名だたる碩学、読み巧者が3人、千年間にわたる芸術作品の中からベスト100を選んだ。文学者たちによる選考だが、作品は文学に限定されない。舞台芸術、音楽、絵画、映画、建築にも選択の範囲はおよぶ。
鼎談で、まず候補作品を絞りこみ、ひとまずリストができあがってから、さらに削った。この作業が読んでいて楽しい。自分なら何を選ぶか、あるいは捨てるか。
3人の選択に対する異論もちゃんと収録されている。E・G・サイデンステッカーと張競の2名による異議である。
前者は、「リストの偏り」と題して、候補を絞り込む過程と、絞り込んだ100作品を語り合う鼎談も含めて、リストがたいへん日本的だ、と指摘する。作品数のもっとも多いのがフランス、ついで日本で、日本を除いたアジアから2作品しか選ばれていない。英米人によるリストなら必ずとりあげられる作品が漏れている。ディケンズ、オースティン、マーク・トゥエンの作品が選ばれていないし、イェイツにひとことも言及がない、うんぬん。
もっとも、サイデンステッカー自身が言うように、この手の選択は「偏り」自体を楽しめばよいのだ。すなわち、丸谷才一、三浦雅士、鹿島茂の3人の選び方を味わえばよいし、それで十分なのだ。
したがって、選択された結果をうんぬんするよりも、最終的な選択にいたる過程に注目したい。
たとえば、戦争ものという基準から、まず『平家物語』がとりあげられ、13世紀ということで『ローランの歌』が、ついで社会通念を考慮して『戦争と平和』が候補作となる。ナポレオン戦争から『赤と黒』『パルムの僧院』がとりあげられ、19世紀フランス文学における戦争ものの欠如が指摘される。20世紀に移って、ノーマン・メイラーもレマルクも名だけはあがるのだが、一顧だにされない。戦争の雰囲気が描かれるということでトーマス・マン、さらにマルローとヘミングウェイの名があがる。反戦文学としての江戸川乱歩『芋虫』、戦争後遺症文学としての『チャタレイ夫人』、といった独特の切りこみ方がある。丸谷才一『笹まくら』にも敬意が評され(徴兵拒否文学かしら?)、そして当然ながら『野火』『俘虜記』『レイテ戦記』も話題になる。
結局、候補作として『平家物語』と『戦争と平和』が残されるのだが、当然ながら大岡昇平ファンとしては異議をとなえたい。
異議はさておき、選択にいたるまでの議論を読んでいると、時空を超えて旅した思いがする。
選択された100作品は、巻末に、各作品につき1頁がわりふられていて、識者が解説する。いや、解説というよりも作品をだしにしたエッセイもある。南伸坊による『鳥獣戯画』など、作品と紹介者との意外な組み合わせがあって、これまた興趣をます。
たとえば、『千一夜』を解説するのは丸谷才一。
千という極めて多い数字に一が加わることで無限が与えられたように感じる、と分析したボルヘス説を紹介する。さらに、代表的な名編『アラジンと魔法のランプ』『アリババと四十人の盗賊』はガラン訳に突然あらわれた作品であって、アラビア語の原典が見つからない、2編とも原典が発見されたと信じられたけれども、「最近の写本研究によって、いづれもガランのフランス語訳からアラビア語に直されたものと判明したのである。最上の部分の出典が杳として知れない。奇譚の集大成を飾るにふさわしい文学史的挿話と言へよう」
丸谷才一らしいオチである。
読者は、読書案内として本書にアクセスしてもよい。文学史、芸術史を下敷きにした豪勢な遊びと心得てもよい。
著者たちの「偏り」が許されるならば、読者の「偏り」も許容されるはずだ。著者たちとは違った選択を考えながら読むと、いっそう興趣が湧く。本書では絵画も映画もとりあげられているのに写真集が無視されているのは妙だ、ひとつ、キャパのために弁護しなくちゃ、というように。
□丸谷才一・三浦雅士・鹿島茂『千年紀のベスト100作品を選ぶ』(講談社、2001)
