●小沢一郎の私兵
□民主党は、政党の組織についての整備をしていなかった。選挙に強いといわれた小沢軍団は、ほとんど私兵であって、政党組織ではない。彼が検察審査会にかかった問題も、直接的には政党のカネの問題ではなく、陸山会という個人の資金管理団体の問題だ。「政党が中心になって政治を行うという前提で選挙制度改革を行ったはずなのに、それに対応した組織になっていない。相変わらずコンビニのフランチャイズ・チェーンのように看板は一緒だけれども、経営は別みたいな、もっと言えば鎌倉時代の御家人集団みたいな状態にとどまっている」
△小沢は選挙結果というものを絶対視しすぎる。国政選挙は、その時点でのある種の「激情」が一票の中に入ってしまう。選挙のための民意には、何か情緒的部分がある。あいつをやっつけてしまえ、という感じの。だから、そういう一時点での熱狂に左右されないように、もっと広く民主主義の土台は熱狂から遠ざけておくのだ。その代表的なものは、宮内庁、検察庁、内閣法制局だ。だから、そういうものに対して、絶対多数を取ったからといって、手を突っ込むのはよくない。
□教科書風にいえば、民主主義は議論が一番重要で、discuss and persuade だ。議論して、異論・反論の中から合意を形成していく。議論の経過が重要だ。ところが、小沢は、そういうことにほとんど価値を認めていない。小沢が幹事長のとき、税制を議論した議事録をみると、突如、次の会でそれまでの議論とは関係なく、まったく違った結論になってしまっているものがある。前回までこういうことだったが、党から要望があって、こうなりましたという説明だけ。小沢から政務三役に電話が入って結論が変わったのだ。それなら、そういう政治だと言えばよい。「北朝鮮民主主義」だと。「公開プロセスだと言っておいて、実はそれとは別のところにデジション・メーカーがいるというのは、まさに二重権力です。こんな政党ではだめですね」
●野党としての自民党の罪
□自民党の批判は、ほとんどパンチ力がない。これが問題だ。変わらざるものとして、野党があった。善し悪しは別にして、だめなものはだめという勢力があって、一定の共感を、自分の党の支援者以外にも波及させるだけの力が昔はあった。いまはそれがなくなった。自民党がわあわあ言っても、それをみんなが笑って見ているような風潮になった。これは自民党の罪でもある。民主党も自民党も、国民に対するプレゼンスがすごく落ちた。
△両方とも劣化している。
□とにかく政党が力を持っていない。政党の力が発揮できない。これが一番気になる。
●政治家の無駄遣い
□政治の問題だったら、政党交付金の使い方ぐらい、ちゃんと明朗にするべきだ。170億円ももらって、「どこかのどなたかが決めていて、さっぱりわからない」・・・・だ。こんなぶざまなことはない。官房機密費は、告白やら内部情報が出ている。それを見ると、これまでの使い方はボロボロだ。文書交通費とか歳費とか、国会議員の処遇は、一般の国民から見たらべらぼうだ。国民に税負担増を求めるなら、政治家たちも身を切る覚悟をせよ、という声は当然出てくる。
□政治家は、政治資金は税金ではないから、そんなに厳しく考えなくてもいい、と思っている向きがある。ところが、政党交付金が党に入って、これが支部にいく。政治資金の中には、実は税金が紛れこんでいる可能性がある。また政治資金として集めたカネも、出し手の側は税の控除を受けられる。免税資金を政治家は集めている。集めた側の政治家も、事業者が必要経費を控除されるのと同様に、政治活動を行う経費だから課税されていない。そのへんの自覚が、いまの政治家にない。為政者がこんな感覚でいるかぎり、具体的に増税の話が出たとき、多くの人が賛成することには、多分ならない。
△宮澤喜一元首相がつぶやくように言った言葉をずっと覚えている。「税金を使って政治活動をやるようになったらおしまいだな」、なんで政党交付金なんだ、と。政治にカネがかかるところが間違いだ。かからないようにすればいいだけの話だ。慶弔電報代だけでも年間1,000万円以上もかかる人もいるらしい。さらに、ゲートボール大会とか盆踊りまで打っていれば。
□同じ政党なら、電報ぐらい一つにしなさい。複数の国会議員が連名で打てば、経費は途端に3分の1、4分の1になるのに、それをしない。コンビニのフランチャイズ・チェーンだから、みんなが自分で打つ。
△その電報が税金から出ているという話になったら、みんな払わないだろう。
□事業仕分けしたらいい、政治家の政治活動経費も。
△ああいう億単位の政党交付金をもらっていて、財政再建も何もない。財政が健全化するまでは、政党交付金は棚上げにするぐらいのことを民主党がやらなかったら、国民はついていかない。
*
以上、片山善博/田中秀正「対談 いま、政治に何が求められているか」に拠る。
□は片山善博、△は田中秀正の発言要旨である。
なお、対談日は、2010年6月17日。片山善博は、2010年9月17日に総務大臣に就任したから、対談当時は正確には大臣ではない。
【参考】片山善博『日本を診る』(岩波書店、2010)
