(1)超党派の運動
チュニジア、そしてエジプト・・・・若者を中心とした一般市民が超党派で立ち上がったのは、中東ではイラン革命以来だ。これまで弾圧を恐れて動かなかった市民が動いた点で、パレスチナのインティファーダ(1987年)を彷彿させる。
他のアラブ諸国にも波及している点で、50~60年代にアラブ民族主義軍人が英仏の中東支配に反撥して各国で次々にクーデタを起こした歴史を想起させる。その軍人たちが作りあげた政権の成れの果てに対して、民衆は恐怖をふりはらって抵抗した。
(2)イデオロギー的主張を控えた市民運動
経済悪化や格差拡大は、今に始まったことではない。なぜ突然、市民運動が高揚したのか。
新しい市民運動の背景には、近年のアラブ世界の若者の政治不信がある。政治的自由化は成果を上げていない。野党は十分な役割を果たしていない。かかる状況の中で、既存の政党や組織によらない無党派の反政府運動が徐々に形成されたのだ。
その典型例が2008年の「4月6日青年運動」だ。それまでの政党活動に限界を見て、ネットを通じた市民運動を独自に広げた。
チュニジアもエジプトも、デモの中心となった市民運動は、基本的に党派性から距離を置いた。デモは、学生や労働者を中心に、社会経済的観点から政権批判を展開した。反米、反イスラエルの声はほとんど上がらず、イスラム色も薄い。イデオロギー的主張は影を潜めている点が特徴的だった。
(3)ムバラク後の危機意識
市民運動の広がりに対してムラバク大統領は、国民の間に再び恐怖を呼び覚ますことで対応した。
生活や生命が脅かされる恐怖、政治が過激に揺れる恐怖である。ムバラク支持派を反政府デモ隊にぶつけたことは、典型的な挑発だった。ムバラクなきエジプトでは暴力が日常化する、という脅しだ。市民が暴徒化すれば軍は鎮圧に動かざるをえない。ムバラク政権で支配層の一角を占める軍に対して、特権的地位から転落する可能性について危機感を煽った。
そして、このたび何よりも特徴的だったのは、エジプトが反米化した場合の恐怖が強調されていた点だ。
1月末に民衆デモが大規模化するや、イスラエルのメディアでは、政権転覆後のエジプトのイスラム化を危惧する大合唱が始まった。ハマスやイラン革命を引き合いにだして、危機意識が煽られた。
だが、今のムスリム同胞団は決して急進的でもなく暴力的でもない。近年では、新ワフド党やキファーヤ運動など、世俗派の中道勢力と共闘を図ってきた。
(4)ムバラク後の新体制構築
ムバラク体制終焉後の新体制構築が困難なものとなるのは確かだ。市民運動は、政権転覆には大きな役割を果たしても、政権の中心となりうる組織を持たない。方向性もバラバラだ。
ムバラク後の体制は、それまで支配層だった軍やビジネス界、そして既存の野党勢力を加えた「昔ながらの」政治エリートによる調整で組み立てられていくだろう。
その際、(a)ムスリム同胞団をどう位置づけるかは、新体制の大きな課題となる。(b)新しい運動に政治が開かれないと、市民運動による政治批判は収まらないだろう。
(5)市民運動の新しさ
今アラブ世界を覆う反政府市民運動の高揚は、20年前の東欧民主化革命の波と並ぶ大きなうねりだ。
米国は、東欧の変化は賞賛したが、アラブ世界の市民運動は双手をあげて歓迎するわけにはいかない。政治の自由化が一挙に進み、反米、反イスラエル勢力が台頭するのは避けたいからだ。
この点を市民運動側もよく理解している。危惧を国内的にも対外的にも抱かせないよう慎重に超党派性を維持している。この点もまた、このたびの運動が新しいゆえんだ。
【参考】酒井啓子「エジプト独裁体制の終焉 市民による政権転覆 中東の新しいうねり」(「週刊東洋経済」2011年2月19日号)
