(1)「私達は、違法な報道を見逃しません」
いささか大仰なタイトルの意見広告が、11月14日付け「産経新聞」、15日付け「読売新聞」に、それぞれ1ページ丸ごと使って掲載された。
広告は、TBSの報道番組「NEWS23」の岸井成格(きしい・しげただ)・メイン・キャスターを名指しで批判するものだった。
広告を出したのは、「放送法遵守を求める視聴者の会」という組織。呼びかけ人には、代表のすぎやまこういち、渡部昇一、ケント・ギルバートらが名を連ねている。
(2)問題視されたのは、安保法案成立間近の9月16日の放送。岸井キャスターが「メディアとしても廃案に向けて声をずっと上げ続けるべきだと私は思います」と発言した点。
広告では、岸井発言は政治的公平や論点の多角的解明を求める放送法4条に違反する重大な違法行為であると断じている。「メインキャスター、司会者であり、番組と放送局を代表する立場の人物」だから、コメンテーターとしての発言とは異なり、同条に明らかに抵触するという。
(3)放送法4条は、放送局に対して一連の番組編集準則を求めているが、そこに含まれる公平原則(政治的公平と論点の多角的解明)をどう考えるべきか。
意見広告のような論難は正統なものと言えるだろうか。
論点は多岐におよぶが、いくつかのポイントを押さえておくことが必要だ。
(4)公平原則は、放送局の編集に際してある種の規律を課すルールであることは確かだが、それだけで自足し、完結するルールではない。
公平原則は、
放送法上の番組編集の自由(3条)
放送による表現の自由(1条)
憲法21条に定める表現の自由
を前提とし、そうした本質的な自由を侵害しない限度で許容されるものでなければならないはずだ。
そのことは、権力の監視を重要任務とする報道機関としての放送局にとって不可欠の要請だ。
とすれば、過度に厳格で一律の公平原則の押しつけは許されない。
具体的には、公平性如何を一番組の中だけで判断するのは、編集の自由や生き生きとした番組作りの観点から妥当ではない。当該局の番組全体などに即して、緩やかに判断しなければならない。
この点で、意見広告の批判は的を射ているとは言いがたい。
また、公平性は
①厳格さがとりわけ求められる選挙報道
②それ以外
において、①と②とでは区別されてしかるべきだ。
何よりも、番組編集の自由や表現の自由、報道の権力監視などの見地からすれば、公平原則は厳密な法的ルールとしてではなく、本質的には倫理的、自主的基準として捉えるのが妥当だ。
日本の場合はとりわけ、政府から独立した判定・実施機関を欠くなど、現行制度は適正な公平原則の実施条件を備えていない。公平原則を法的制裁を伴う法規範として理解するのは余計に困難だ。
(5)全体として、意見広告の非難は的が外れている。
□田島泰彦(上智大学教授)「政治的公平とは何か 報道番組「NEWS23」への的外れな攻撃」(「週刊金曜日」2015年12月4日号)
↓クリック、プリーズ。↓
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いささか大仰なタイトルの意見広告が、11月14日付け「産経新聞」、15日付け「読売新聞」に、それぞれ1ページ丸ごと使って掲載された。
広告は、TBSの報道番組「NEWS23」の岸井成格(きしい・しげただ)・メイン・キャスターを名指しで批判するものだった。
広告を出したのは、「放送法遵守を求める視聴者の会」という組織。呼びかけ人には、代表のすぎやまこういち、渡部昇一、ケント・ギルバートらが名を連ねている。
(2)問題視されたのは、安保法案成立間近の9月16日の放送。岸井キャスターが「メディアとしても廃案に向けて声をずっと上げ続けるべきだと私は思います」と発言した点。
広告では、岸井発言は政治的公平や論点の多角的解明を求める放送法4条に違反する重大な違法行為であると断じている。「メインキャスター、司会者であり、番組と放送局を代表する立場の人物」だから、コメンテーターとしての発言とは異なり、同条に明らかに抵触するという。
(3)放送法4条は、放送局に対して一連の番組編集準則を求めているが、そこに含まれる公平原則(政治的公平と論点の多角的解明)をどう考えるべきか。
意見広告のような論難は正統なものと言えるだろうか。
論点は多岐におよぶが、いくつかのポイントを押さえておくことが必要だ。
(4)公平原則は、放送局の編集に際してある種の規律を課すルールであることは確かだが、それだけで自足し、完結するルールではない。
公平原則は、
放送法上の番組編集の自由(3条)
放送による表現の自由(1条)
憲法21条に定める表現の自由
を前提とし、そうした本質的な自由を侵害しない限度で許容されるものでなければならないはずだ。
そのことは、権力の監視を重要任務とする報道機関としての放送局にとって不可欠の要請だ。
とすれば、過度に厳格で一律の公平原則の押しつけは許されない。
具体的には、公平性如何を一番組の中だけで判断するのは、編集の自由や生き生きとした番組作りの観点から妥当ではない。当該局の番組全体などに即して、緩やかに判断しなければならない。
この点で、意見広告の批判は的を射ているとは言いがたい。
また、公平性は
①厳格さがとりわけ求められる選挙報道
②それ以外
において、①と②とでは区別されてしかるべきだ。
何よりも、番組編集の自由や表現の自由、報道の権力監視などの見地からすれば、公平原則は厳密な法的ルールとしてではなく、本質的には倫理的、自主的基準として捉えるのが妥当だ。
日本の場合はとりわけ、政府から独立した判定・実施機関を欠くなど、現行制度は適正な公平原則の実施条件を備えていない。公平原則を法的制裁を伴う法規範として理解するのは余計に困難だ。
(5)全体として、意見広告の非難は的が外れている。
□田島泰彦(上智大学教授)「政治的公平とは何か 報道番組「NEWS23」への的外れな攻撃」(「週刊金曜日」2015年12月4日号)
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