているかを知る上での指標として、参考程度に留めてほしい。
●「日本人は世界で最初に飢える」「コオロギを食え?」
「日本人はいずれ雑草や昆虫しか食べる物がなくなる」――そんな衝撃的な予言をして日本中を慌てさせたのはフランスの経済学者ジャック・アタリ氏だ。ウクライナ戦争によって世界の食料需給が急速に逼迫の度合いを強める中で、「現代欧州最高の知性」(もちろん半分皮肉だが)の発言は飛び出した。だが、この発言を「日本政府とも日本人とも利害関係を持たないフランス人のエスプリの類」に過ぎないと軽視してはならない。日本政府がこのまま食料自給率の低下を放置し、亡国的農政を続けた場合、確実に訪れるであろう「暗い近未来予想図」である。
アタリ氏が日本人に向かって「コオロギを食べる」よう勧告したかのような言説も散見されるが、アタリ氏は前述のように発言しただけであり、コオロギとは言っていない。アタリ氏の名誉のために付け加えておきたいと思う。
いずれにせよ、ここまで本稿を読み進めてきたみなさんは、現在進行形の「令和の米騒動」が今年限りの一過性の出来事でなく、構造的な原因によって引き起こされたことをご理解いただけたと思う。円安の進行で輸入購買力も以前に比べて落ちつつある日本に、いつまでも食料を提供し続けてくれる国や地域があるとも思えない。
世界の食料事情は、多くの日本人が想像しているよりもずっと厳しい状況にある。日本の政治家、官僚、経済人の多くが危機感も持たないまま、大部分の食料を輸入に頼ってきたこれまでと同じ世界が今後も続くと、根拠もなく信じ続けていることのほうが、私にはとても信じ難く、恐ろしい。
注1)「令和5(2023)年産水稲の作柄について」農水省
注2)食糧緊急措置令、物価統制令はいずれも1946年に制定されたが、当時はまだ日本国憲法の施行(1947年5月3日)より前だったため、旧帝国憲法が効力を持っていた。食糧不足への対処は一刻を争うにもかかわらず、帝国議会を召集できなかったため、両令は、帝国憲法第8条に基づき、本来であれば法律によらなければ制定できない内容(罰則規定等)を、天皇の裁可によって制定する緊急勅令としての施行だった。
なお、緊急勅令は、直後に召集される帝国議会に提出が義務づけられており、可決されればそのまま法律として存続する一方、否決された場合には制定時にさかのぼって失効することになっていた。両令は可決され、本文にあるとおり、食糧緊急措置令は1995年の廃止まで存続した。物価統制令は廃止されておらず、現在も有効である。
(2024年8月20日)
●始まった「令和の米騒動」
大手メディアではなぜかほとんど報じられないが「日本農業新聞」等の専門媒体、またインターネットをここ数か月来、賑わせているキーワードがある。ずばり「令和の米騒動」だ。実際、スーパーやホームセンターなどの量販店では、早いところでは今年春頃から、購入数量を1人1袋に制限するなどの動きが出始めていた。6月頃からこの動きはさらに加速、7月に入ると、ついに流通業者から米が入荷しないため販売を取りやめざるを得ない店も出てきた。
米の「欠品」は、まず東京都内など生産地から遠い大消費地で始まり、最近は大生産地である北海道、東北、北陸といった地域でも購入数量制限の動きが広がっている。20~30年くらい前までの農業界では、1等米比率の最も高い米どころといえば東北や北陸というのが常識だったが、10年くらい前から1等米比率の最も高い地域は北海道に移っている。今や日本一の米どころとなった北海道で、さすがにそのようなことはあり得ないだろうと思っていたら、先日、スーパーの店頭で実際に1人1袋の購入制限が行われていて衝撃を受けた。北海道でさえこんなことになっているとは……。事態は私たちの考えている以上に深刻だと考えなければならない。
メディアが食料品高騰などを取り上げる際、取材に気軽に応じることで知られる都内のスーパー「アキダイ」の秋葉弘道社長は「ここまで米がないというのは、僕の記憶でも30年ぶりくらいだ」と話す。30年前といえば、私と同年代かそれ以上の読者には今なお記憶に残る「平成の米騒動」(後述)であり、今年の米不足はそれ以来だというのである。
●米不足の背景に気候変動
今年の深刻な米不足の原因として、私から大きく2点、指摘しておきたい。
第1点は、2023年夏の記録的な猛暑の影響である。昨年産米が「作況指数に表れない隠れた不作」だったことを多くの農業関係者が指摘している。どういうことか。