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□民主党は、政党の組織についての整備をしていなかった。選挙に強いといわれた小沢軍団は、ほとんど私兵であって、政党組織ではない。彼が検察審査会にかかった問題も、直接的には政党のカネの問題ではなく、陸山会という個人の資金管理団体の問題だ。「政党が中心になって政治を行うという前提で選挙制度改革を行ったはずなのに、それに対応した組織になっていない。相変わらずコンビニのフランチャイズ・チェーンのように看板は一緒だけれども、経営は別みたいな、もっと言えば鎌倉時代の御家人集団みたいな状態にとどまっている」
△小沢は選挙結果というものを絶対視しすぎる。国政選挙は、その時点でのある種の「激情」が一票の中に入ってしまう。選挙のための民意には、何か情緒的部分がある。あいつをやっつけてしまえ、という感じの。だから、そういう一時点での熱狂に左右されないように、もっと広く民主主義の土台は熱狂から遠ざけておくのだ。その代表的なものは、宮内庁、検察庁、内閣法制局だ。だから、そういうものに対して、絶対多数を取ったからといって、手を突っ込むのはよくない。
□教科書風にいえば、民主主義は議論が一番重要で、discuss and persuade だ。議論して、異論・反論の中から合意を形成していく。議論の経過が重要だ。ところが、小沢は、そういうことにほとんど価値を認めていない。小沢が幹事長のとき、税制を議論した議事録をみると、突如、次の会でそれまでの議論とは関係なく、まったく違った結論になってしまっているものがある。前回までこういうことだったが、党から要望があって、こうなりましたという説明だけ。小沢から政務三役に電話が入って結論が変わったのだ。それなら、そういう政治だと言えばよい。「北朝鮮民主主義」だと。「公開プロセスだと言っておいて、実はそれとは別のところにデジション・メーカーがいるというのは、まさに二重権力です。こんな政党ではだめですね」
●野党としての自民党の罪
□自民党の批判は、ほとんどパンチ力がない。これが問題だ。変わらざるものとして、野党があった。善し悪しは別にして、だめなものはだめという勢力があって、一定の共感を、自分の党の支援者以外にも波及させるだけの力が昔はあった。いまはそれがなくなった。自民党がわあわあ言っても、それをみんなが笑って見ているような風潮になった。これは自民党の罪でもある。民主党も自民党も、国民に対するプレゼンスがすごく落ちた。
△両方とも劣化している。
□とにかく政党が力を持っていない。政党の力が発揮できない。これが一番気になる。
●政治家の無駄遣い
□政治の問題だったら、政党交付金の使い方ぐらい、ちゃんと明朗にするべきだ。170億円ももらって、「どこかのどなたかが決めていて、さっぱりわからない」・・・・だ。こんなぶざまなことはない。官房機密費は、告白やら内部情報が出ている。それを見ると、これまでの使い方はボロボロだ。文書交通費とか歳費とか、国会議員の処遇は、一般の国民から見たらべらぼうだ。国民に税負担増を求めるなら、政治家たちも身を切る覚悟をせよ、という声は当然出てくる。
□政治家は、政治資金は税金ではないから、そんなに厳しく考えなくてもいい、と思っている向きがある。ところが、政党交付金が党に入って、これが支部にいく。政治資金の中には、実は税金が紛れこんでいる可能性がある。また政治資金として集めたカネも、出し手の側は税の控除を受けられる。免税資金を政治家は集めている。集めた側の政治家も、事業者が必要経費を控除されるのと同様に、政治活動を行う経費だから課税されていない。そのへんの自覚が、いまの政治家にない。為政者がこんな感覚でいるかぎり、具体的に増税の話が出たとき、多くの人が賛成することには、多分ならない。
△宮澤喜一元首相がつぶやくように言った言葉をずっと覚えている。「税金を使って政治活動をやるようになったらおしまいだな」、なんで政党交付金なんだ、と。政治にカネがかかるところが間違いだ。かからないようにすればいいだけの話だ。慶弔電報代だけでも年間1,000万円以上もかかる人もいるらしい。さらに、ゲートボール大会とか盆踊りまで打っていれば。
□同じ政党なら、電報ぐらい一つにしなさい。複数の国会議員が連名で打てば、経費は途端に3分の1、4分の1になるのに、それをしない。コンビニのフランチャイズ・チェーンだから、みんなが自分で打つ。
△その電報が税金から出ているという話になったら、みんな払わないだろう。
□事業仕分けしたらいい、政治家の政治活動経費も。
△ああいう億単位の政党交付金をもらっていて、財政再建も何もない。財政が健全化するまでは、政党交付金は棚上げにするぐらいのことを民主党がやらなかったら、国民はついていかない。
*
以上、片山善博/田中秀正「対談 いま、政治に何が求められているか」に拠る。
□は片山善博、△は田中秀正の発言要旨である。
なお、対談日は、2010年6月17日。片山善博は、2010年9月17日に総務大臣に就任したから、対談当時は正確には大臣ではない。
【参考】片山善博『日本を診る』(岩波書店、2010)
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