丸谷才一『袖のボタン』(朝日新聞社、2007)は、朝日新聞2004年4月6日から2007年3月6日まで1年間寄稿したコラムの集成である。
うち、『新聞と読者』と題する一編はいう。
新聞は、4種類の人々の協力によって作られる。(1)新聞社の社員、(2)文筆業者、(3)広告関係者、(4)読者。
新聞を論じる際、(4)読者の寄与を見落としがちだが、丸谷才一は読者の投稿を読むのが好きで、ときどき拾い物がある。
しかし、投稿欄には自己身辺のことに材をとった感想文が多すぎる。私的、独白的、情緒的になりがちで、その抒情性において短歌俳句欄におとらないことがしばしばだ。
むしろ、新聞のニュース、写真、論説、コラム、評論などに対する賛否の反応を寄せるのが本筋ではないか。読者の同感や反論、批判や激励は紙面をにぎやかにし、(1)、(2)、(3)にとって参考になり((4)にも)、さらには社会を活気づけるなど、よいことづくめのはずだ。
イギリスの週間新聞は、読んだばかりの紙面をきっかけにして対話し、論証しようとする。(1)、(2)、(3)、(4)が共通の話題をめぐり論議をつくす点で、あの国の政治の雛形になっている。読者の投書には、住所と姓名があるだけで、年齢と職業は記していない。この慣例は、誰の言論も同格という原則を示しているし、読者も投稿しやすい。文章の長さは画一的でなく、長短とりどりで、必要ならたっぷり紙面が与えられるし、短くてすむものは数行で終わる。
民主政治は、血統や金力によるのではなく、言葉の力を重んじるという大前提があるにしても、日本の読書投稿欄がもっと充実し、甲論乙駁が盛んにおこなわれ、対話と論証の気風が世に高まれば、政治もおのずから改まり、他愛もない片言隻句を弄するだけの人物が人気を博することなどなくなるだろう。
丸谷才一らしいオチもついているのだが、これは略するとして、この論旨、まったく正論だ。
イギリスの新聞には、住所と姓名があるだけ、という点に注目したい。言論の正否は文章のなかみによる。どこの誰兵衛が男性であろうが女性であろうが、豆腐屋であろうが厚生労働省の事務次官であろうが、ハイティーンであろうが後期高齢者であろうが、議論の正否を判断するに当たってはどうでもよいことだ。
【参考】丸谷才一『袖のボタン』(朝日新聞社、2007)
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うち、『新聞と読者』と題する一編はいう。
新聞は、4種類の人々の協力によって作られる。(1)新聞社の社員、(2)文筆業者、(3)広告関係者、(4)読者。
新聞を論じる際、(4)読者の寄与を見落としがちだが、丸谷才一は読者の投稿を読むのが好きで、ときどき拾い物がある。
しかし、投稿欄には自己身辺のことに材をとった感想文が多すぎる。私的、独白的、情緒的になりがちで、その抒情性において短歌俳句欄におとらないことがしばしばだ。
むしろ、新聞のニュース、写真、論説、コラム、評論などに対する賛否の反応を寄せるのが本筋ではないか。読者の同感や反論、批判や激励は紙面をにぎやかにし、(1)、(2)、(3)にとって参考になり((4)にも)、さらには社会を活気づけるなど、よいことづくめのはずだ。
イギリスの週間新聞は、読んだばかりの紙面をきっかけにして対話し、論証しようとする。(1)、(2)、(3)、(4)が共通の話題をめぐり論議をつくす点で、あの国の政治の雛形になっている。読者の投書には、住所と姓名があるだけで、年齢と職業は記していない。この慣例は、誰の言論も同格という原則を示しているし、読者も投稿しやすい。文章の長さは画一的でなく、長短とりどりで、必要ならたっぷり紙面が与えられるし、短くてすむものは数行で終わる。
民主政治は、血統や金力によるのではなく、言葉の力を重んじるという大前提があるにしても、日本の読書投稿欄がもっと充実し、甲論乙駁が盛んにおこなわれ、対話と論証の気風が世に高まれば、政治もおのずから改まり、他愛もない片言隻句を弄するだけの人物が人気を博することなどなくなるだろう。
丸谷才一らしいオチもついているのだが、これは略するとして、この論旨、まったく正論だ。
イギリスの新聞には、住所と姓名があるだけ、という点に注目したい。言論の正否は文章のなかみによる。どこの誰兵衛が男性であろうが女性であろうが、豆腐屋であろうが厚生労働省の事務次官であろうが、ハイティーンであろうが後期高齢者であろうが、議論の正否を判断するに当たってはどうでもよいことだ。
【参考】丸谷才一『袖のボタン』(朝日新聞社、2007)
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