(承前)
(5)胡錦濤主席は、北京五輪(2008年)や上海万博(2010年)の頃から、「中華民族の歴史的成果」といった表現を使うようになった。
(a)いまの中国は、漢民族を中心に55の少数民族を束ねる「多民族国家」だ。多民族国家は、民族性を超えた「統合の理念」に苦慮する。米国=移民の国は、「政治的には民主主義」「経済的には市場主義」を掲げる。中国では、「民族を超えた社会主義の実現」という理念が冷戦後の20年と「改革開放」によって後退し、新たな統合の理念が必要になっていた。そこで、多民族国家の総体「中華民族」と表現し、アイデンティティの中心に置き始めている。
(b)「中華民族の歴史的成果」という表現は、海外華僑・華人の心に沁みる。清朝期、辛亥革命までの間、客家を始め多くの漢民族が海外に生活を求めた。近代には、中国国内の混乱や共産党支配を嫌って海外に出た人が加わった。中国人の歴史的中核たる漢民族の中華文明・文化への思い入れをもっとも強く潜在させているのが海外華僑・華人だ。「自分たちこそ中華文明の本来的担い手」という自負がある。そこに中国本土から発信される「中華民族の歴史的成果」というメッセージには、複雑な思いを込めて琴線に触れるのだ。
(c)一般に「中国人」とは、中華人民共和国のパスポート発行対象者だけを意味しない。海外華僑・華人を含め、中華文明・文化にアイデンティティを抱く人々を総称する。
(d)むろん、台湾やシンガポールは、本土中国への警戒心も内在し、一枚岩ではない。①馬英九・台湾総統は、ハーバード大学博士号を国際海洋法、しかも尖閣列島の帰属問題で得て、この分野での知見は深い。彼は日本との関係発展を大きな国益とし、尖閣に係る大陸との連携に慎重な姿勢をとっているが、「尖閣は台湾領」として関係国間での協議の場を提案していて、まずは漁業権確保からこの問題に踏み込み始めている。②シンガポールと日本との関係も良好だが、人口の76%が中国系で、中華民族としての同胞意識を潜在させて尖閣問題を注視している。
(6)9月中旬の日本政府による尖閣国有化、9月18日(柳条湖事件から81年目)を機に吹き荒れた反日デモは、当局の規制により鎮静化した(「官製デモ」)。デモの様子や中国の漁業監視船の動きはCCTVの映像として世界に発信された。この問題を国際化し、「領土問題はない」とする日本の主張を崩すところに中国の狙いがあるという流れが明確になった。注目すべきは、バンコクやニューヨークなどの華人も反日デモを行ったことだ。
(7)この経緯の中で、米国の本音が明らかになった。
(a)尖閣は、1972年の沖縄返還まで米国自身が25年以上も施政権を持っていた。「どこの国の領土か分からない」はずはない。しかし、「米中国交回復」(ニクソン訪中)の1972年から、「領有権」を主張し始めた(1970年前後)中国に配慮し、「領有問題には関与しない」という姿勢をとってきた。今年9月中旬、日中をあいついで訪れたパネッタ・米国防長官は、改めて領有権に係る「中立方針」を両国で明確にした。
(b)日本人は、尖閣に中国が武力行使すれば日米安保条約第5条が発動されて米国が駆けつける、と認識しがちだが、中立を明確にしている事案で、米中全面戦争になるリスクを冒して米国が軍事行動を起こすはずはない(当然、オスプレイ配備は尖閣問題と関係ない)。
(c)米国のアジア戦略の根幹は、「影響力の最大化」だ。米中関係は、懸案を抱えながらも密度の濃い意思疎通のパイプを有する。過去7年間、閣僚級の「米中戦略・経済対話」が蓄積されている。
(d)要するに、米国への過剰依存と期待は、幻想でしかない。
(8)近隣の国が次元の低い「国益主義」で興奮している時こそ、成熟した民主国家・平和国家としてアジアの安定と世界の持続的発展に寄与する視界の広い構想と国際社会への責任意識を示す時だ。
しかし、「都だ、国だ」と所有をめぐり尖閣を自ら問題化させる流れをつくり、それを中国に国際社会への喧伝材料にされている日本のリーダーの視界の狭さは悲劇的だ。与野党とも、アジアを唸らせ、世界を納得させるメッセージはない。
以上、寺島実郎「尖閣問題への新たな視角--大中華圏の政治化 ~能力のレッスン第127回~」(「世界」2012年11月号)に拠る。
【参考】
「【尖閣】問題への新たな視角 ~大中華圏~」
