気軽に茶道をしてます。

日々のお稽古とともに、できるだけ手作りのお菓子で
お茶を楽しんでいる様子や、四季折々の変化もお伝えします。

大和茶の起源は、空海さん?

2016-08-29 06:58:56 | 日記
土曜日に「手揉み茶体験」講座で伺い、頂いた
奈良県農業総合センター茶業振興センターのパンフレットに
大和茶の起源について記載があり、興味深く読ませてもらい
私なりに整理してみました。

中国の『茶経』を解説した『茶経詳説』と云う本に、
茶の飲用の最初の記録として
『本朝聖武帝天平元年(729年)召百人僧於内裡 而被講般若 
 第二日 有行茶之儀
”聖武天皇が宮中に100人の僧侶を召し、般若経を講読させ、
 第二日目に参列した僧侶のため、お茶を与えた”と
この時のお茶は『茶経』にも触れている輸入された「団茶」で、
茶の葉を蒸して茶臼に入れて挽き、団子のように丸く固めて保存
されており、それを削り、熱湯をかけて飲むのだそうです。

大同元年(806年)に最初に茶の種を持ち帰ったのは最澄で、
(異論もあります。)
近江の坂本に植えられ、最古の茶園「日吉茶園」に当たります。
相前後して空海も唐の徳宗皇帝より茶臼と茶の種子を拝受し、
随行した仏隆寺の開祖堅恵大徳(けんねだいとく)に与え、
奈良県宇陀市榛原区赤埴の地、寺内「苔の園」という茶園で、
大和茶の最初の栽培として伝承され、全国へ広がったと。

しかし、「宇治茶」が 登場してくるのは、ずっと後
禅宗の登場をまたねばなりません。
建久二年(1191年)の栄西さんの帰国後のことになります。
肥前背振山に植えられ、さらに京都に至り栂尾の明恵上人に
茶の実五つを柿の形をした陶器の入れて差し上げられたことが、
始めの一歩が生まれ、さらに宇治の駒蹄影園へと
つながっていきます。
1681年の虎関師錬、玄恵さん共著『異制庭訓往来』に
”我朝名山者以栂尾為第一也 仁和寺、醍醐、宇治、葉室、
 般若寺、神尾寺、是為輔佐、此外大和室尾、伊賀八島、
 伊勢八島、駿河清見、武蔵河越茶 皆是天下所皆言也”
と書かれており、茶園は全国に散在していました。
ここで、気になるのは、大和室尾との記載があり、
江戸時代の奈良宇陀市室生下笠間での茶製図に一部ですが、
大和茶の起源は、栄西さんになります・・・

時代が下がり、大和では明治14年(1881年)奈良市田原の煎茶が、
第二回内国勧業博覧会にて表彰されております。

茶の木になるのには、どれぐらいかかるのでしょうか?
種を播き、芽が生じさらに茶の樹にまで生育してからも、
茶の葉が摘めるようになるには最低五年も掛ります。
 
一度手を抜くと、茶の樹はすっかりだめになりますが・・・
現在は、すっかり宇治茶のネームバリュウに圧倒され、
宇治茶の一部として大和茶は口にされておりますね。
ガンバレ『大和茶』!