小・中学生時代に読んで、大人になってからも再読できる本は、あまり多くない。本書は、その例外的な、大人の鑑賞にたえる児童文学だ。
11歳の少年の1年間の記録である。とりたてて筋らしい筋はない。
いや、そう片づけてしまうこと自体、老化のきざしかもしれない。
少年の目から見れば、起伏に満ちた日々なのだ。樹上で冒険小説に読みふけり、居間でカヌーをコツコツとこしらえる。あるいは、湖でホイッパーウィル(夜鷹の一種)の鳴き声を聞き、杉林の奥の清流で鱒を釣る。町ぐるみのピクニック、親戚の農場における2週間。そして、クリスマス。母は亡く、兄は出征し、長姉は別に家庭をいとなむから、すこし寂しいけれども、次姉は帰省する。いっときの華やぎ。プレゼントのスケートで、さっそく氷原を疾走する。こうした日々、傍らには常にアライグマのラスカル(やんちゃ坊主)がいた。
少年の心は、現在から現在へさまよう。その軌跡をたんねんにたどる点で、本書は散文よりは詩に近い。詩は、舞踊に似ている。ゴールへ到達することより、過程それ自体が命である。
だが、時は容赦なく流れる。
少年はまだ少年のままだが、ラスカルは赤んぼうから成獣へと成長していく。だんだんとラスカルは落ち着かなくなる。家族の一員となって1年後、少年はラスカルを自然へ返す。少年よりも異性を選んだことを当然だと理解しながらも、割りきれない。「ぼくらの最後に別れた場所から、たまらない気持ちではなれていった」
自然との燦めく交感、動物たちとの交情。少年をして自然との交歓を夢みさせ、大人をして蠱惑的な幼い日々を思い起こさせる。
著者は、1906年生、北米ウィスコンシン州コシュコノング湖畔の産、シカゴ大卒後ジャーナリストとなった。『ラスカル』(1963)は、ダットン動物文学賞、アメリカ図書館協会オーリアンヌ賞を受賞した。ディズニー・プロによる映画化のほか、本邦のフジテレビ系でアニメ化された。
□スターリング・ノース(亀山龍樹訳)『はるかなるわがラスカル』(小学館ライブラリー、1994)
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11歳の少年の1年間の記録である。とりたてて筋らしい筋はない。
いや、そう片づけてしまうこと自体、老化のきざしかもしれない。
少年の目から見れば、起伏に満ちた日々なのだ。樹上で冒険小説に読みふけり、居間でカヌーをコツコツとこしらえる。あるいは、湖でホイッパーウィル(夜鷹の一種)の鳴き声を聞き、杉林の奥の清流で鱒を釣る。町ぐるみのピクニック、親戚の農場における2週間。そして、クリスマス。母は亡く、兄は出征し、長姉は別に家庭をいとなむから、すこし寂しいけれども、次姉は帰省する。いっときの華やぎ。プレゼントのスケートで、さっそく氷原を疾走する。こうした日々、傍らには常にアライグマのラスカル(やんちゃ坊主)がいた。
少年の心は、現在から現在へさまよう。その軌跡をたんねんにたどる点で、本書は散文よりは詩に近い。詩は、舞踊に似ている。ゴールへ到達することより、過程それ自体が命である。
だが、時は容赦なく流れる。
少年はまだ少年のままだが、ラスカルは赤んぼうから成獣へと成長していく。だんだんとラスカルは落ち着かなくなる。家族の一員となって1年後、少年はラスカルを自然へ返す。少年よりも異性を選んだことを当然だと理解しながらも、割りきれない。「ぼくらの最後に別れた場所から、たまらない気持ちではなれていった」
自然との燦めく交感、動物たちとの交情。少年をして自然との交歓を夢みさせ、大人をして蠱惑的な幼い日々を思い起こさせる。
著者は、1906年生、北米ウィスコンシン州コシュコノング湖畔の産、シカゴ大卒後ジャーナリストとなった。『ラスカル』(1963)は、ダットン動物文学賞、アメリカ図書館協会オーリアンヌ賞を受賞した。ディズニー・プロによる映画化のほか、本邦のフジテレビ系でアニメ化された。
□スターリング・ノース(亀山龍樹訳)『はるかなるわがラスカル』(小学館ライブラリー、1994)
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