語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【映画】子どもたちとともに ~ 『コルチャック先生』~

2015年12月26日 | □映画
 筆名ヤヌシュ・コルチャックこと本名ヘンルィク・ゴールドシュミットのことは、今日ではよく知られている(たとえば「コルチャック資料館」)。
 史的事実を要約すると、コルチャックは1878年にワルシャワの高名なユダヤ人弁護士の家に生まれ、1942年にトレブリンカ強制収容所でガス室の煙となった。
 医師、教育家、作家、孤児院長。子どもに関わる何でもやった人で、国連「子どもの権利条約」の原型をなす「子どもの権利の尊重」案を1929年に発表した。
 映画でもちらと言及されるが、三度の従軍歴がある。26歳のとき、日露戦争においてロシア軍医として中国東北部へ。36歳から40歳にかけて、第一次世界大戦において再びロシア軍医としてウクライナ前線へ。42歳のとき、1920年のソビエト対ポーランド戦争において、ポーランド軍医として。
 61歳のとき、1939年9月1日、ドイツ軍がポーランドに侵攻した。第二次世界大戦の開始である。9月17日、ソ連軍がポーランドに侵攻し、ポーランドは独ソ両国によって分割占領された。
 62歳のとき、1940年11月、独軍はワルシャワ中心部にゲットー(特別居住区)を設け、50万人のユダヤ人を追いこんだ。コルチャックが院長をつとめる孤児院もゲットーに移った。
 64歳のとき、1942年1月、ヴァンゼー会議で決定された「ヨーロッパにおけるユダヤ人絶滅政策」により、8月6日、高名ゆえに与えられた特赦を敢然としりぞけて、コルチャックは孤児たちとともに強制収容所へ移送された。

 高野悦子『エキプ・ド・シネマ Part2』pp.222-223に『コルチャック先生』の作品紹介がある。
 岩波ホールは、この作品を1991年9月14日から12月13日にかけて上映した。
 この上映期間中に私は上京している。

 映画は、58歳のとき、1936年、コルチャックが「老博士」の名で出演していた人気ラジオ番組が突然うち切られるエピソードからはじまる。
 その後、主としてゲットーにおける子どもたち、コルチャックや職員に焦点があてられるが、ゲットー内外の他のユダヤ人の動きも描かれる。
 その業績により市民はもとより敵軍の軍医からも敬意を表されていたのだが、コルチャックもまたユダヤ人の一人として同朋とともに苦難に耐えなければならなかった。しかも、彼に全面的に頼る孤児と孤児院の職員がいた。食糧調達のため、屈辱的な行動もとらざるをえない。ユダヤ人抵抗組織から難詰されて、「誇りなどない、200人の孤児がいるだけだ」と答える。その孤児のために、コルチャックは彼を慕う者たちが手配した亡命の機会を敢えて捨て、子どもたちと運命をともにする。
 孤児たちには無限にやさしく、しかし時には厳しく、独軍の横暴には毅然と抗議して殴打されたりもする。孤児の食糧を確保するためには債鬼のごとく執拗に金持ちのユダヤ人やユダヤ人組織と交渉した。そのコルチャックも悩みで打ちひしがれる時があり、疲労で立ちあがれなくなる時もあった。一個の特異な人格のこうした多様な側面を主演のヴォイチェフ・プショニャックはあますなく演じきる。
 暗い運命を漠然と感じとりつつも子どもたちの瞳は煌めく。少年少女にも幼い恋と深い絶望があり、コルチャックは慈しみをもってくるむ。答えるには困難な問い、子どもも自殺するか、の問いかけにも、はぐらかすことなく、コルチャックは真剣かつ誠実に答える。・・・・母が亡くなったとき自殺したかった、と。そして、大人以上に尊厳をもって子どもは死ぬことができる、と。
 1942年7月、コルチャックは孤児院でタゴール作『郵便局』を子どもたちに上演させた。死というものを身近に感じさせるために。その1か月後、飢餓に苦しみつつもまだ人間の尊厳を保つことができたゲットーから子どもたちは追われた。
 あえて白黒で終始した地味な映像が、かえって歴史の重み、コルチャック先生の骨太な生きざまを鮮やかに浮き彫りにする。