農林水産省が公表した2023年産米の作況指数(確定値)は平年を100とした数値で101であり「平年並み」だ。数字だけを見れば悪くないが、米作りの現場の実感は数字とはまったく異なっていた。
気温35度以上の「猛暑日」が1か月近く続く地点もあった昨年の記録的な猛暑により、主力のコシヒカリを中心に「白濁」現象などが多発。歩留まり(精米した際に白米として残る部分の比率)の良い1等米の比率は近年になく低かった。作況指数は「10a当たり平年収量に対する10a当たり収量の比率であり、都道府県ごとに、過去5か年間に農家等が実際に使用したふるい目幅の分布において、最も多い使用割合の目幅以上に選別された玄米を基に算出」(注1)した数値であるというのが公式の説明であり、作況指数に歩留まりは反映されていないことに注意を要する。玄米段階では平年並みの収量が上がったが、白米に精米する過程で平年以上に小粒になってしまうことによる「隠れた不作」だったというのが農業関係者の一致した見方だ。
1993年は、東北地方の太平洋側ではほとんど日照がなく、「やませ」と呼ばれるオホーツク海高気圧からの冷たい風が吹き続けた。作況指数がゼロとなる地域も出るなど壊滅的な作況となり「100年に一度」「父母はもちろん、祖父母も経験したことのないほどの大冷害」といわれた。日照不足が続くと、稲が穂をつけないまま白く濁って倒伏する「いもち病」が発生することがある。この年、私は就職活動のため全国を回っていたが、面接先へ向かう列車の窓から見た水田の光景は今も忘れることができない。いもち病のため、白く濁った稲穂が折り重なるように倒伏した光景は、自分の生きているうちには二度と見たくないと思うほど悲惨なものだった。
翌、1994年の春先には米不足の噂が広がり始め、人々が先を競うように米を買いだめに走る悪循環が始まった。6月頃になるとどこに行っても米が買えない事態となり、政府は史上初の外国産米の輸入に踏み切った。米の生産、流通を政府と農協が一手に取り仕切る食糧管理制度に、戦後初めて穴が空いた瞬間だった。
冷害に弱いという重大な問題があるにもかかわらず、食味が良いことから全国で作付けされていたササニシキを見直す動きも出た。コシヒカリを中心に、冷害に強い品種への植え替えがこの年以降、進んだが、皮肉なことに、この年を最後に温暖化の進展で冷害は減った。私の記憶では、明確に冷害に分類できるのは東北地方で梅雨明けが特定できないまま終わった2003年、2009年くらいだろう。
2010年代に入ると、猛暑の年が急激に増え、今度は暑熱対策が米農家最大の課題となった。1993年の大冷害の記憶もまだ残る中で、暑熱対策は道半ばなのが現状だが、気候変動は農家の対策を越えるスピードで進んでいる。
2023年産米の不作が起きた原因は猛暑であり、1993年産米の冷害とは正反対だが、今年の米不足が当時と大きく違うのは、作況指数がほとんど崩れていないため、農水省など農政の現場に隠れた不作だという認識がほとんどないことかもしれない。そのせいか、農水省はメディア取材に対しても「在庫は大きく減っておらず、現在の米不足は一時的で、早場米が市場に出始める8月下旬頃から徐々に沈静化する」との回答を繰り返している。
だが、私が足下の現場を見る限り、事態はそれほど楽観できなくなってきたといえる。農水省がデータを元に、必要な米の量は確保していると繰り返しても、消費者にとっては、馴染みのスーパーやホームセンター、米穀店の店頭で買えなければ「誰がなんと言おうと、ないものはない」ということになり、先を競うように買いだめが始まる。新型コロナ感染拡大期におけるマスクと同じように、長期保存が可能な米も「とりあえず自分が買っておけば、他者が買い占めに走っても走らなくても、自分が敗者になることはない」という事実は、すでにゲーム理論によって証明されている。
事実ではなかったはずの「米不足」が、多くの人々の買い占めによって現実化する「予言の自己成就」のプロセスが進行しつつある。この段階になってから買い占めを沈静化させるのは、コロナ禍において、マスク転売業者に対して政府が実施したような手法を採らない限り難しいだろう。すなわち、罰則規定を持つ国民生活安定緊急措置法(1973年制定)や物価統制令(1946年制定)などの強制法規を発動することである(物価統制令はマスク転売業者には結局、適用されなかった)。
