最低気温は-1.3℃と庭の小畑の野菜も霜でしおれ
春日奥山端から雲一つない空に太陽が昇りました。
今日は「石鼎忌」、奈良県吉野地方に縁のある俳人・
原石鼎(はらせきてい)の忌日。
美術人名辞典によれば、
島根県生。名は鼎。高浜虚子に師事する。
豊かな感性と高朗な調子で独自の句境を開いた。
俳誌『鹿火屋(かびや)』を創刊、主宰した。
画も能くする。昭和26年(1951)歿、65才
辞世の句は
「松朽ち葉かゝらぬ五百木無かりけり」
放浪や奥吉野の鷲家村での山中生活があったことが、
俳人としての豊かな感性が育くまれたようで、
この時期に優句が詠まれたといわれております。
万葉集2265にも詠まれた鹿火屋(かひや)
『朝霞 鹿火屋が下に 鳴くかはづ
声だに聞かば 我れ恋ひめやも』
*「鹿火屋」とは、季語としては秋で
蚊火屋とも書き、田畑を鹿や猪などから守るために
火をたく番小屋。蚊やり火をたく小屋とも。
自ら俳誌「鹿火屋」を主宰され、
『淋しさにまた銅鑼打つや鹿火屋守』
大正2年
俳誌名・結社名でもあり、この名吟から取られたもので、
この淋しさを一生忘れまいとして名付けたといわれる。
50歳を前にして、
『雪に来て美事な鳥のだまり居る』
昭和9年
歳時記に載るほどの名句とされますが、
「見事な鳥」と良く似た「美しき鳥」で
このような句も詠まれております。
『美しき鳥来といへど障子内』
昭和7年9月
寒さをこらえて障子をあけなかった石鼎に比べ
相方に”椿に鳥が来ていますよ”と言ったら、
開けにいった障子・・・”そこではないですよ”
あれほどまでに咲いていた侘助椿も、使える蕾は少しだけ
自宅稽古も次の週の二回だけですから・・・
春日奥山端から雲一つない空に太陽が昇りました。
今日は「石鼎忌」、奈良県吉野地方に縁のある俳人・
原石鼎(はらせきてい)の忌日。
美術人名辞典によれば、
島根県生。名は鼎。高浜虚子に師事する。
豊かな感性と高朗な調子で独自の句境を開いた。
俳誌『鹿火屋(かびや)』を創刊、主宰した。
画も能くする。昭和26年(1951)歿、65才
辞世の句は
「松朽ち葉かゝらぬ五百木無かりけり」
放浪や奥吉野の鷲家村での山中生活があったことが、
俳人としての豊かな感性が育くまれたようで、
この時期に優句が詠まれたといわれております。
万葉集2265にも詠まれた鹿火屋(かひや)
『朝霞 鹿火屋が下に 鳴くかはづ
声だに聞かば 我れ恋ひめやも』
*「鹿火屋」とは、季語としては秋で
蚊火屋とも書き、田畑を鹿や猪などから守るために
火をたく番小屋。蚊やり火をたく小屋とも。
自ら俳誌「鹿火屋」を主宰され、
『淋しさにまた銅鑼打つや鹿火屋守』
大正2年
俳誌名・結社名でもあり、この名吟から取られたもので、
この淋しさを一生忘れまいとして名付けたといわれる。
50歳を前にして、
『雪に来て美事な鳥のだまり居る』
昭和9年
歳時記に載るほどの名句とされますが、
「見事な鳥」と良く似た「美しき鳥」で
このような句も詠まれております。
『美しき鳥来といへど障子内』
昭和7年9月
寒さをこらえて障子をあけなかった石鼎に比べ
相方に”椿に鳥が来ていますよ”と言ったら、
開けにいった障子・・・”そこではないですよ”
あれほどまでに咲いていた侘助椿も、使える蕾は少しだけ
自宅稽古も次の週の二回だけですから・・・