学芸員のちょっと?した日記

美術館学芸員の本当に他愛もない日記・・・だったのですが、今は自分の趣味をなんでも書いています

真夜中1時前

2007-06-20 00:48:26 | Weblog
眠れない・・・。
こまったものです。

今聞こえるものといえば、
ときどき通る車の音、
そして田んぼから聞こえる蛙の声や虫の音。
全てが闇と静寂に包まれています。

北風が部屋の中を通り抜ける。
白いカーテンがふっくらと広がったかと思うと、
またすぐに元の通り。
私はちょっと肌寒さを感じます。

夜。
それは孤独で寂しいもの。
けれど、私はそんな夜を愛しています。
太陽は忙しすぎるから。

これからまた寝ます。
もっとも好きな夜の舞台を、自ら去らなくてはならないことに
少し残念さを感じますけれど。

岐阜 3

2007-06-17 18:54:09 | Weblog
ここまで随筆調で書いてきたわけですが、
どうも堅苦しくっていけないですね(笑)

さて、翌朝は早めに起床し、岐阜市内を散歩。
岐阜には「金華山通り」と「長良川通り」?が
あるようですが、私は「金華山通り」を歩きました。
ちょっとさみしいですね・・・。
高島屋はありましたけれど。

岐阜公園近辺になると、昔ながらの建物が残っていました。
軒先に堤燈がぶら下げてあって、風がそよぐごとに
ゆらりゆらりとなびくのです。
風鈴も良いけれど、堤燈もまた一興。

岐阜公園へ着いて、ベンチで休んでいました。
すると日傘を差したおばあさんが私の前と通りかかり、
「おはようございます。」と。
私も「おはようございます。」と返す。
なんか、いいですね。
見ず知らずの土地で、あいさつを交わすことって。

オススメいただいた岐阜歴史博物館を見学しました。
体験型のミュージアム、土器のパズルや浮世絵の刷り体験、
楽市楽座の街並みを再現・・・。
詳細を書くと、長々となりそうなので、やめておきますが、
刷り体験は随分参考になりました。
(すぅさん、ありがとうございました!!)

帰りは、「長良川通り」を歩き、また仕事へ。

初めての岐阜、しかも出張で気疲れもしましたが、
今度はプライベートで行ってみたい街でした。





岐阜 2

2007-06-16 20:06:54 | Weblog
多治見での仕事は無事に終わる。
再び多治見駅へ戻ると、
大勢の高校生で占められていた。
男は長袖を肘までまくって、額から汗を流し、
女はハンカチを団扇の代わりに扇いでいる。
それほど、この日は暑かった。

名古屋から岐阜へ電車を乗り換えて、
宿泊先のホテルを目指す。

電車が岐阜市付近まで差し掛かると、車内から岐阜城が見えた。
新緑の山と同化していて、目を凝らさないと気が付かない。
遠くから臨む岐阜城は、意外に小さくて、なんだか模型のように
見えなくもなかった。

ホテルで荷物を降ろすと、時は既に7時。
夜の岐阜を散歩しようと思ったが、日中のけだるい暑さと
出張での気疲れがたまっていて、近くで食事をすることにした。

私は店で焼酎を飲んだ。
少し舌にひりりと刺激がある。
刺激がなくては、お酒を飲んだ気がしない。
全くこまった性分だ。

酔いもまわり、私がカウンター席にいたこともあって、
マスターと私は他愛もない会話をした。
「岐阜は、すぐそばに名古屋があるから、
 みんなそっちへ行ってしまって、すっかり
 廃れてしまったのですよ。」
どこの街も同じだと思った。

ホテルに戻り、ベッドであおむけになって、
目をつぶっていると、マスターの言葉が
ずっと頭の中で連続して聞こえてくる。
「廃れてしまったのですよ。」

私はいつの間にか寝入ってしまった。

岐阜 1

2007-06-13 21:18:04 | Weblog
朝五時に起床する。
まだカーテン越しに入る外光は弱い。
シャワーを浴びたあと、熱いコーヒーを飲む。

玄関を出ると、路面が濡れている。
昨夜、雨が降ったらしい。
往来にはジョギングや犬の散歩をする人が多々見られた。
もう一日は始まっているのだと実感する。

東京駅は、相変わらず大勢の人間でひしめき合っている。
東京という土地が、人を集める理由はなんだろうか。
首都だから?それはなんだか淋しい回答だ。

東海道新幹線で、名古屋まで行く。
名古屋も人で賑わう。
しかし、どこか東京よりは安心感がある。
往来を歩く人も、なんだか華やかな感じがする。
商業の街であることが、根本にあるのかどうかわからない。

多治見で下車したが、まだ待ち合わせの時間まで
大分余裕があったので、土岐川の川べりを歩いてみた。
川は独特の音色がある。清涼感がある。
海にはない、さわやかさを肌に感じる。
橋の上を歩くと、涼しい南風が吹き抜ける。
こういう暑い日には、涼しい風が何よりの救いである。
人間は、自然と共に生きることがやはり肝要であると思う。
疲れたとき、発想に行き詰まりを感じたとき、
クーラーの風が人の心地を良くしてくれるだろうか。
否。私は安らぎがある自然の風を愛する。