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チュニジア、そしてエジプト・・・・若者を中心とした一般市民が超党派で立ち上がったのは、中東ではイラン革命以来だ。これまで弾圧を恐れて動かなかった市民が動いた点で、パレスチナのインティファーダ(1987年)を彷彿させる。
他のアラブ諸国にも波及している点で、50~60年代にアラブ民族主義軍人が英仏の中東支配に反撥して各国で次々にクーデタを起こした歴史を想起させる。その軍人たちが作りあげた政権の成れの果てに対して、民衆は恐怖をふりはらって抵抗した。
(2)イデオロギー的主張を控えた市民運動
経済悪化や格差拡大は、今に始まったことではない。なぜ突然、市民運動が高揚したのか。
新しい市民運動の背景には、近年のアラブ世界の若者の政治不信がある。政治的自由化は成果を上げていない。野党は十分な役割を果たしていない。かかる状況の中で、既存の政党や組織によらない無党派の反政府運動が徐々に形成されたのだ。
その典型例が2008年の「4月6日青年運動」だ。それまでの政党活動に限界を見て、ネットを通じた市民運動を独自に広げた。
チュニジアもエジプトも、デモの中心となった市民運動は、基本的に党派性から距離を置いた。デモは、学生や労働者を中心に、社会経済的観点から政権批判を展開した。反米、反イスラエルの声はほとんど上がらず、イスラム色も薄い。イデオロギー的主張は影を潜めている点が特徴的だった。
(3)ムバラク後の危機意識
市民運動の広がりに対してムラバク大統領は、国民の間に再び恐怖を呼び覚ますことで対応した。
生活や生命が脅かされる恐怖、政治が過激に揺れる恐怖である。ムバラク支持派を反政府デモ隊にぶつけたことは、典型的な挑発だった。ムバラクなきエジプトでは暴力が日常化する、という脅しだ。市民が暴徒化すれば軍は鎮圧に動かざるをえない。ムバラク政権で支配層の一角を占める軍に対して、特権的地位から転落する可能性について危機感を煽った。
そして、このたび何よりも特徴的だったのは、エジプトが反米化した場合の恐怖が強調されていた点だ。
1月末に民衆デモが大規模化するや、イスラエルのメディアでは、政権転覆後のエジプトのイスラム化を危惧する大合唱が始まった。ハマスやイラン革命を引き合いにだして、危機意識が煽られた。
だが、今のムスリム同胞団は決して急進的でもなく暴力的でもない。近年では、新ワフド党やキファーヤ運動など、世俗派の中道勢力と共闘を図ってきた。
(4)ムバラク後の新体制構築
ムバラク体制終焉後の新体制構築が困難なものとなるのは確かだ。市民運動は、政権転覆には大きな役割を果たしても、政権の中心となりうる組織を持たない。方向性もバラバラだ。
ムバラク後の体制は、それまで支配層だった軍やビジネス界、そして既存の野党勢力を加えた「昔ながらの」政治エリートによる調整で組み立てられていくだろう。
その際、(a)ムスリム同胞団をどう位置づけるかは、新体制の大きな課題となる。(b)新しい運動に政治が開かれないと、市民運動による政治批判は収まらないだろう。
(5)市民運動の新しさ
今アラブ世界を覆う反政府市民運動の高揚は、20年前の東欧民主化革命の波と並ぶ大きなうねりだ。
米国は、東欧の変化は賞賛したが、アラブ世界の市民運動は双手をあげて歓迎するわけにはいかない。政治の自由化が一挙に進み、反米、反イスラエル勢力が台頭するのは避けたいからだ。
この点を市民運動側もよく理解している。危惧を国内的にも対外的にも抱かせないよう慎重に超党派性を維持している。この点もまた、このたびの運動が新しいゆえんだ。
【参考】酒井啓子「エジプト独裁体制の終焉 市民による政権転覆 中東の新しいうねり」(「週刊東洋経済」2011年2月19日号)
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