人生チャレンジ20000km~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

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国は今こそ貨物列車迂回対策を!

【JR不採用問題】西日本は協議に応じる意向

2010-04-05 22:08:56 | 鉄道・公共交通/交通政策
JR西は協議に応じる構え 国労不採用問題(朝日新聞)

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 国鉄労働組合(国労)組合員のJR不採用問題で、JR西日本の佐々木隆之社長は5日、与党側が示した和解案への協議に応じる考えを示した。和解案はJR各社で200人程度を雇用するよう求めており、北海道、東日本、東海などのJRは和解案を拒否する姿勢を示している。

 佐々木社長はこの日、東京都内での定例記者会見で「(与党側からの)要請は一切ない」とした上で、「社内で議論したい」と述べた。一方で、民営化に際して多数の国鉄職員が希望退職に応じたり、JR西が4回にわたって計160人を追加採用したりした経緯を説明。「それらの人との公平感で言えば、難しい問題」との見解も示した。
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本州3社の中で最も経営が厳しい西日本。尼崎事故で歴代4社長が被告となり、ローカル線も多く抱える。その上、北海道、四国、九州のような経営安定基金もない。そんな困難な状況の中で、協議に応じると表明したJR西日本の姿勢をとりあえずは評価したい。

23年前の国鉄分割民営化以降、JR西日本の人員削減率は4割に上り、旅客6社の中で最大である。しかし、その急激な人員削減こそが技術の継承を途絶えさせ、尼崎事故を生んだのではないか。

JR西日本は山陽新幹線を抱えており、博多駅、小倉駅、博多総合車両所など九州内にも職場を持っている。九州地区の被解雇者の中には、九州に行けなかった場合の第2希望として手を挙げる人がいるかもしれない。JR西日本は真剣に採用を考えてほしい。

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第82回センバツ講評

2010-04-03 18:20:20 | 芸能・スポーツ
興南が春夏通じて初優勝…延長で日大三破る(読売新聞) - goo ニュース

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 興南10―5日大三(選抜高校野球大会・決勝=3日)

興南(沖縄)が日大三(東京)を延長十二回、10―5で破り、初優勝を飾った。

 試合は、5―5の同点のまま、延長戦に突入。興南は十二回、一死満塁から日大三の守備の乱れと島袋選手の適時二塁打などで計5点のリードを奪い、その裏の日大三の反撃を許さなかった。

 沖縄勢の優勝は、第80回大会(2008年)の沖縄尚学以来2年ぶり3度目。日大三は、39年ぶりの優勝を逃した。
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私は、センバツ大会歌「今ありて」が大好きだ。三寒四温といわれ、冬と春がせめぎ合う季節が、この曲を聞くことで一挙に春になる、そんな気がする。夏の大会歌「栄冠は君に輝く」もいいが、冬から春になる感動には及ばない。

さて、第82回選抜高校野球は、延長戦にもつれ込んだ末、12回表に一挙5点を奪った興南が日大三を振り切った。センバツ大会決勝戦の延長は、1989年の東邦(愛知)×上宮(大阪)で東邦が勝って以来、21年ぶりだ。ちなみにこの時の上宮からは後に、元木大介(巨人)、種田仁(中日)らがプロ野球に進んでいる。

簡単に今大会を振り返ろう。

21世紀枠は、昨年の利府(宮城)に続き、今年も山形中央の出場という形で東北に割り当てられた。東北地方の出場枠は通常、3校だが、21世紀枠のおかげで2年連続して枠が拡大されたことになる。雪国のハンディは遠い昔の話になった。東北地方のレベルアップは著しい。

今大会はまた、悪天候に苦しめられた。1回戦の2日目は、4試合すべてが2日連続で順延となった。1日4試合すべてが2日連続で順延されたのは、1985年以来25年ぶりのことである。また、強風の日が多かったことも特徴的で、多くの球児たちが強風に苦しんだ。

大会中、21世紀枠で出場した向陽(和歌山)に敗退した学校の監督が「末代の恥」と発言して辞任に追い込まれる騒ぎがあったが、21世紀枠は、出場枠が足りない地域でどうしても出場させたい学校があるときに割り当てられる制度だから、「21世紀枠の出場校は弱い」というのは思い込みに過ぎないということが理解できるだろう。

1回戦から2回戦は、得点が少なく投手戦が目に付いた反面、準々決勝以降は大差のゲームが多かったが、これは通常の大会とは逆の現象だと思う。出場各校の戦力がバラバラな状態で対戦する1回戦から2回戦のほうが大差ゲームが多く、強い学校が勝ち残って戦力が均衡する準々決勝以降は投手戦が多いというのが通常の姿だろう。

そして、高校野球は「投手力の春、総合力の夏」と言われるとおり、春のセンバツは投手力が勝敗を決めるが、そこで各校の戦力が均衡するはずの後半戦で大差ゲームが多かったことは、投手力が発展途上にあるチームが多かったということを意味する。春から夏までに急成長するチームもあるから現時点で判断するのは早計だと思うが、今年は全体的に見て「打高投低」の年になるのではないだろうか。

ただ、その中でも優勝した興南のエース・島袋は速球がよく切れ、延長戦突入後も球速は140km代でまったく落ちなかった。日大三のエース・山崎も延長戦でスタミナ切れを起こしたものの、島袋同様140km代の速球と変化球で緩急をつけられ、コントロールもよく期待できる。夏に向け、スタミナをつければプロ入りも見えてくるだろう。