今年の夏も、既に猛暑日が1か月以上続いている地点があるなど、昨年を上回る猛暑となりつつある。作況指数ベースではない「歩留まりを加味した真の作柄」が昨年から回復するかどうかは予断を許さない情勢だ。秋になっても米不足が解消せず、買い占め後、高値転売で荒稼ぎする業者が跋扈する事態になれば、マスクと違って主食の米だけに、前述の2法令の本格発動なども視野に入れた重大局面を迎えることになろう。
新型コロナ感染拡大や、ウクライナ戦争以降の食料需給逼迫を受け、政府は今年、「食料・農業・農村基本法」を約30年ぶりに改定した。その際、関連法案として「食料供給困難事態対策法案」も可決、成立したが、この法律には政府の食料供出命令に従わなかった農業者に対する罰則規定のみが盛り込まれ、食料の買い占め、高値販売を行う事業者に対しては罰則が科されないことになった。販売業者に対しては、前述の2法令により対処可能だという判断に基づいているが、ここで重要な事実を指摘しておく必要がある。
主食の米をめぐっては、敗戦直後の深刻な食料不足に対処するため、必要と認められる場合に政府が農家から米を強制徴発できる「食糧緊急措置令」(注2)が1946年に制定され、食糧管理法とともに廃止される1995年まで、形式的には存続していたという事実である。それから30年、食糧緊急措置令と名称も内容も酷似した法律が、装いを改め、再び登場することになるとは夢にも思わなかった。これがどれほど重大な意味を持つか、賢明な本誌読者のみなさんにこれ以上説明する必要はなかろう。
●真の原因は減反政策~「インバウンドが食べ過ぎ」はメディアの「論点ぼかし」
大手メディアは、コロナ禍で入国が禁じられていたインバウンド(外国人旅行客)が急激に回復したことによって米の需要が急拡大したことも米不足の背景にあると報道しているが、これは誤りである。インバウンドによる米の消費量は1万トン前後と推計されており、これを日本における米の年間生産量(650~700万トン)と比べると1%にも満たない。統計上は誤差の範囲であり、無視できる数字と言っていい。もちろん米の需給全体に影響を与えるほどのものでもない。明らかに米不足への不満、政府の農業政策の失敗に対する批判を排外主義へ流し込む危険な動きである。
むしろ、多くの農業専門家が口を揃えるのが国の農業政策の失敗だ。元農水官僚で、キヤノングローバル戦略研究所の山下一仁研究主幹は、半世紀にわたって続けられてきた減反政策こそ、米の生産基盤弱体化を通じて米不足を引き起こした主因だと指摘する。
もちろん、現在政府が行っている減反政策は、かつての食糧管理制度の下で行われてきたものと同じではない。食管制度の下では、国が買い上げる「政府米」の他、政府が指定した民間2団体――農協及び「全集連」(全国主食集荷協同組合連合会)――が買い上げる「自主流通米」だけが正規米とされ、これ以外のルートで出荷される米は「非正規流通米」(俗に言う「ヤミ米」)扱いだった。減反に従わず、非正規流通米として出荷した米の数量分は翌年の減反数量に上乗せされることになっていた。認められた数量を超過した分は国にも農協、全集連にも買い上げてもらえないため「誰にも売れない」恐れがあり、減反は事実上強制力を持つ仕組みといえた。
食管制度廃止後は、国が地方自治体を通じて生産目標数量を農業現場に降ろす形となり、さらに安倍政権下では、政府が「生産目安数量」を示す形にまで弱められた。いわば「これ以上作ると米価暴落のおそれがありますよ」というものだが、戦前の小作制の反省の上に生まれた戦後農業は自作農主義だから、米価はそのまま農家の所得に直結する。そのような制度下で「手取り収入が暴落してもいいから政府が示した目安数量を超えて作りたい」「他の農業仲間などどうでもいいから、自分だけ目安を大幅に超過した数量を生産して出荷し、同業者を出し抜いて儲けたい」などという「勇気ある」行動を取れる農家は多くない。結局は、米消費量が戦後、一貫して減り続ける情勢の中で、手取り収入を維持するため、農家ができることは「生産を減らすこと」だという減反の本質はそれほど変わらなかったと言っていい。
このようにして生産を減らし続けた結果、最盛期には年間1500万トンも生産されていた日本の米は、現在では700万トンを切るところまで来ている。最盛期の半分以下の生産量にまで減らしたことになる。前述した「平成の大凶作」の年、1993年の米の生産量が、それでも783万4千トンあったことを知れば、たいていの読者は仰天するだろう。ここ最近の米の年間生産量はそれより少ないのだ。数字だけ見れば、もはや米が日本人の主食の地位を維持できるかどうかも危ういところまで来ているのである。
