昨年秋の「桜を見る会」問題の発覚以降、安倍政権が変調を来している。支持率も久しぶりに不支持を下回ったままだ。
だが、安倍政権はこれまで「核」となる支持基盤(改憲右派/財政出動・公共事業拡大派の連合体)が非常に強く、一時的に支持率が下落してもすぐに盛り返し、危機を何度も乗り切ってきた。だから当ブログもこれまで支持率に一喜一憂しない方針を決め、安倍政権の支持率に関するニュースも「あえて」取り上げず、原発やJR北海道問題に特化した報道を昨年は続けてきた(その2つの問題に特化した方が、結果としてアクセス数がよかった、という実際上の理由もある)。今回の支持率低下に対しても、「またどうせすぐ支持率は盛り返す」と見る人も依然として多い。安倍支持派よりもむしろアンチ安倍派のほうに、そうした一種の諦念を抱きながら「どうせ盛り返す」と見る人は多いようだ。
ただ、今回だけはどうも様子が違うように見える。「桜を見る会」問題が安倍政権支持率の低下要因だというのがメディアの分析だが当ブログはそのような安易な分析を信じていない。「桜を見る会」ごときで離れるような支持者は「モリカケ」問題でとっくに離れており、今さら支持率への影響は小さいと当ブログは判断しているのだ。
では、ここに来ての安倍政権の支持率低下は誰のせいなのか。当ブログはこれを「韓国に融和的姿勢を取ったことによる「核」的支持基盤(改憲右派)の一部の離反」が原因と分析する。「安倍さんなら韓国と断交してくれると思って支持してきたのに、土壇場でGSOMIA(日韓軍事情報の交換協定)の失効を回避するなんて、裏切られた!」と憤る改憲右派の一部が離れたことこそが支持率低下の原因だというのが当ブログの分析だ。だからこそ今回の支持率低下の根は深く、政権の命運に関わる事態になるかもしれないのである。
安倍首相に関しては「東京オリ・パラ後花道論」(東京オリンピック・パラリンピック後に辞意表明)を開陳する大手週刊誌も出ているが、当ブログが安倍政権に終わりの予感を見いだしたのもそんな陳腐な報道が理由ではない。民主党政権が無残な崩壊を迎えた後、「時代の空気」に見いだされて政権に復帰し、我が世の春を謳歌してきた安倍首相にとって、自分自身を政権に就けた「時代の空気」の変化がそのまま「引導」となるのではないか、という予感が大きくなってきているのだ。
精神科医の斎藤環さんは、安倍政権について世間で言われている「超右派政権」という見方に対しては否定的だった。財政出動による公共事業拡大など、リベラル派が好む政策も多く動員している点に着目したからだろう。むしろ、安倍政権に対しては「ヤンキー政権」と呼ぶほうが実態にかなっている、と主張してきた
(関連記事)。この主張を当ブログはこれまで取り上げてこなかったが、当初から注目はしていた。
誤解のないように述べておくと、ヤンキーとはもともとアメリカ人に対する蔑称であり、当ブログ管理人より上の世代はこの意味で理解している人のほうが今も多いだろう。沖縄の日本復帰を求める運動では「ヤンキーゴーホーム」という反米ソングが毎日のように歌われた。ただ、当ブログ管理人を含む40代以下の世代では、ヤンキーとは不良少年少女を指す言葉として使われている。当初、アメリカ人の蔑称だった言葉がどうして不良少年少女を指す言葉に変化したのかは推測の域を出ないが、1980年代、大阪の不良少年少女がアメリカ村付近にたむろしていることが多かったことから「アメリカ村にたむろするような連中」の意味で不良少年少女のことをヤンキーと呼ぶようになった、というのが最も有力な説である。1984年にヒットした「
ヤンキーの兄ちゃんのうた」(嘉門達夫)がこの流れを決定的にしたといえよう。
「ダチ」と「敵」を明確に峻別し、ダチ(特に「マブダチ」=親友)には徹底的な連帯と優遇で報いる一方、「敵」は徹底的に叩き潰すのがヤンキーの行動原理だ。弱いくせに調子に乗っている奴がいると見たら「おい○○、放課後ちょっと体育館の裏に来いや」と呼びつけ、胸ぐらを掴んで脅し、カツアゲした後、みんなでボコボコにして威勢を見せつける。当ブログ管理人より上の世代は、「ああ、うちの学校にもそういえばいたいた」と思い出すだろう。あるいは自分自身がそうだった、という苦い記憶と若干の反省を込めて。当ブログ管理人のような、最近の若者用語でいう「陰キャ」は当時、ヤンキーにはさんざん痛めつけられてきた。体育館の裏に呼び出された経験も実際にある。呼び出して胸ぐらを掴んできた男子のヤンキー連中のことは今でも忘れられないし、毎日のようにお行儀悪く机に腰掛け、当ブログ管理人を呼び捨てにして乱暴にパシリを命じてきた女子のヤンキーのことも忘れることができない。
