語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【読書余滴】新聞の投稿欄批判

2010年03月09日 | 批評・思想
 丸谷才一『袖のボタン』(朝日新聞社、2007)は、朝日新聞2004年4月6日から2007年3月6日まで1年間寄稿したコラムの集成である。
 うち、『新聞と読者』と題する一編はいう。

 新聞は、4種類の人々の協力によって作られる。(1)新聞社の社員、(2)文筆業者、(3)広告関係者、(4)読者。
 新聞を論じる際、(4)読者の寄与を見落としがちだが、丸谷才一は読者の投稿を読むのが好きで、ときどき拾い物がある。
 しかし、投稿欄には自己身辺のことに材をとった感想文が多すぎる。私的、独白的、情緒的になりがちで、その抒情性において短歌俳句欄におとらないことがしばしばだ。
 むしろ、新聞のニュース、写真、論説、コラム、評論などに対する賛否の反応を寄せるのが本筋ではないか。読者の同感や反論、批判や激励は紙面をにぎやかにし、(1)、(2)、(3)にとって参考になり((4)にも)、さらには社会を活気づけるなど、よいことづくめのはずだ。
 イギリスの週間新聞は、読んだばかりの紙面をきっかけにして対話し、論証しようとする。(1)、(2)、(3)、(4)が共通の話題をめぐり論議をつくす点で、あの国の政治の雛形になっている。読者の投書には、住所と姓名があるだけで、年齢と職業は記していない。この慣例は、誰の言論も同格という原則を示しているし、読者も投稿しやすい。文章の長さは画一的でなく、長短とりどりで、必要ならたっぷり紙面が与えられるし、短くてすむものは数行で終わる。
 民主政治は、血統や金力によるのではなく、言葉の力を重んじるという大前提があるにしても、日本の読書投稿欄がもっと充実し、甲論乙駁が盛んにおこなわれ、対話と論証の気風が世に高まれば、政治もおのずから改まり、他愛もない片言隻句を弄するだけの人物が人気を博することなどなくなるだろう。

 丸谷才一らしいオチもついているのだが、これは略するとして、この論旨、まったく正論だ。
 イギリスの新聞には、住所と姓名があるだけ、という点に注目したい。言論の正否は文章のなかみによる。どこの誰兵衛が男性であろうが女性であろうが、豆腐屋であろうが厚生労働省の事務次官であろうが、ハイティーンであろうが後期高齢者であろうが、議論の正否を判断するに当たってはどうでもよいことだ。

【参考】丸谷才一『袖のボタン』(朝日新聞社、2007)
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書評:『白衣の騎士団』

2010年03月09日 | 小説・戯曲
 物語は、ワット・タイラーの大反乱(1381年)の十数年前に始まる。修道院で修行中の主人公アレイン・エドリクスンは、ミンステッドの郷士だった父の遺言にしたがい、20歳を境にいったん還俗することになった。俗界の経験をへたうえで、修道院へ戻るか俗界にとどまるかを最終的に決定するのである。モラトリアムの期間は1年間である。
 まず郷里の兄を訪ねるが、彼はならず者と徒党を組み、弟を追いたてた。捨てる神あれば拾う神あり。旅の道中に知り合った射手エイルワードは、その主ナイジェル卿へアレインを紹介した。かくて主人公は白衣隊の一員となり、従騎士として従軍する。白衣隊は、ボルドーへ遠征し、転じてピレネー山脈を越えてスペインへ侵入する・・・・。

 決闘あり、馬上試合あり、弓術の腕の競い合いあり、恋だって欠けていない。じつに波瀾万丈で、血沸き肉踊る。巻末近く、400名弱の白衣隊が万を越すカスティリャ軍と死闘する場面は圧巻である。
 抜け目なく薩摩守をきめこむ学者がいたり、隙あらば強盗にはやがわりする悪党も登場して、一瞬たりとも油断できない殺伐な時代がしかと描かれている。
 さればこそ主人公の性格がきわだつ。聡明にして謙譲、情誼に厚くて、決闘の相手に彼自身が予期しない危難がふりかかれば救出しようとさえするのだ。騎士としての才能も発揮する。白衣隊の一員となってからは武道に励んでたちまち頭角をあらわすのだ。見習修道僧とはいえ、いざとなれば大胆不敵、修羅場をおそれない。血は争えないのである。
 時代精神の騎士道はナイジェル卿が一身に具現する。卿は武名が高く、事実その名を辱めぬ活躍をする。卿は鷹揚な性格で、一人娘に惚れた主人公を揶揄しつつもあたたかく導く。
 ただし、時代は戦さの担い手が騎士から名もない庶民へ移行する時期だった。農民たちによって構成される射手が戦さにおいて大きな役割をはたすようになってきたのだ。本書はそのあたりの事情もていねいに描きこんでいる。力をつけ、その力を自覚した農民の暴動によって騎士が殺害される場面もある。こうした下克上的な時代ゆえに海千山千のエイルワードや破戒僧ホードル・ジョンが精彩をはなつのである。

 コナン・ドイルはホームズもので名高いが、そのホームズもののうち長編4作は、『パスカヴィル家の犬』を除いて、謎解きより事件の背景を語るほうに力がそそがれている。ドイルの本領は物語にあったのだ。事実ドイルは、SF、冒険、怪奇、海洋、医学などさまざまなジャンルに手を染めた。ホームズものはむしろ余技だった。
 歴史小説も9作品あって、本書はそのひとつ。ドイル自身は自作品のうち本書にもっとも愛着を抱いていたらしい。なにしろ歴史的事実に正確を期するため60冊以上の文献を読破したのだから、熱の込めかたがちがう。精力をそそいだだけのことはあって、刊行当時から評判がよかったらしい。
 マイクル・クライトンは隙のない歴史小説を書いて読者を楽しませたが、スコットやスティーブンソンの歴史小説と同じくおおらかな作風の本書は、これはこれで楽しめる。

□コナン・ドイル(笹野史隆訳)『白衣の騎士団(上下)』(原書房、2002)
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