これほどまでに米を食べなくなった日本人は今、何を食べているのか。それを解き明かすデータがある。総務省「家計調査」によれば、1世帯あたり年間支出額は1985年には米7万5302円に対し、パンは2万3499円で、3倍以上の差があった。それが2011年、米2万7777円、パン2万8371円とついに逆転する。2012~13年には米が一時的に上回ったが、2014年に再び逆転。以降ずっとパンが米を上回っている。
注意していただきたいのは、パンに対する支出額が1985年と2011年でほとんど変わっていないことである。すなわち日本人が米消費を減らす代わりにパン消費を増やしたわけではないということだ。日本人の人口減少が本格化したのは2010年代に入ってからで、2011年の時点ではまだ人口減少は本格化していないから、米消費量の長期的な減少トレンドを人口減少で説明するのも適切とはいえない。
日本人の米消費量の長期的減少トレンドを説明できる要因として、当てはまらないものを順に消していくと、最後まで消えずに残るものがある。ラーメン、パスタ、うどんなどの麺類である。日本人は、米消費量を減らした分を、麺類、つまり小麦の消費量を増やすことで補ってきたといえる。
米と異なり、日本は小麦を自給できない。大半を輸入に頼っている小麦の消費が一貫して上昇トレンドにあることは、食料自給率の低下と直結している。実際、1980年代にはカロリーベースで50%を超えていた食料自給率は今、38%にとどまる。
農水省は、生産額ベースでの食料自給率が6割近くに達したことを公表している。だが、食料生産が質・量の両面で増えていなくても、今までより高く売ることによって生産額ベースでの食料自給率はいくらでも引き上げることができる。高くなった農産物を食べたからといって、質・量が増えていなければお腹の膨れ方は変わらない。生産額ベースでの食料自給率の数値は、日本の農産物がどれだけブランド化されているかを知る上での指標として、参考程度に留めてほしい。
●「日本人は世界で最初に飢える」「コオロギを食え?」
「日本人はいずれ雑草や昆虫しか食べる物がなくなる」――そんな衝撃的な予言をして日本中を慌てさせたのはフランスの経済学者ジャック・アタリ氏だ。ウクライナ戦争によって世界の食料需給が急速に逼迫の度合いを強める中で、「現代欧州最高の知性」(もちろん半分皮肉だが)の発言は飛び出した。だが、この発言を「日本政府とも日本人とも利害関係を持たないフランス人のエスプリの類」に過ぎないと軽視してはならない。日本政府がこのまま食料自給率の低下を放置し、亡国的農政を続けた場合、確実に訪れるであろう「暗い近未来予想図」である。
アタリ氏が日本人に向かって「コオロギを食べる」よう勧告したかのような言説も散見されるが、アタリ氏は前述のように発言しただけであり、コオロギとは言っていない。アタリ氏の名誉のために付け加えておきたいと思う。
いずれにせよ、ここまで本稿を読み進めてきたみなさんは、現在進行形の「令和の米騒動」が今年限りの一過性の出来事でなく、構造的な原因によって引き起こされたことをご理解いただけたと思う。円安の進行で輸入購買力も以前に比べて落ちつつある日本に、いつまでも食料を提供し続けてくれる国や地域があるとも思えない。
世界の食料事情は、多くの日本人が想像しているよりもずっと厳しい状況にある。日本の政治家、官僚、経済人の多くが危機感も持たないまま、大部分の食料を輸入に頼ってきたこれまでと同じ世界が今後も続くと、根拠もなく信じ続けていることのほうが、私にはとても信じ難く、恐ろしい。
注1)「令和5(2023)年産水稲の作柄について」農水省
注2)食糧緊急措置令、物価統制令はいずれも1946年に制定されたが、当時はまだ日本国憲法の施行(1947年5月3日)より前だったため、旧帝国憲法が効力を持っていた。食糧不足への対処は一刻を争うにもかかわらず、帝国議会を召集できなかったため、両令は、帝国憲法第8条に基づき、本来であれば法律によらなければ制定できない内容(罰則規定等)を、天皇の裁可によって制定する緊急勅令としての施行だった。
なお、緊急勅令は、直後に召集される帝国議会に提出が義務づけられており、可決されればそのまま法律として存続する一方、否決された場合には制定時にさかのぼって失効することになっていた。両令は可決され、本文にあるとおり、食糧緊急措置令は1995年の廃止まで存続した。物価統制令は廃止されておらず、現在も有効である。
(2024年8月20日)