 アンジェイ・ワイダ監督、ヴォイチェフ・プショニャック、エヴァ・ダルコウスカ、ピョートル・コズロウスキー、マルツェナ・トリバラ、ヴォイチェク・クラッタ出演。
 第43回カンヌ国際映画祭特別表彰受賞。

□ 『コルチャック先生』(ポーランド・西独・仏、1990)
     ↓クリック、プリーズ。↓
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ  人気ブログランキングへ  blogram投票ボタン

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【本】地方の時代、地方に生きる人のために ~『だれも知らない小さな国』~

2015年12月26日 | 小説・戯曲
 小学校3年生の<ぼく>は、夏休みのある日、トリモチをつくるためにもちの木を探しに出かけた。ある小山にもちの木をたくさん見つけ、しげしげと通うようになった。「小山」は鬼門山という名があり、地元の人は近づかない。里人がわけ入ると、事故が起きるのである。
 ・・・・といったような発端から、鬼門山の事故は、じつは「小山」の住民、コロボックルの末裔である「こぼしさん」たちのしわざであることが後に判明する。おとなになって、「小山」に近い会社の電気技師になった<ぼく>は、山もちから小山を借り、「こぼしさん」さちとともに「矢じるしの先っぽの国」を築くことになる。
 「小山」に高速道路を走らせる計画がもちあがり、<ぼく>は「こぼしさん」たちに協力して対抗するのだが、その後の成り行きは未読の方のため伏せておこう。
 1959年私家版、同年講談社刊。
 1959年度毎日出版文化賞、1960年度児童文学者協会児童文学新人賞、国際アンデルセン国内賞の各賞受賞作。
 以後、第2巻『豆つぶほどのちいさないぬ』、第3巻『星からおちた小さな人』、第4巻『ふしぎな目をした男の子』、第5巻『小さな国のつづきの話』が続き、第1巻から24年間をへた1983年にいったん完結するが、1987年に別巻『コロボックル物語  小さな人のむかしの話』 が刊行された。

 ・・・・と書けば、いちおう作品紹介はおわるのだが、ここから先がむずかしい。どう評価するか。
 自分だけの城と領土をもちたいという思いは、どんな子どもにもある。森の奥の倒木の影、大樹の上の小さな小屋、崖っぷちの洞窟・・・・。<ぼく>、のちに<せいたかさん>と呼ばれる語り手の場合、それが「小山」だったとするならば、子どものときに抱いた夢がかなう点で、成功譚である。
 子どもなら無垢な夢ですむが、おとなが自分だけの城と領土をもちたいという思いは単なるマイホーム主義にすぎない、という批判は本書の一面をついている。
 高速道路建設を日本列島改造論(と同工異曲の思想)とみれば、「公」権に対する「私」権の抵抗という今日的な主題をふくむ。

 ここでは、一寸法師と対比させて考えたい。
 一寸法師は、さいごには、打ち出の小槌でお姫さまとほぼ同じおおきさに変わり、メデタシ、メデタシ、となる。幸せになるには、人なみでないといけないのだ。これが我が国の世間の考え方であった。そして、世間に合わせて人々は自分を改造してきた。
 アンデルセンの親指姫は、ちっちゃなままで幸せになるのに。
 わが「こぼしさん」たちは、ちっとも世間に合わせる必要を感じていない。自分たちの「矢じるしの先っぽの国」があれば、それで足りている。
 「こぼしさん」たちは日本という国に干渉しないから、日本政府も「矢じるしの先っぽの国」に干渉してくれるな。