これも誤解のないように述べておくと、当ブログは別に過去、そうであった人たちを今さらあげつらい、批判したいわけではない。過去、そうしてやんちゃしてきた人のほとんどは、今ではよき父母としてまっとうに暮らしているはずだ。仲間を大切にする彼らの姿勢はむしろ見習いたいくらいで、当ブログが今、社会生活を送れているのも、それを自分流にアレンジして取り入れてきたからである。私を体育館の裏に呼び出したり、パシリを命じたりした人たちに復讐したいという気持ちもすでに持っていない。
そうしたヤンキーたちには、当時、教師も手をつけられないほどの派手な暴れ方をする人もいた。きまじめな学級委員(特に女子)の中には「やめなさい!」なんて声を上げる勇気ある人もいるにはいたが、それですんなり暴れるのをやめるようなヤンキーたちではなかった。
今、どうしてこんな昔のことをブログに書くのか、とみなさんは管理人の意図を測りかねているかもしれない。ここで斎藤環さんの「安倍政権=ヤンキー論」に立ち戻ってみてほしいのだ。当時の教室の中の世界と、安倍政権が驚くほど似ていることがおわかりいただけると思う。安倍首相=番長、萩生田文科相=切り込み隊長(ナイフを常時携帯、刺繍の入った学ランを着ていてキレると何をするかわからない最恐の男)、三原じゅん子議員=スケ番または番長の「彼女」、きまじめな学級委員=野党女性議員、と置き換えてみるといい。これ以上の説明はもはや不要なレベルだ。
さて、我が世の春を謳歌していたヤンキーたちにとって、青春とは期限付きのはかない夢である。王様にも奴隷にも平等に死が訪れるように、優等生にもヤンキーにも平等にやってくるものがある。それは「卒業」である。どんなに我が世の春を続けたくても、田舎の公立中学校はヤンキーたちも一般生徒同様、強制的に卒業させる。盗んだバイクで走り出すヤンキーどもの青春を歌い上げた尾崎豊が結局最後は「卒業」を歌ったように。授業にほとんど出ていなくても、出席日数を「改ざん」して、都合の悪い書類をシュレッダーにかけてでも、学校は彼らに卒業証書を用意する。
卒業式が迫ってくると、ヤンキーたちもさすがに自分の運命を悟る。「もうそろそろ“やんちゃ”からも卒業しないとな」と仲間同士で言い合いながら、最後に青春の締めくくりとして、精いっぱいの虚勢を張って集合写真を撮るのだ。後日の思い出とするために。
そして、卒業式が来ると、ヤンキーの対応も2通りに分かれる。虚勢を張っていただけで本当はいい奴、というケースの場合、さんざん迷惑をかけた先生のためにこっそりプレゼントを用意するなどの「サプライズ」で周囲を驚かせ、泣かせる。
もうひとつは、本当の意味で腐っているヤンキーのケースだ。卒業式の日に「お世話になった」先生を体育館の裏に呼び出し、思いっきり「お礼」をする。内申書は当時、非開示で、入試までは何を書かれるかわからないためヤンキーはおとなしくしているが、卒業式の時点では入試は終わっていて、合格発表前の段階であっても今さら内申書の書き換えは不可能であることを生徒たちは知っている。そこで腐ったヤンキーたちは、卒業式の日に先生に「お礼」をカマすのである。日頃、生徒を抑えつけていた体育の教師などが「犠牲者」になることが多かったように思う。今の若い人たちには信じられないかもしれないが、こんなことをする生徒が当時(30~40年前)は本当にいたのである。
さて、話が巡り巡ってしまったが、そろそろ「本題」に戻ろう。私が安倍政権に終わりの予感を覚えたのは、「桜を見る会」問題で、安倍首相や菅官房長官らと、いわゆる「反社」の人たちまで含めた参加者と一緒の「集合写真」が出たときである。集合写真とはヤンキーにとって「青春の終わり」「けじめ」を意味することが多い。それが、野党などの敵陣営からではなく、参加者という「ダチ」側から出たことは、長かった我が世の春が終わり、ヤンキーたちに「卒業」が迫っていることを示しているのではないだろうか。かつてさんざんヤンキーに痛めつけられてきた当ブログ管理人にとって、ヤンキーを嗅ぎ分け、避けるのはもうDNAにまで染みついた本能のようなものだから、人一倍敏感なアンテナを持っている自信はある。今までどんなに安倍政権が窮地に陥ったとメディアで騒がれても反応しなかったアンテナが、なぜか今回は「宴の終わり」を激しく告げているのだ。もし当ブログ管理人のこの「アンテナ」が正しいなら、野党による政権交代でもなく、自民党内「ポスト安倍」勢力によるクーデターでもなく、「卒業」という時代の区切りによって、安倍政権の閣僚や「ダチ」たちがデカい声で「仰げば尊し」を歌い、巣立つ日が遠からず訪れるだろう。
そのとき、安倍政権が「サプライズ」型ヤンキーと「お礼」型ヤンキーのどちらの形を取るのか。その「最後の姿」によって安倍政権への評価(特に安倍支持層からの評価)は大きく変わるに違いない。