残暑厳しい中、富山県水墨美術館で開催中の北陸の三名刹
「永平寺・總持寺祖院・瑞龍寺の名宝」展へ伺いました。
狩野尚信の達磨図(部分、江戸時代、瑞龍寺蔵)が描かれた
パンフレット、その表面には「北陸は宝庫です。」と
裏面には「雪舟が、くる。秀吉が、くる。探幽が、くる。」
と期待を抱かせる文字が並んでおりました。
達磨図(部分)狩野元信、江戸時代、瑞龍寺
展示室は二室で、
一室目は最初は、道元が創建され770年の歴史の禅の修行道場
大本山永平寺で、江戸時代の境内図が出迎えてくれます。
次に目を向けると
狩野探幽の「四季花鳥図)から春と夏(後期は秋と冬)
余白が充分にとられた画面に、細部まで描かれた花や鳥を
配した構成は、目にもやさしく気品が漂っており、
流石、探幽と叫びたくなりました。
春
夏
二番目は、永平寺から80年後瑩山紹瑾により、能登の門前に
曹洞宗の礎となる總持寺が創建されたが、明治44年に火災を機に
本山は横浜へ移転し、總持寺祖院と改称されております。
「花鳥図」伝狩野元信筆、 室町時代は古色びており、
右隻は漢画でみられる真直ぐな表現がなされており、
左隻は、中央の空間の妙が、襖絵の一部と思わせます。

十六羅漢図より、明時代

一室の終わりは、高岡にある曹洞宗の名刹「瑞龍寺」で、
加賀藩三代目前田利常が二代目利長の菩提寺として建立され
400年が過ぎ、山門、仏殿と法堂が国宝に指定されています。
狩野派三代が並べられております。
元信より、やはり探幽はすてき。
竹菊雀図、一幅 狩野探幽筆 承応4年(1602~74)

天才肌の探幽に対して、下手の安信という俗称もありますが
鴛鴦図 一幅 狩野安信(1613~85)慶安元年(1648)

達磨図、一幅 狩野尚信筆 承応4年(1655)

第二室ではすべてが瑞龍寺の所蔵品で
禅宗絵画や等)に
達磨図 雪舟等楊筆 室町時代

「樫鳥図」松花堂昭乗筆 玉舟宗璠賛、江戸時代

織田信長の書の次は豊臣秀吉です。
なかなかきれいな字なんですね?
消息 豊臣秀吉筆 文禄3~5年

「宸翰消息」後陽成天皇筆 慶長10年(1605)重要文化財
天皇筆となりますと装幀が素晴らしいですね。

禅のこころに触れる貴重な機会になりました。
「永平寺・總持寺祖院・瑞龍寺の名宝」展へ伺いました。
狩野尚信の達磨図(部分、江戸時代、瑞龍寺蔵)が描かれた
パンフレット、その表面には「北陸は宝庫です。」と
裏面には「雪舟が、くる。秀吉が、くる。探幽が、くる。」
と期待を抱かせる文字が並んでおりました。

展示室は二室で、
一室目は最初は、道元が創建され770年の歴史の禅の修行道場
大本山永平寺で、江戸時代の境内図が出迎えてくれます。
次に目を向けると
狩野探幽の「四季花鳥図)から春と夏(後期は秋と冬)
余白が充分にとられた画面に、細部まで描かれた花や鳥を
配した構成は、目にもやさしく気品が漂っており、
流石、探幽と叫びたくなりました。


二番目は、永平寺から80年後瑩山紹瑾により、能登の門前に
曹洞宗の礎となる總持寺が創建されたが、明治44年に火災を機に
本山は横浜へ移転し、總持寺祖院と改称されております。
「花鳥図」伝狩野元信筆、 室町時代は古色びており、
右隻は漢画でみられる真直ぐな表現がなされており、
左隻は、中央の空間の妙が、襖絵の一部と思わせます。

十六羅漢図より、明時代

一室の終わりは、高岡にある曹洞宗の名刹「瑞龍寺」で、
加賀藩三代目前田利常が二代目利長の菩提寺として建立され
400年が過ぎ、山門、仏殿と法堂が国宝に指定されています。
狩野派三代が並べられております。
元信より、やはり探幽はすてき。
竹菊雀図、一幅 狩野探幽筆 承応4年(1602~74)

天才肌の探幽に対して、下手の安信という俗称もありますが
鴛鴦図 一幅 狩野安信(1613~85)慶安元年(1648)

達磨図、一幅 狩野尚信筆 承応4年(1655)

第二室ではすべてが瑞龍寺の所蔵品で
禅宗絵画や等)に
達磨図 雪舟等楊筆 室町時代

「樫鳥図」松花堂昭乗筆 玉舟宗璠賛、江戸時代

織田信長の書の次は豊臣秀吉です。
なかなかきれいな字なんですね?
消息 豊臣秀吉筆 文禄3~5年

「宸翰消息」後陽成天皇筆 慶長10年(1605)重要文化財
天皇筆となりますと装幀が素晴らしいですね。

禅のこころに触れる貴重な機会になりました。