 オーストラリア西部に暮らす農夫レナード・ケイズリーは、政府による小麦の割り当ての大幅な削減に抗議して、1970年、独立を宣言した。面積18,500エーカー、人口20人の独立国ハット・リヴァーである。リヴァー国は通貨、切手を発行し、国歌、国旗もつくった。国連にオブザーヴァー国としての参加を求めたが、読者も容易に想像できる理由で、要請は却下された。しかし、ケイズリーはへこたれず、「外交上」の攻撃によってオーストラリア政府を悩ませ続けた。【注】
 「矢じるしの先っぽの国」の住民は、ケイズリーより淡泊である。日本国政府を悩ませたりはしない。

【注】ジェイ・ロバート・ナッシュ(小鷹信光訳) 『世界変人型録』 (草思社、1984)

□佐藤さとる『だれも知らない小さな国』(講談社文庫、1973)
     ↓クリック、プリーズ。↓
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ  人気ブログランキングへ  blogram投票ボタン

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【本】家庭と学問を両立させた偉人の伝記 ~『神谷美恵子 聖なる声』~

2015年12月26日 | ノンフィクション
 ハンセン氏病患者につくした精神科医、生きがい論のエッセイスト、ヴァージニア・ウルフ研究家、ミシュエル・フーコーやマルクス・アウレリウス・アントニヌスの訳者・・・・といった多様な顔をもつ神谷美恵子の伝記である。
 単行本は1997年、講談社刊。文庫化にあたって、単行本上梓後に得た証言を盛り込んでいるから、本書が定本となる。

 神谷美恵子は、ILO日本政府代表に就任した父の前田多聞とともに、9歳から12歳までジュネーブで暮らした。同行した家族は、母、兄の陽一のほか、妹が二人いた。末弟はスイスで生まれた。ちなみに、陽一は、後の東京大学教授、仏文学者。パスカル研究の世界的権威である。
 スイスの公用語はフランス語、ドイツ語、イタリア語、ロマンシュ語の4つあるが、ジュネーブはフランス語圏である。美恵子は、ジュネーブで過ごした3年間半のうちに、仏語で考える習慣を身につけた。

 以下、本書は、父の後半生(戦後初代の文部大臣をつとめた)やその人脈(新渡戸稲造や内村鑑三など)を絡めつつ、学問への志(文学から医学への転学)や交友関係(生涯の親友浦口真左たち)、そして内面の深化を追っている。

 美恵子は、1946年、32歳のときに婚姻。
 夫、神谷宣郎は、1949年に大阪大学教授として赴任し、直後にペンシルヴァニア大学へ招聘研究員として渡米した。
 二人の幼児をかかえた美恵子は、留守宅を守りつつ、神戸女学院大学へ週3回英文学を講じた。長男が肺門リンパ線結核に、ついで次男が粟粒結核にかかったため、高価な治療薬ストレプトマイシンを手に入れるべく、自宅の2階で仏語の私塾を開いて稼いだ。さらにハワード・ノーマン(ハーバートの兄)の依頼でカナディアン・アカデミーでも週3回仏語を受け持つ。
 休みなしの日々である。こうした多忙にもかかわらず、夫やその研究室員、大学院生の英語論文まで、嫌がらないで目をとおした。
 転機は1955年、41歳のときに訪れた。子宮癌にかかり、ラジウムの大量照射でくいとめた。これを機に夫の兄の経済的援助を受けることとし、学問に専念して医学の学位論文を取得する。研究中に再三訪れた長島愛生園との関わりは、その後も続く。

 神谷美恵子を知るには、伝記的事実をたどるだけでは不十分だ。その思想、その科学的知見は、彼女の著作にあたるしかない。
 とはいえ、本書は神谷美恵子の精神の巨大な歩みを側面から照射してくれる。生涯をたどると、傑出した知識人だったことを新ためて認識させられる。しかも、家事と育児とをまっとうし、加えて語学教師となって家計を支えること10年間に及んだ。男性ならば家庭を伴侶にまかせて学問に没頭することもあるだろうが、美恵子は家庭と学問を両立させたのである。驚異といわねばならない。

