語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【読書余滴】玉村豊男の、フランスのレストラン・ガイド、料理批評 ~『ミシュラン東京版』の狙い~

2011年02月06日 | ●玉村豊男
 フランスのレストラン・ガイド『ゴー・ミヨ』は、アンリ・ゴーとクリスチャン・ミヨという料理ジャーナリストが1969年に創刊した。年刊。最初は料理雑誌だった。その後主宰者も経営者も変遷しているが、現在も20点満点で各店を評価する(20点を満点とするのはフランスの伝統的な採点法)。創刊号以来、黄色の表紙で、その解説は料理に係る克明で正確な批評性に富む。解説の文章は魅力的で、料理の批評も正鵠を射ていることが多く、読み物として面白い。
 『ピュドロ』や『ルペ』も『ゴー・ミヨ』と同じく、著者の名で、著者の審美眼にしたがって店を選び、採点している。数冊読み比べると、著者の好みや偏見がわかる。読者はより客観的な判断ができる。
 他方、古い歴史を誇るフランスの『ミシュラン』は、星の数による評価を示すだけで、店の各種データは掲載するが、コメントは記さない。評価の理由は一切語らない。書けば悪口になる場合でも書かずに済ますことがでいる、というある意味ですばらしい大人のやり方とも言えるが、そのノーコメント主義こそ、きわめて厳正と噂される調査や評価とともに、『ミシュラン』の神秘的な権威の源泉となっている。
 
 『ミシュラン』が権威を獲得したのは、取材調査であることを店に告げず、身分を明かさない調査員が一般の客を装ってふつうに食事し、きちんとその代金を払う、というやり方によるところが大きい。カネを払って店の記事を載せてもらうことが当然のようになっているフランスでは、買収が効かない取材者は恐ろしい存在だろう。店は何も協力しない(協力できない)。撮影さえ協力していない(フランスの『ミシュラン』には写真がない)。取材者は、何の引け目も感じることなく、自由に書ける。
 『ゴー・ミヨ』は、身分を明かして取材するらしいが、やはり写真は撮影しないし、もちろん代金は払う。だから、しばしば辛辣な指摘をすることがある。それが彼らの料理評論家としてのスタンスを明快に示すやり方だ。また、「無言のミシュラン」に対する一種の批判になっている。『ゴー・ミヨ』は在野の精神に溢れている。

 日本では、演劇でも美術でも音楽でも、仲間うちの誉めあいや提灯持ちの宣伝記事はあっても、対象を批判しながら育てていくような、ほんとうの意味での批評といえるものは、めったに存在しない。とくに料理の世界では、フランスと違って料理そのものが批評の対象となるジャンルとして認められていない。そのうえ、料理人の世界は閉鎖的で、外部からの批判を決して受け付けようとしない。
 フランスでは、一流の料理人はかならず自分のレシピを公開して分厚い本を書く。料理の批評記事は、一流新聞に定期的に掲載される。
 また、どんな高級レストランでも、一般に開放されている。誰でも電話一本で予約できる。
 ところが、日本料理の世界では、料理は秘伝として公開しないまま代々受け継ぐ。一見さんはお断り、取材なんかとんでもない、という閉鎖性がまだまだ存続している。京都の老舗ともなれば、なおさらだろう。それはそれで伝統的な文化として守る価値はあるかもしれない。しかし、レストランという括りで見た場合、その閉鎖性は世界標準であるオープンなシステムとは相容れない。
 『ミシュラン東京版』は、出来不出来はともかく、伝統的な土俵から世界標準のピットに日本料理を引きずり出そうとする。まさしくグローバルな「黒船」にほかならない。

   *

 ミシュランのタイヤを履いた車で行けない海外の都市を扱おうとしたとき、『ミシュラン』の主宰者はこれまでとは別個の案内書をつくろうと決意したらしい。コメントも写真も載せない、という『ミシュラン』の決まりは、2005年のニューヨーク版で破られた。その結果できたのは、ミシュランの名を冠するには余りにもお粗末なガイドブックだった。面白みもなく役立ちそうもないわりに大きな写真と、店側の言い分をただ垂れ流すだけの節操のない文章が盛りこまれた。
 2007年の東京版も、こうした、ちょっと悲しくなるガイドブックだ。
 『ミシュラン東京版』の目玉が、スシ店を取りあげることにあったのは明白だ。フランスをはじめ、世界中で流行しているスシの、これが本場の最高基準なのだ、ということを他に先駆けてミシュランが示すこと。ジョエル・ロビュション氏をはじめとする世界の超一流料理人たちが来日するたびに訪れるようになった<すきやばし次郎>を「三ツ星」として認定すること。これが、『ミシュラン東京版』の前提条件になっていたのは容易に想像できる。
 フランスの『ミシュラン』では、三ツ星に価するレストランが満たすべき条件のひとつに、店の大きさと内装の立派さがある。フランスでは、これを「カードル(枠組)」と呼ぶ。要するに、入れもののことだ。レストランがどんな建物の中にあるか、店の施設、設備、家具、什器、食卓の設え、インテリアのグレードなど。トイレは必ずチェックされるらしい。ソフト面のサービスとは別に、ハードなモノや構造そのものが評価基準のひとつとされている。店の大きさ、収容能力の目安はないが、三ツ星レストランにあまり小さい店はない。
 この意味で<すきやばし次郎>は破格だ。店があるのはビルの地下、それも数軒の飲食店が並ぶ小さな地下街の一角である。10人も座ればいっぱいになってしまうカウンターが中心で、車いすは入れないし、キャッシュカードは使えない。トレイはビルの共用トイレだ。世界のミシュラン三ツ星の中で、店内にトイレがない店は、おそらくここだけだ。
 店主の小野二郎氏は自他ともに認める世界一のスシ名人だ。その料理<スシ>が三ツ星に価することは疑いようはない。だから、この店を三ツ星に認定するために、ミシュランは敢えてカードルの枠をはずしたのだ。
 
 2008年の第二版ではスシ店が6軒増えた。世界的な人気からいって、外国人読者が関心を寄せる日本の食べものは何といってもスシだ。だから、スシを中心に据えるのは当然の編集方針だろう。
 『ミシュラン東京版』は、東京を訪れるフランス人ないし英語を読める外国人旅行者一般を読者対象にして、フランス人が彼らの感覚で編集したガイドブックなのだ。だから、日本料理店に比べてフランス料理店が少ないし、日本料理店でもワインの飲める店が優遇されているのだ。
 『ミシュラン東京版』がとりあげる店の中には、日本人から見るといかにも薄っぺらな、バブルっぽいダイニングのようなインテリアの店がある。これもフランス人の趣味と考えれば納得がいく。フランス人は、日本人が考えるよりもはるかに新しいもの好きの「ミーハー」だ。古くて重厚な内装は見飽きているが、虚仮威しでも目先の変わった流行のインテリアには弱いところがあるのだ。スシに限らずやたらとカウンター席の店が多いのも、たがいに見知らぬ客が隣同士で肩をならべながら食事をするカウンターというスタイルが、フランス人にとって驚くべき斬新な発見だからである。
 フランス人が好む料理店、外国人を連れて行くとよろこばれる料理店という視点で見れば、『ミシュラン東京版』の選択は首尾一貫している。

   *

 以上、「ミシュラン解題」による。なお、このコラムは、2008年11月28日に書かれた。

【参考】玉村豊男『オジサンにも言わせろNPO』(東京書籍、2009)
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