著者は、俳人黛執の娘。1983年、フェリス女学院短期大学卒業。富士銀行勤務時代に杉田久女を知り、俳句の道に足を踏みいれた。1988、「東京きものの女王」賞受賞。1990、俳句結社「河」に入会。1994年、角川俳句賞奨励賞受賞。同年、処女句集『B面の夏』出版。
本書は、その文庫版である。タイトルは、「旅終へてよりB面の夏休」から採られたらしい。
あとがきによれば、句集の文庫化は20数年ぶりのよし。句集は売れないものと相場が決まっているが、売れる句集もあるのだ。歌集では『サラダ記念日』が爆発的な人気を得たように。
なにしろ、著者は美貌の持ち主である。美人が恋をうたい、失恋をうたう。売れないはずがない。しかも、その恋たるや不倫である。不倫は世代を特定しないから、読者層を限定しない。ますます売れる、という構図だ。
せっかく逢っても言いたいことが言えないもどかしさ、会いたくても会えないいらだちを十七文字に定着した、と著者は述懐する。「別のこと考えてゐる遠花火」「水着選ぶいつしか彼の眼となつて」。
中には、たまゆらの逢瀬の喜びもある。「星涼しここにあなたのゐる不思議」「夜光虫いつしかふたりとなつてゐし」。
概しておとなしい詠みようで、小説の中の一行ならば生きてくるが、詩としてはいささか弱い。受け身の立場、待つ女となった宿命か。ただし、名高い「遠雷や夢の中まで恋をして」には一途な激しさがあり、「会いたくて逢いたくて踏む薄氷」の薄氷が象徴するものは複雑だ。
季語とがっぷり四つに組んだ句も見られる。「夕焼の中に脱ぐもの透きとほる」には恋の残照があるが、「しばらくは揺らして含むさくらんぼ」「蓑虫の天より降りて来しごとく」は季そのものに迫る。この先に「寒紅のいきなり罵声浴びせたる」の特異な句が生まれる。
「ふららこや恋を忘れるための恋」は、ある情念は別のより強い情念によってのみ乗り越えられる、というスピノザ哲学の実践である。
自分自身を救済しよう、と富永太郎は独り言ちた。
著者もまた、表現/創造によって自分自身の救済が・・・・たぶん、可能になったのだろう、と思う。
□黛まどか『B面の夏』(角川文庫、1996)
↓クリック、プリーズ。↓
本書は、その文庫版である。タイトルは、「旅終へてよりB面の夏休」から採られたらしい。
あとがきによれば、句集の文庫化は20数年ぶりのよし。句集は売れないものと相場が決まっているが、売れる句集もあるのだ。歌集では『サラダ記念日』が爆発的な人気を得たように。
なにしろ、著者は美貌の持ち主である。美人が恋をうたい、失恋をうたう。売れないはずがない。しかも、その恋たるや不倫である。不倫は世代を特定しないから、読者層を限定しない。ますます売れる、という構図だ。
せっかく逢っても言いたいことが言えないもどかしさ、会いたくても会えないいらだちを十七文字に定着した、と著者は述懐する。「別のこと考えてゐる遠花火」「水着選ぶいつしか彼の眼となつて」。
中には、たまゆらの逢瀬の喜びもある。「星涼しここにあなたのゐる不思議」「夜光虫いつしかふたりとなつてゐし」。
概しておとなしい詠みようで、小説の中の一行ならば生きてくるが、詩としてはいささか弱い。受け身の立場、待つ女となった宿命か。ただし、名高い「遠雷や夢の中まで恋をして」には一途な激しさがあり、「会いたくて逢いたくて踏む薄氷」の薄氷が象徴するものは複雑だ。
季語とがっぷり四つに組んだ句も見られる。「夕焼の中に脱ぐもの透きとほる」には恋の残照があるが、「しばらくは揺らして含むさくらんぼ」「蓑虫の天より降りて来しごとく」は季そのものに迫る。この先に「寒紅のいきなり罵声浴びせたる」の特異な句が生まれる。
「ふららこや恋を忘れるための恋」は、ある情念は別のより強い情念によってのみ乗り越えられる、というスピノザ哲学の実践である。
自分自身を救済しよう、と富永太郎は独り言ちた。
著者もまた、表現/創造によって自分自身の救済が・・・・たぶん、可能になったのだろう、と思う。
□黛まどか『B面の夏』(角川文庫、1996)
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