以上が当ブログ管理人のセンバツ講評だが、開会前に大きく話題になったのは、興南、嘉手納と史上初めて沖縄から2校が出場したことだ。昨年秋の九州大会で嘉手納は優勝、興南は3位だから、この成績を見る限りアベック出場となったのは別に不思議ではないが、米軍普天間基地問題が焦点となっているこの時期に、沖縄から2校がアベック出場を果たし、東京と沖縄が対決した決勝戦で沖縄が勝つという結果に、政治的な因縁を感じるのは私だけだろうか。

思えば、今年は沖縄代表が初めてセンバツに出場できるようになった1960年からちょうど半世紀に当たる。1960年、日本返還前の沖縄は米軍の軍政下にあり、戦後、初のセンバツ出場を果たした那覇高校は、「外国」だった甲子園にパスポートを持ってやって来た。その2年前の1958年、初めて夏の甲子園に出場した首里高校の選手たちは、記念に持ち帰ろうとした甲子園の土を、米国政府の検疫制度によって「米国領沖縄」に持ち込むことができず、すべて捨てさせられた。

戦後の沖縄史には、こうした悲劇がたくさん詰まっている。沖縄が日本に復帰するのは、それから12年も経った1972年のことである。今でこそ沖縄代表は優勝候補の常連となったが、50年の節目となった今年、ただ単に興南の優勝を喜ぶだけでなく、こうした沖縄の戦後史も、きちんと知っておきたい。

選抜大会歌「今ありて」 2009年版

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春、出会い、別れ、そして…

2010-04-01 23:26:08 | 日記
新年度が始まった。

出会いと別れが交錯する季節、それが春。

「春なのに お別れですか」(「春なのに」/柏原芳恵)という歌がある一方で、「今、春が来て君は綺麗になった」(「なごり雪」/イルカ)という歌もある。「なごり雪」も、このフレーズだけ聴けばハッピーな歌のようだが、実際には「汽車を待つ君の横で時計を気にしてる」僕がいる。列車の発車時刻になれば、幸せな2人は引き裂かれることが運命づけられている。

最近はどうだか知らないが、少なくとも私の青春時代、恋に恋する乙女たちは、卒業していく先輩の制服の第2ボタンをもらうことに必死だった。いうまでもないが、第2ボタンは1つしかなく、それは去りゆく先輩が最も恋心を寄せる乙女だけに手渡される物だと決まっていたからである。

さて、そんな情緒的な文章の後に夢のない話で申し訳ないが、私にとって、今年の春は良いこと半分、形容しがたい寂しさ半分というところだろうか。

良いことのほうは、細かくて口うるさかった直属の上司が転勤でいなくなったことである。転勤先は一応、同一県内ということではあるが、出向していた私の組織から出身組織へ帰るということで、よほどのことがない限り仕事上の接点もないだろう。

ただ、仕事に関してはかなり石頭で細かかったが、人間的に悪い人物ではないということもわかっていた。辞令交付の後、課員ひとりひとりへ挨拶に回っていたが、最後に「頑張れ」と励ましてくれた上に、ありったけの笑顔を見せてくれた。それは、1年間のわだかまりを溶かしてくれるような笑顔だった。その瞬間、すっきりとした良い別れができたと思えた。

ところで、そんなことを言っている私自身が、出身組織を離れて今の組織に来ている出向の身だったりする。出向するときは「2年で戻す。何かあっても3年」と言われて出てきたが、この春でついに3年を超えて4年目に入った。

まぁ、人事に関する口約束なんて、鳩山内閣の政権公約並みに「軽い」というのは、サラリーマンを10年もやっていれば誰でも知っているわけで、そのこと自体はショックでも何もないのだが、私の心に少なからぬさざ波を立てたのは、出身組織の人事異動一覧を見たときである。

それを見るまでは、そろそろ帰れるかな、と期待をかけたりしていた。しかし、在任期間が比較的長かった人たちが、この春、一斉に異動してしまったのである。このせいで、私が帰れそうなポストはほとんど異動が完了してしまった。どうやら、出身組織は私の代わりを見つけ、もはや私を必要としていないように感じられた。形容しがたい寂しさ半分のほうはここから発している。

今年の10月、出身組織では新規事業のため新支所が立ち上がる。ここでもう一度、新支所に絡んだ人事異動が行われることになるが、ここで私に声がかからなければ、おそらく当分は「片道切符の旅」が続くことになるだろう。

もともと、(過去ログにも書いたが)クズ上司と対立し、「石をもて追われるごとく」出身組織を飛び出した私に戻る資格があるのか問われれば、その資格はないのかもしれない。よそ者の私を温かく迎えてくれた今の組織にしばらく身を置くというのも悪くない。いずれにせよ、今は仕事があり、帰るべき家があって、そこで妻が待っていてくれるだけでも幸せと言わなければならないのだろう。

鉄道ファンの間では今も「最長片道切符の旅」の静かなブームが続いている。出身組織に戻れないなら、最長片道切符の旅をしばらく続けてみるのも悪くない。その中から、新たな発見が生まれてくるのかもしれない。

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