語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

書評:『B面の夏』

2010年03月29日 | 詩歌
 著者は、俳人黛執の娘。1983年、フェリス女学院短期大学卒業。富士銀行勤務時代に杉田久女を知り、俳句の道に足を踏みいれた。1988、「東京きものの女王」賞受賞。1990、俳句結社「河」に入会。1994年、角川俳句賞奨励賞受賞。同年、処女句集『B面の夏』出版。
 本書は、その文庫版である。タイトルは、「旅終へてよりB面の夏休」から採られたらしい。

 あとがきによれば、句集の文庫化は20数年ぶりのよし。句集は売れないものと相場が決まっているが、売れる句集もあるのだ。歌集では『サラダ記念日』が爆発的な人気を得たように。
 なにしろ、著者は美貌の持ち主である。美人が恋をうたい、失恋をうたう。売れないはずがない。しかも、その恋たるや不倫である。不倫は世代を特定しないから、読者層を限定しない。ますます売れる、という構図だ。

 せっかく逢っても言いたいことが言えないもどかしさ、会いたくても会えないいらだちを十七文字に定着した、と著者は述懐する。「別のこと考えてゐる遠花火」「水着選ぶいつしか彼の眼となつて」。
 中には、たまゆらの逢瀬の喜びもある。「星涼しここにあなたのゐる不思議」「夜光虫いつしかふたりとなつてゐし」。
 概しておとなしい詠みようで、小説の中の一行ならば生きてくるが、詩としてはいささか弱い。受け身の立場、待つ女となった宿命か。ただし、名高い「遠雷や夢の中まで恋をして」には一途な激しさがあり、「会いたくて逢いたくて踏む薄氷」の薄氷が象徴するものは複雑だ。

 季語とがっぷり四つに組んだ句も見られる。「夕焼の中に脱ぐもの透きとほる」には恋の残照があるが、「しばらくは揺らして含むさくらんぼ」「蓑虫の天より降りて来しごとく」は季そのものに迫る。この先に「寒紅のいきなり罵声浴びせたる」の特異な句が生まれる。
 「ふららこや恋を忘れるための恋」は、ある情念は別のより強い情念によってのみ乗り越えられる、というスピノザ哲学の実践である。

 自分自身を救済しよう、と富永太郎は独り言ちた。
 著者もまた、表現/創造によって自分自身の救済が・・・・たぶん、可能になったのだろう、と思う。

□黛まどか『B面の夏』(角川文庫、1996)
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【言葉】苦しい思いをどう克服するか

2010年03月29日 | 心理
 感情は、それと正反対の、しかもその感情よりもっと強力な感情によらなければ抑えることも除去することもできない。

【出典】スピノザ(畠中尚志訳 )『エチカ』(岩文庫、1951)第4部定理7
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