語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

書評:『林檎の木』

2010年03月28日 | 小説・戯曲
 大学を出てまもない主人公アシャーストは、徒歩旅行の途上で脚を痛め、たまたま出会ったミーガンの家を宿とする。所用をかかえた連れは翌日出立するが、アシャーストは引き続き滞在する。気だてのよい自然児ミーガンとじょじょに深まる交情。二人して新生活を築く決意をした。そのための買い物にひとり出かけた町で、アシャーストは避暑中の旧友と出会う。階級、教養と生活習慣を同じくする旧友とその妹ステラたち。図らずもよしみを深めるうちに、ミーガンの待つ農場に帰れなくなったことをアシャーストは自覚する。なん日かたって、彼は、ミーガンが主人を見失った小犬のようにためらい、戸惑い、行きかう人々の顔をのぞきこむように、哀れな様子で歩いているさまを目撃した。
 銀婚式の日、アシャーストは見覚えのある荒地(ムーア)を通りかかり、妻ステラがスケッチしている間に、見覚えのある光景を目にして、青春の一時期の記憶がよみがえった。十字路に小さな墓があった。教会に受け入れてもらえない者の墓である。土地の古老が苦痛にみちた眼で思い出を語った。アシャーストは、20年後にしてようやくミーガンの末路を知ったのである・・・・。

 主人公に感情移入し、アシャーストの立場にたてば、たまゆら抱いた慚愧の念は、青春の甘味な思い出のほうが優位にたって、感傷に流されてしまうし、それでもさしつかえない。
 しかし、ミーガンや古老の立場にたてば、見方がガラッとちがってくる。厳然とそそりたつ階級の壁、これが大きい。壁の内側からフラフラと外にでて、いい気な、しかも一貫しない善意によって自分たちの心を攪乱したアシャーストは断罪されるべき者だ。もっとも、ミーガンも古老も人がよくて、アシャーストを非難する気はさらさらなかったみたいなのだが、それはまたそれで切ない。
 英国では、異なる階級のあいだを移動することはまずないらしい。アシャーストは、それを知っていたはずだが、若さと旅先の解放感で、ついフラフラと甘い見とおしを抱くにいたったわけだ。ミーガンは、異なる階級間の移動困難は、たぶん知らなかったにちがいない。無垢は無知である。そして、アシャーストの一瞬の忘我とミーガンの無知から事故が発生した。そう、二人の若者の無知が結果したものは、事故と呼ぶしかない。ただ、事故によって被害をうけるのは常に弱い階級に属する者である。上の階級の者は、せいぜいハートがちょっぴり傷つくくらいですむ。

□ジョン・ゴールズワージイ(三浦新市訳)『林檎の木』(角川文庫、1956)
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【読書余滴】支配する者は支配する相手によって支配される

2010年03月28日 | エッセイ
 ジョージ・オーウェル(1903-1950)は、自分の目で見たものを自分の頭で考える人だ。借り物の思想に依りかからない。その分、苦渋が滲みでる。自分に権限がないから責任はないものの、かといってまったく責任がないとも言えないものの矛盾も見えてくるのだから。
 比較的初期の「象を撃つ」(1936)にすでにオーウェル的特徴が示される。

 この小説ともエッセイともつかぬ作品(ヌエ的なところがオーウェルらしい)は、ビルマで警官を勤めた体験をもとにしている。
 当時オーウェルは、頭では大英帝国の圧制を嫌ってビルマ人に味方していた。
 反面、感情的には帝国主義の手先である警官、つまり自分を憎むビルマ人を嫌っていた。
 ある日、象が暴れてドラヴィダ族の苦力が死んだ。知らせを受けて、オーウェルはライフルをかついで駆けつけた。
 もはや象はおとなしくなって草を食べていたから、撃つ必要はなさそうであった。
 しかし、背後に群衆が続々とつめ寄せ、すでに2千人になろうとしていた。群衆の期待するところは明かであった。

 ここで忽然とオーウェルは悟る。
 「原住民」を支配する白人の旦那は、「原住民」の期待にこたえ、感心させる行動をとらなくてはならない定めにあるのだ、と。
 さもなくば群衆は嘲るだろう。「東洋にいる白人の生活のすべては、ひたすら嘲られまいがための戦いだったのである」

 支配する者は、支配する相手によって支配される。
 支配される、というより、がんじがらめに縛られる、と言ったほうがよさそうだが、とにかくこの逆説をオーウェルは象を撃つにあたって発見した。かといって英国の植民地政策を正当化しているわけでは、無論、ない。
 ただ、それまで彼が抱懐していた「帝国主義は悪だ」に、複雑なニュアンスが加わった。
 オーウェルの複雑さは、彼が歳をとるにつれていっそう陰翳を増していく。

□ジョージ・オーウェル(小野寺健訳)『象を撃つ』(『オーウェル評論集』、岩波文庫、1982、所収)
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