語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

書評:宮脇俊三『最長片道切符の旅』 ~旅行記を楽しむ四つのアプローチ~

2011年02月02日 | ノンフィクション
 第一、本に書かれている順序にしたがって、著者、宮脇俊三とともに旅するのだ。
 これは、オーソドックスな読書法ではあるけれども、陳腐なアプローチだ。

 第二、自分の内部にうごめくもの、新規なものを探索する動因に身を任せて、未知の土地を訪ねるのだ。
 たとえば、「根室から厚床にかけては根室段丘と呼ばれる高さ70メートルほどの隆起台地がつづき、線路はその上に敷かれている。列車は緩やかな草原や雑木林を行くが、海霧のために作物の育ちがわるいので牧草地しかない。海岸も昆布などの採取漁業が主で、花咲から二つめに昆布盛という無人駅がある。大きなウミガラスが枯枝にとまって列車が通ってもじっとしている」(第3日 10月15日)
 あるいは、熊本から豊肥本線で大分へ至る道中、「右窓に阿蘇五岳が見えてきた。中岳の噴煙はわずかで、ちょうどその上にきた太陽がまぶしい。左窓には外輪山の内壁がぐるりと火口原をとり巻いている。/平坦な耕地をディーゼルカーは生き返ったように軽い響きをたてて走り、阿蘇に停車する。阿蘇はもとの『坊中』である。坊中は私の好きな駅名の一つだった。草鞋を脱いで宿坊に泊まるようなイメージがあった」(第32日 12月18日)

 しかし、本はたいていの場合、未知のことが書かれているから自腹を切って買って読むのだ。第二のアプローチも、いささか陳腐である。
 第二のアプローチの逆をいくのが第三のアプローチだ。よく知っている土地、少なくとも既知の土地をかすめ過ぎる宮脇の描写に批評を加えるのだ。
 「倉吉駅着18時23分。駅前を見渡したが旅館もビジネスホテルもない。ここは有名な三朝温泉の入口であり、観光客はそっちへ行ってしまうだろうし、倉吉の町は駅から遠く離れているから商用の客は市内に泊まるにちがいない。しかし、特急をはじめ全列車が停車する倉吉だから駅前旅館の一軒ぐらいあってもいいではないか。あるいは見えないところに一、二軒あるのかもしれないが、この雨では探すのは厄介だ」(第24日 12月4日)
 じつは、あるのだよ、わんさと。駅を出て目の前に瀟洒な「ホテルセントパレス倉吉」が見えるし、数分歩くだけでビジネスホテルやら旅館がひしめいているのだよ。
 手抜きしないで、雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ、探したまい。
 ・・・・だが、宮脇が旅した1978年当時も、ホテルや旅館は現在と同じく、既に営業していたのだろうか。

 ここで、第四のアプローチが浮上する。風俗史的接近と呼んでもよい。
 宮脇が旅行記を記した1978年は、いかなる年だったのか。

 下川耿史/家庭総合研究会『昭和・平成家庭史年表 1926-2000』(河出書房新社、2001)によれば・・・・
 3月14日、福岡の菓子屋「鶴乃子のメーカー石村万盛堂が「ホワイトデー」を発案した。
 3月30日、第50回選抜高校野球大会で、前橋高校の松本稔投手が対比叡山高戦で初の完全試合を達成した(ちなみに、次の試合では我が母校は滅多打ちにあった)。
 4月6日、東京池袋に超高層「サンシャインビル」が完成した。
 4月30日、植村直己が犬ぞりで北極点に単独で到達した。
 7月29日、国産初の発電用原子炉「ふげん」(福井県鶴岡市)が送電を開始した。
 9月18日、東京駅南口に売場面積日本一の八重洲ブックセンターが開店した。
 10月12日、西武グループが「クラウンライター・ライオンズ」を買収し、西武ライオンズと改称した。
 11月21日、江川卓の空白の一日事件が起きた。
 12月1日、道交法改正により酒酔い運転は即免許停止になった。
 ・・・・そして、この年、米国映画「ロッキー」が大ヒットし、タンクトップがブームになった。インベーダー・ゲームが流行った。

 週間朝日・編『戦後値段史年表』(朝日文庫、1995)によれば、1978年の各商品の値段は・・・・
 京都市電乗車賃は100円だった(市電はこの年9月30日に廃止された)。
 東京都文京区本郷における標準的な下宿料金は、4畳半で38,000円、6畳で43,000円だった。
 牛乳は1本55円、週刊誌180円、ビール大瓶215円、葉書20円・手紙50円だった。

 『最長片道切符の旅』は2008年に17刷改版が出ているから、長期にわたり読み継がれているわけだ。事実おもしろい。
 このたび初めて一読したのだが、1978年という四半世紀以上昔の、しかも国鉄時代の旅であるにもかかわらず、古さはあまり感じさせない。
 「大阪平野の西北部を30分ほど走り、宝塚を過ぎると武庫川の谷に入る。車窓が一変して山峡となる。水量はすくないが露出した岩肌と松との色がよく調和している。大阪からわずか30分余でこんな渓谷が見られるとは、関西の人が羨ましい。しかも、行くほどに谷の両岸はますます切り立ってきた。列車は幾度も鉄橋を渡り、そのたびにトンネルに入る」(第24日 12月4日)
 今もこんな感じだ。ここに古さをあまり感じさせない理由がある。宮脇の視線は、もっぱら車窓からみる風景に向けられているのだ。文庫版あとがきで本書の結論とする「日本の広さと多様性」を感じとるには、車窓風景でも事足りるというわけだ。
 これは、逆にいえば、ここでは時代を色濃く反映する要素はほとんど取りあげられていない、ということだ。だからこそ、第四のアプローチが本書を補足する。

【参考】宮脇俊三『最長片道切符の旅』(新潮文庫、1983)
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