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鼎談で、まず候補作品を絞りこみ、ひとまずリストができあがってから、さらに削った。この作業が読んでいて楽しい。自分なら何を選ぶか、あるいは捨てるか。
3人の選択に対する異論もちゃんと収録されている。E・G・サイデンステッカーと張競の2名による異議である。
前者は、「リストの偏り」と題して、候補を絞り込む過程と、絞り込んだ100作品を語り合う鼎談も含めて、リストがたいへん日本的だ、と指摘する。作品数のもっとも多いのがフランス、ついで日本で、日本を除いたアジアから2作品しか選ばれていない。英米人によるリストなら必ずとりあげられる作品が漏れている。ディケンズ、オースティン、マーク・トゥエンの作品が選ばれていないし、イェイツにひとことも言及がない、うんぬん。
もっとも、サイデンステッカー自身が言うように、この手の選択は「偏り」自体を楽しめばよいのだ。すなわち、丸谷才一、三浦雅士、鹿島茂の3人の選び方を味わえばよいし、それで十分なのだ。
したがって、選択された結果をうんぬんするよりも、最終的な選択にいたる過程に注目したい。
たとえば、戦争ものという基準から、まず『平家物語』がとりあげられ、13世紀ということで『ローランの歌』が、ついで社会通念を考慮して『戦争と平和』が候補作となる。ナポレオン戦争から『赤と黒』『パルムの僧院』がとりあげられ、19世紀フランス文学における戦争ものの欠如が指摘される。20世紀に移って、ノーマン・メイラーもレマルクも名だけはあがるのだが、一顧だにされない。戦争の雰囲気が描かれるということでトーマス・マン、さらにマルローとヘミングウェイの名があがる。反戦文学としての江戸川乱歩『芋虫』、戦争後遺症文学としての『チャタレイ夫人』、といった独特の切りこみ方がある。丸谷才一『笹まくら』にも敬意が評され(徴兵拒否文学かしら?)、そして当然ながら『野火』『俘虜記』『レイテ戦記』も話題になる。
結局、候補作として『平家物語』と『戦争と平和』が残されるのだが、当然ながら大岡昇平ファンとしては異議をとなえたい。
異議はさておき、選択にいたるまでの議論を読んでいると、時空を超えて旅した思いがする。
選択された100作品は、巻末に、各作品につき1頁がわりふられていて、識者が解説する。いや、解説というよりも作品をだしにしたエッセイもある。南伸坊による『鳥獣戯画』など、作品と紹介者との意外な組み合わせがあって、これまた興趣をます。
たとえば、『千一夜』を解説するのは丸谷才一。
千という極めて多い数字に一が加わることで無限が与えられたように感じる、と分析したボルヘス説を紹介する。さらに、代表的な名編『アラジンと魔法のランプ』『アリババと四十人の盗賊』はガラン訳に突然あらわれた作品であって、アラビア語の原典が見つからない、2編とも原典が発見されたと信じられたけれども、「最近の写本研究によって、いづれもガランのフランス語訳からアラビア語に直されたものと判明したのである。最上の部分の出典が杳として知れない。奇譚の集大成を飾るにふさわしい文学史的挿話と言へよう」
丸谷才一らしいオチである。
読者は、読書案内として本書にアクセスしてもよい。文学史、芸術史を下敷きにした豪勢な遊びと心得てもよい。
著者たちの「偏り」が許されるならば、読者の「偏り」も許容されるはずだ。著者たちとは違った選択を考えながら読むと、いっそう興趣が湧く。本書では絵画も映画もとりあげられているのに写真集が無視されているのは妙だ、ひとつ、キャパのために弁護しなくちゃ、というように。
□丸谷才一・三浦雅士・鹿島茂『千年紀のベスト100作品を選ぶ』(講談社、2001)
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