ようやく

2007-06-12 22:09:41 | Weblog
岐阜から戻りました。
もうへとへとに疲れています。

果たして、岐阜はどうだったのか?
感想は明日書きます。

今日はもう起きていられません・・・。
寝てしまいます!
おやすみなさい。

いよいよ・・・

2007-06-10 21:30:10 | Weblog
岐阜行きが近づいて参りました。
明日、朝一番で旅立ちます。

長距離電車に備えて、文庫本サイズの小説を2冊、
フリーノート1冊をかばんへ入れる。

すでに緊張気味。
昨年の冬に倉敷へ行ったのだから、それほど
岐阜へ行くのに緊張しないはずなのですが、
プライベートと仕事の差がここにあるのかもしれませんね(苦笑)

泊りがけですので、仕事が終わった後は、
少しゆっくり岐阜市内を散策してみたいと思います。

『川釣り』を読む

2007-06-09 21:15:58 | Weblog
近頃、井伏鱒二に夢中になって、
彼の著作ばかり読んでいます。

『川釣り』は、井伏鱒二が「川釣り」について
書いた随筆集。
井伏は大変釣りが好きであったらしく(海釣りは
好まなかったよう)、釣りを通して出会った人々や
出来事が、生き生きと描かれています。

親友太宰治と旅館へ泊まり、洪水で死にかけた話、
テグスを忘れた青年2人にからまれて、頭の毛を抜かれた話
などなど、とても読みやすくて楽しめる短篇が凝縮されています。

私は、といいますと、父親の影響で子供のときには
海釣りをよくしたものですが、ここ数年はまったくしていません。
(釣った魚は天ぷらにして食べましたが、料理をする母は
 生臭さが部屋にこもるので、あまりいい顔をしませんでしたね)
殊、川釣りにいたっては近くに川がなかったせいもあって、
一度もしたことがないのです。

川釣りはやりませんが、その魅力は井伏小説で充分に堪能できました。

目まぐるしく変わる天気

2007-06-07 22:17:48 | Weblog
日中は蒸し暑い!
美術館内も少し温度、湿度が上昇してきたので、
温湿度管理に気をつける時期になりました。

「美術館に勤務していると、夏も涼しくてよいね」
ときどき、友人にそんなことを言われます。
確かに夏は涼しくて快適です(展示室だけは)
快適なので、たくさんお客様がいらっしゃると
良いのですけれど。

さて、日中はあれほど蒸し暑かったにもかかわらず、
夕方頃から曇りだし、空は異様な暗さに。
そう思ったら、ものすごい雨が降ってきました。
帰ろうと思った矢先の出来事で、これは運が悪かった!
傘はまったく役に立たず、スーツも革靴も全てびしょぬれ。
おまけに雷までとどろき、弱り目に祟り目でした。

明日も雨の模様。
この時期は天気が変わりやすいですね。
美術館の温湿度管理も大変です。

出張は岐阜県

2007-06-06 21:57:04 | Weblog
作品調査のため、来週月、火曜日と岐阜県へ行くことが決まりました。
岐阜へはこれまで行ったことがなく・・・。

岐阜県といえば、真っ先にイメージするのが「岐阜城」(渋い!)
織田信長が、天下布武の足がかりとした城ですよね。
その他、城では大垣、郡上八幡あたりが有名でしょうか。

さて、城以外となると・・・焼物が盛んであることとか、
それくらいのぼんやりとしたイメージしかないのです。

宿は岐阜で取ろうか、名古屋で取ろうか、迷い中。
岐阜にしろ、名古屋にしろ、行った事がないところなので、
今からすでに緊張しているのでした。


久し振りの読書三昧

2007-06-05 21:47:56 | Weblog
朝起きると、どうも鼻が痛い。
風邪の前兆でしょうか?

今日は休みだったので、家でのんびり本を読んでいました。
『土佐日記』
 紀貫之作でおなじみですよね。
 土佐(高知県)から京へ向かう旅日記なわけですが、
 時化や物忌み、海賊の恐怖などがあって、一ヶ月以上
 要することになります。
 今は随分便利な時代になったのだな、と改めて感じます。
 美しい景観は失ったけれど・・・。
『山椒魚・遥拝隊長 他七篇』
 井伏鱒二の作です。
 岩屋から逃れられなくなった山椒魚にかわいそうになったり、
 夜中に突然血だらけの男が現れたり、校則違反で生徒が
 連れて行かれたり・・・真面目な文章に、独特のユーモアが加えられて、
 とても楽しめました。
『思い出す事など 他七篇』
 文豪夏目漱石です。吐血し、九死に一生を得た漱石が、
 病をきっかけに自分自身と向き合った随筆集。
 吐血の様子が生々しい・・・。でも漱石の文章は、ことの重大さを
 感じさせず、むしろ他人事のように書いています。
 『吾輩は猫である』や『坊っちゃん』などとはむろん違って、
 どことなく寂しさを感じさせます。

久し振りに読書が楽しめた一日でした。