大学を出てまもない主人公アシャーストは、徒歩旅行の途上で脚を痛め、たまたま出会ったミーガンの家を宿とする。所用をかかえた連れは翌日出立するが、アシャーストは引き続き滞在する。気だてのよい自然児ミーガンとじょじょに深まる交情。二人して新生活を築く決意をした。そのための買い物にひとり出かけた町で、アシャーストは避暑中の旧友と出会う。階級、教養と生活習慣を同じくする旧友とその妹ステラたち。図らずもよしみを深めるうちに、ミーガンの待つ農場に帰れなくなったことをアシャーストは自覚する。なん日かたって、彼は、ミーガンが主人を見失った小犬のようにためらい、戸惑い、行きかう人々の顔をのぞきこむように、哀れな様子で歩いているさまを目撃した。
銀婚式の日、アシャーストは見覚えのある荒地(ムーア)を通りかかり、妻ステラがスケッチしている間に、見覚えのある光景を目にして、青春の一時期の記憶がよみがえった。十字路に小さな墓があった。教会に受け入れてもらえない者の墓である。土地の古老が苦痛にみちた眼で思い出を語った。アシャーストは、20年後にしてようやくミーガンの末路を知ったのである・・・・。
主人公に感情移入し、アシャーストの立場にたてば、たまゆら抱いた慚愧の念は、青春の甘味な思い出のほうが優位にたって、感傷に流されてしまうし、それでもさしつかえない。
しかし、ミーガンや古老の立場にたてば、見方がガラッとちがってくる。厳然とそそりたつ階級の壁、これが大きい。壁の内側からフラフラと外にでて、いい気な、しかも一貫しない善意によって自分たちの心を攪乱したアシャーストは断罪されるべき者だ。もっとも、ミーガンも古老も人がよくて、アシャーストを非難する気はさらさらなかったみたいなのだが、それはまたそれで切ない。
英国では、異なる階級のあいだを移動することはまずないらしい。アシャーストは、それを知っていたはずだが、若さと旅先の解放感で、ついフラフラと甘い見とおしを抱くにいたったわけだ。ミーガンは、異なる階級間の移動困難は、たぶん知らなかったにちがいない。無垢は無知である。そして、アシャーストの一瞬の忘我とミーガンの無知から事故が発生した。そう、二人の若者の無知が結果したものは、事故と呼ぶしかない。ただ、事故によって被害をうけるのは常に弱い階級に属する者である。上の階級の者は、せいぜいハートがちょっぴり傷つくくらいですむ。
□ジョン・ゴールズワージイ(三浦新市訳)『林檎の木』(角川文庫、1956)
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銀婚式の日、アシャーストは見覚えのある荒地(ムーア)を通りかかり、妻ステラがスケッチしている間に、見覚えのある光景を目にして、青春の一時期の記憶がよみがえった。十字路に小さな墓があった。教会に受け入れてもらえない者の墓である。土地の古老が苦痛にみちた眼で思い出を語った。アシャーストは、20年後にしてようやくミーガンの末路を知ったのである・・・・。
主人公に感情移入し、アシャーストの立場にたてば、たまゆら抱いた慚愧の念は、青春の甘味な思い出のほうが優位にたって、感傷に流されてしまうし、それでもさしつかえない。
しかし、ミーガンや古老の立場にたてば、見方がガラッとちがってくる。厳然とそそりたつ階級の壁、これが大きい。壁の内側からフラフラと外にでて、いい気な、しかも一貫しない善意によって自分たちの心を攪乱したアシャーストは断罪されるべき者だ。もっとも、ミーガンも古老も人がよくて、アシャーストを非難する気はさらさらなかったみたいなのだが、それはまたそれで切ない。
英国では、異なる階級のあいだを移動することはまずないらしい。アシャーストは、それを知っていたはずだが、若さと旅先の解放感で、ついフラフラと甘い見とおしを抱くにいたったわけだ。ミーガンは、異なる階級間の移動困難は、たぶん知らなかったにちがいない。無垢は無知である。そして、アシャーストの一瞬の忘我とミーガンの無知から事故が発生した。そう、二人の若者の無知が結果したものは、事故と呼ぶしかない。ただ、事故によって被害をうけるのは常に弱い階級に属する者である。上の階級の者は、せいぜいハートがちょっぴり傷つくくらいですむ。
□ジョン・ゴールズワージイ(三浦新市訳)『林檎の木』(角川文庫、1956)
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