語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【読書余滴】寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか

2010年03月03日 | エッセイ
 結論からいうと、寛容は不寛容に対しても寛容であるべきだ、とこのエッセイはいう。

 例証として、まずローマ帝国のキリスト教対策をあげる。
 ローマ帝国は宗教に対して寛容だった。しかし、ローマ社会の寛容を脅かす不寛容なキリスト教に対しては、ローマ帝国の宗教的寛容を保つために迫害した。
 もっとも、後年のキリスト教界の宣伝にもかかわらず、大きな迫害はただ1回あったにすぎない。ローマ帝国内では公的には禁じられていたが、教会はおおっぴらに組織された。

 不寛容は、キリスト教の側にはなはだしかった。中世、16世紀を通じて、苛酷な異端審判や宗教改革をめぐる酸鼻な宗教戦争はおそるべき酷薄さを発揮した。「この酷薄さは、春秋の筆法を借りれば、ローマの誤った不寛容によって鍛えられたものと言えるかもしれない」

 ようやくルネッサンス期に、不寛容を愚劣と考える「噴出孔」があらわれた。
 キリスト教界では、ジャン・カルヴァンの同志セバスチャン・カステリョンである。彼は、1554年、「異端者には教会の内部の制裁は加えられてもいたし方がないが、現世の権力を用いて、逮捕したり死罪にしたりするのはいけない」という「異端の権利」を認知した。
 しかし、カステリョンはカルヴァン派によって、獅子身中の虫と断罪された。

 渡辺一夫は、さらに16世紀後半のフランス宰相ミシェル・ド・ロピタルやその友モンテーニュのケースを詳述するのだが、はしょって、話は一気に現代にとぶ。
 米国の「ロジカ・シュウィンマー事件」(1929年)における最高裁判決で、判事オリバー・ウェンデル・ホームズは次のように書いた(以下、孫引き)。「我々と同じ意見を持っている人のための思想の自由ではなしに、我々の憎む思想のためにも自由を与えることが大事である」

 かくして、冒頭の結論にもどる。
 すなわち、人間の想像力と利害打算を信じるかぎり、寛容は結局不寛容に勝つ。現実には不寛容が厳然と存在するが、我々はそれを激化させないように努力しなければならない。「争うべからざることのために争ったということを後になって悟っても、その間に倒れた犠牲は生きかえってはこない」

 このエッセイの結論は、渡辺一夫が学んだルネッサンス文芸とその時代から導きだしたものだろう。そして、渡辺一夫自身が生きた動乱の時代から読みとったものでもあるだろう。
 ちなみに、このエッセーは、1951年に、朝鮮戦争勃発の翌年に書かれた。

 2003年イラク進攻にあたり、当時の大統領ジョージ・W・ブッシュは「十字軍」と口ばしって、アラブ世界を憤慨させた。ブッシュに寛容の精神はひとカケラもなかったのはたしかである。そして、不寛容はさらなる不寛容を生んだ。

□渡辺一夫『寛容(トレランス)は自らを守るために不寛容(アントレランス)に対して不寛容(アントレラン)になるべきか』(『渡辺一夫著作集第11巻 偶感集(中巻)』、筑摩書房、1970、所収)
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