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(5)胡錦濤主席は、北京五輪(2008年)や上海万博(2010年)の頃から、「中華民族の歴史的成果」といった表現を使うようになった。
(a)いまの中国は、漢民族を中心に55の少数民族を束ねる「多民族国家」だ。多民族国家は、民族性を超えた「統合の理念」に苦慮する。米国=移民の国は、「政治的には民主主義」「経済的には市場主義」を掲げる。中国では、「民族を超えた社会主義の実現」という理念が冷戦後の20年と「改革開放」によって後退し、新たな統合の理念が必要になっていた。そこで、多民族国家の総体「中華民族」と表現し、アイデンティティの中心に置き始めている。
(b)「中華民族の歴史的成果」という表現は、海外華僑・華人の心に沁みる。清朝期、辛亥革命までの間、客家を始め多くの漢民族が海外に生活を求めた。近代には、中国国内の混乱や共産党支配を嫌って海外に出た人が加わった。中国人の歴史的中核たる漢民族の中華文明・文化への思い入れをもっとも強く潜在させているのが海外華僑・華人だ。「自分たちこそ中華文明の本来的担い手」という自負がある。そこに中国本土から発信される「中華民族の歴史的成果」というメッセージには、複雑な思いを込めて琴線に触れるのだ。
(c)一般に「中国人」とは、中華人民共和国のパスポート発行対象者だけを意味しない。海外華僑・華人を含め、中華文明・文化にアイデンティティを抱く人々を総称する。
(d)むろん、台湾やシンガポールは、本土中国への警戒心も内在し、一枚岩ではない。①馬英九・台湾総統は、ハーバード大学博士号を国際海洋法、しかも尖閣列島の帰属問題で得て、この分野での知見は深い。彼は日本との関係発展を大きな国益とし、尖閣に係る大陸との連携に慎重な姿勢をとっているが、「尖閣は台湾領」として関係国間での協議の場を提案していて、まずは漁業権確保からこの問題に踏み込み始めている。②シンガポールと日本との関係も良好だが、人口の76%が中国系で、中華民族としての同胞意識を潜在させて尖閣問題を注視している。
(6)9月中旬の日本政府による尖閣国有化、9月18日(柳条湖事件から81年目)を機に吹き荒れた反日デモは、当局の規制により鎮静化した(「官製デモ」)。デモの様子や中国の漁業監視船の動きはCCTVの映像として世界に発信された。この問題を国際化し、「領土問題はない」とする日本の主張を崩すところに中国の狙いがあるという流れが明確になった。注目すべきは、バンコクやニューヨークなどの華人も反日デモを行ったことだ。
(7)この経緯の中で、米国の本音が明らかになった。
(a)尖閣は、1972年の沖縄返還まで米国自身が25年以上も施政権を持っていた。「どこの国の領土か分からない」はずはない。しかし、「米中国交回復」(ニクソン訪中)の1972年から、「領有権」を主張し始めた(1970年前後)中国に配慮し、「領有問題には関与しない」という姿勢をとってきた。今年9月中旬、日中をあいついで訪れたパネッタ・米国防長官は、改めて領有権に係る「中立方針」を両国で明確にした。
(b)日本人は、尖閣に中国が武力行使すれば日米安保条約第5条が発動されて米国が駆けつける、と認識しがちだが、中立を明確にしている事案で、米中全面戦争になるリスクを冒して米国が軍事行動を起こすはずはない(当然、オスプレイ配備は尖閣問題と関係ない)。
(c)米国のアジア戦略の根幹は、「影響力の最大化」だ。米中関係は、懸案を抱えながらも密度の濃い意思疎通のパイプを有する。過去7年間、閣僚級の「米中戦略・経済対話」が蓄積されている。
(d)要するに、米国への過剰依存と期待は、幻想でしかない。
(8)近隣の国が次元の低い「国益主義」で興奮している時こそ、成熟した民主国家・平和国家としてアジアの安定と世界の持続的発展に寄与する視界の広い構想と国際社会への責任意識を示す時だ。
しかし、「都だ、国だ」と所有をめぐり尖閣を自ら問題化させる流れをつくり、それを中国に国際社会への喧伝材料にされている日本のリーダーの視界の狭さは悲劇的だ。与野党とも、アジアを唸らせ、世界を納得させるメッセージはない。
以上、寺島実郎「尖閣問題への新たな視角--大中華圏の政治化 ~能力のレッスン第127回~」(「世界」2012年11月号)に拠る。
【参考】
「【尖閣】問題への新たな視角 ~大中華圏~」
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