語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【震災】南海地震で死者32万人、という予測の政治的理由

2012年10月27日 | 震災・原発事故
 (1)国の二つの有識者会議は、8月29日、南海トラフ沿いで起きるとされる巨大地震の被害想定を発表した。東海地方が大きく被災する最悪クラスでは、東日本大震災の1.8倍の1,015平方キロが津波で浸水。国が2003年に出した想定の13倍に及ぶ323,000人が死亡、中部電力浜岡原発も水につかる 【注】。
 翌30日、新聞もテレビも大騒ぎになった。

 (2)(1)は、今までとは少しやり方を変えた予測だ。今までは、過去に実際にあったものをベースにして、それと同じ地震に対する備えをしようという考え方だった。宝永大地震(1707年)をベースにして、それと同じ規模の地震が起きた場合、死者6~7万人、という数字を出していた。
 (1)は、そうではなく、もっと大きな地震があり得る、最悪の状況を考えてみよう、というものだ。さまざま悪条件を重ねて最大の数字を出した。
 防災は国が責任を持ってやる、住民は国の言うことを聞いて、国に守ってもらえばよいという発想だった、今のリスクコミュニケーションは、まず情報を、最悪の場合を含めて住民に出す、という考え方だ。最初はパニックが起こったり、不安だ、心配だ、という声も出てくる。いろんな要望や不満も出てくる。こうしたらどうか、というアイデアも出てくる。 
 全部出してもらって、行政と住民とで何をどこまでやるかを話し合う。その中でコストの話もする。「これをやるためにはこっちを我慢する」「そのためには増税する」といったところまで議論していく。住民から、「お金がかかりすぎるのは困るから、これに関しては自分たちがやれるのではないか」「こういうやり方をすればお金がかからないではないか」とか、そういう知恵をみなで出す。現場ごとに状況が違うから、各地域ごとにアイデアを出してもらってやっていく。
 そうやってできた対策のほうが、効果的で、コストが安くて、かつ実施するときに住民が一体となって、非常によい対策になる、という考え方だ。
 死者32万人という発表は、そこに舵を切る第一歩だと捉えると、非常によいことだ。

 (3)ところが、「政府はこの発表を元にしてこの冬までに総合対策を決める予定」らしい。わずか4ヵ月で。もっと時間をかけて、いろんな対話をしながら考えたほうがよいのだが、そういうプロセスはない。
 では、なぜ死者32万人というおおげさな数字を出したのか。
 自民党は、6月に、国土強靱化基本法案を出した。10年で200兆円かける、と言った。公明党は10年で100兆円と言った。国土強靱化基本法案に書いてあるのは、防災・減災だ。加えて、消費税増税法案の修正案の中に、消費税を増税すると財政に少し余裕ができるから防災・減災にもっと金を使おう、と書いてある。
 つまりは、公共事業をやろう、ということだ。堤防、避難道路を1日も早く作ろう、ということで、補正予算にどんどん出てくるし、来年度の予算要求にもどんどん出てくるだろう。

 (4)原発も、地震と同じく、起こるかもしれないし、起こらないかもしれない事態に備えなければならない。地震、津波、テロ。原発にテロ対策がないのは、世界中で日本だけだ。
 日本では、原発事故による避難対策はしなくてもよい、ということになっている。だから今、大飯原発で事故が起きたら、周辺住民の避難に何の備えもない。大飯原発の周辺の道路は狭い。地震でズタズタになって、原発事故が起きて死の灰が降るときに、住民はまず逃げられない。
 こういう原発は、米国では廃炉だ。
 昔、ロングアイランドに原発を作ったが、作っている途中でいろいろな基準が厳しくなった。避難路の確保、住民の避難は事故発生後何時間以内・・・・ロングアイランドは島だから、船で救出しなければならない。その時ハリケーンが来ていたらどうするか、みな見殺しになる。それで、原発が完成して燃料棒を入れようかという時期に廃炉が決まった。
 実は、米国では、そういう安全基準がどんどん厳しくなっていて、バックフィットで、昔に作った原発も新しい基準で動かす事になっている。無理なら廃炉だと。それで今、60件くらい訴訟が起きているらしい。
 米国では、NRC(米原子力規制委員会)とか原子力規制当局が、国民の側に立って厳しくやっているから、訴えられる。日本では、国民には訴えられても、電力会社には絶対に訴えられない。
 だから、そういう人たちが作っている安全基準がどういうふうになっていくかを、我々はよく見ていなかくてはならない。ずっと言い続けなくてはいけない。 

  【注】記事「南海トラフ地震、最悪なら死者32万人 国が被害想定」(朝日新聞デジタル記事2012年8月30日03時00分)

 以上、古賀茂明「既存政党が掲げ始めた「原発ゼロ」は、どこまで嘘なのか?」(「SIGHT」2012年秋号)に拠る。
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