『現代思想』1995年3月号(青土社)に掲載された木村晴美・市橋泰弘「ろう文化宣言」は、多大な反響を呼んだ。翌年4月、「宣言」を巻頭論文とする『現代思想』臨時増刊特集号が刊行された。
「宣言」は言う。日本語が言語であると同様に、手話もそれ固有の音韻構造、独自の文法体系と語彙体系を有する自然言語であると。そして、ろう者とは日本手話を話す言語的少数者である、と定義する。
「宣言」が批判するのは、第一にろう教育における口話主義である。口話とは、発語と読唇によるコミュニケーションである。口話主義教育はろう児が一度も聞いたことのない音声を発音させ、相手の話を唇の形から読みとらせるという「気の遠くなるような方法」だ、と著者らは難じる。批判の第二は、「シムコム」である。日本語に対応する単語を並べただけの、しかも日本語の文法に即した「シムコム」は、手話をとりいれたろう教育においても、手話サークルにおいても優勢なのだが、ろう者にとって自然な言語である日本手話とは似て非なものである、と弾劾する。
19世紀後半以降、世界のろう教育は口話主義が主流となり、手話は「排除」された(その代表的な論客は電話の発明者グラハム・ベルで、彼の論考が本書の付録となっている)。ところが、米国では1960年代に手話の言語学的分析への取り組みがはじまった。ろう者の手話が言語として認められていく過程で、ろう者共同体を言語的少数者、文化的集団としてとらえる視点が生まれた。
こうした今日の風潮に立って、手話の言語的独立性がろう者自身によって主張されていた時代、つまり18世紀のフランスを掘り起こしたのが本書である。すなわち、「ろう者の父」ド・レペ神父をはじめとする当時のろう教育実践記録やろう教育史研究、またろう者の自伝をまとめたアンソロジー集である。「宣言」をきっかけに訳出された。編者のハーラン・レインは言語心理学者で、序論において、ろう者を「病理学的」に見る視点を斥け、今日的な「社会的説明モデル」に立脚して各論文及び自伝を鳥瞰しつつ再評価している。
巻末に特別寄稿として木村晴美・市橋泰弘「ろう文化宣言以後」をおさめる。「宣言」の後5年間に寄せられた批判に対する回答である。批判に十分答えているかどうか疑問の余地が残る記述だが、ろう者の主体性確立の熱い願いが伝わってくる。
□ハーラン・レイン編(石村多門訳)『聾の経験 18世紀における手話の「発見」』(東京電機大学出版局、2000)
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「宣言」は言う。日本語が言語であると同様に、手話もそれ固有の音韻構造、独自の文法体系と語彙体系を有する自然言語であると。そして、ろう者とは日本手話を話す言語的少数者である、と定義する。
「宣言」が批判するのは、第一にろう教育における口話主義である。口話とは、発語と読唇によるコミュニケーションである。口話主義教育はろう児が一度も聞いたことのない音声を発音させ、相手の話を唇の形から読みとらせるという「気の遠くなるような方法」だ、と著者らは難じる。批判の第二は、「シムコム」である。日本語に対応する単語を並べただけの、しかも日本語の文法に即した「シムコム」は、手話をとりいれたろう教育においても、手話サークルにおいても優勢なのだが、ろう者にとって自然な言語である日本手話とは似て非なものである、と弾劾する。
19世紀後半以降、世界のろう教育は口話主義が主流となり、手話は「排除」された(その代表的な論客は電話の発明者グラハム・ベルで、彼の論考が本書の付録となっている)。ところが、米国では1960年代に手話の言語学的分析への取り組みがはじまった。ろう者の手話が言語として認められていく過程で、ろう者共同体を言語的少数者、文化的集団としてとらえる視点が生まれた。
こうした今日の風潮に立って、手話の言語的独立性がろう者自身によって主張されていた時代、つまり18世紀のフランスを掘り起こしたのが本書である。すなわち、「ろう者の父」ド・レペ神父をはじめとする当時のろう教育実践記録やろう教育史研究、またろう者の自伝をまとめたアンソロジー集である。「宣言」をきっかけに訳出された。編者のハーラン・レインは言語心理学者で、序論において、ろう者を「病理学的」に見る視点を斥け、今日的な「社会的説明モデル」に立脚して各論文及び自伝を鳥瞰しつつ再評価している。
巻末に特別寄稿として木村晴美・市橋泰弘「ろう文化宣言以後」をおさめる。「宣言」の後5年間に寄せられた批判に対する回答である。批判に十分答えているかどうか疑問の余地が残る記述だが、ろう者の主体性確立の熱い願いが伝わってくる。
□ハーラン・レイン編(石村多門訳)『聾の経験 18世紀における手話の「発見」』(東京電機大学出版局、2000)
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