□宮原安春『神谷美恵子 聖なる声』(講談社、1997/のちに文春文庫、2001)
     ↓クリック、プリーズ。↓
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ  人気ブログランキングへ  blogram投票ボタン

 


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【人権】したくないことはしない ~ルソーの市民的自由~

2015年12月26日 | 社会
 管理に抵抗する論理は、基本的人権から導き出される。憲法の定める基本的人権である。
 支配者は管理の必要上、被支配者と「基本的人権について契約を結ぶ。結ばざるをえない。こちらのよりどころも、そこにしかない」。
 「疎外による人権の侵害としてでてくる。それにたいして、契約によって、抵抗する。いかなる場合にも、つねにこの最初の契約にたちかえることが、抵抗の論理である」。

 ただし、「直接民主制がもしルソーのいったようなものだったら、やはり支配の論理につながる」。
 ルソーの自然ないし原始は、神が人間に与えた善なる社会である。ところが、人間は人為によって悪への道を辿った。よって、別の人為、すなわち社会契約によって善なる社会を形成しなくてはならぬ。これがルソーの社会契約論である。

 しかし、一般意志を形成する過程で基本的人権の重大な部分を委嘱するならば、人民は自由を失って支配される側へ転落する。
 旧ソ連では自由は階級に密着して人間から離れた。自由の二義性が隠れ蓑にされた。

 バスチーユの壁を壊しに行く群衆の叫ぶ自由は、古い圧制者を全体として否定する合い言葉であった。
 しかし、人民には支配者になろうとする自由がある一方、被支配者にもなる。そのときの自由とは、「基本的人権の壁によって守られた内側の自由である。この自由をもっとも早く気づいたのはルソーであろう」。
 そう指摘した上で、松田道雄は『孤独な散歩者の夢想』から引く。
 「わたしは、人間の自由というものはその欲するところを行うことにあるなどと考えたことは決してない。それは欲しないことは決して行わないことにあると考えていたし、それこそわたしがもとめてやまなかった自由、しばしばまもりとおした自由なのであり、またなによりもそのために同時代人を憤慨させることになったのだ」(第六の散歩)

□松田道雄『革命と市民的自由』(筑摩書房、1970)
     ↓クリック、プリーズ。↓
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ  人気ブログランキングへ  blogram投票ボタン

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【ブラック企業】の全業種への拡がり ~ブラック国家~

2015年12月26日 | 社会
 (1)「ブラック企業」の内情は、当初インターネットなどで「告発」されたものの、それらは断片的な情報にとどまっていたために、深刻な社会問題として受け止められなかった。
 「ブラック企業」の広範な実態と背景については、今野晴貴『ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪』(文春新書、2012)が刊行されて以降、急速に認識が深まり、政策の争点となっていった。

 (2)残念ながら、それでもまだ社会のなかには依然として「いまどきの若者はすぐに仕事を辞める」「根性が足りない」といった個々人の精神論的な問題と考える人が少なくない。
 しかし、「ブラック企業」問題の本質は、単なる労務問題ではなく、「ブラック企業」で働く労働者でなくても不利益を被る社会問題と化している。
 では、「ブラック企業」はなぜ大きな社会問題となったのか。
 それはまず、長時間労働などで若者を労働者として「使いつぶす」と、次世代の労働者がますます不足してくるからだ。
 また、働いていた若者が鬱病に罹患すれば、税収や社会保険料が減少し、逆に社会の支出が増えてしまう。これでは財政悪化の要因にもなってしまう。
 一企業にとって若者を「使いつぶす」ことは短期的な利益を最大化させることができるので、「合理的」な経営戦略かもしれないが、そのツケはすべて社会にまわる。端的に言って、「ブラック企業」の存在は、個別企業の利益のために、社会全体の再生産を脅かす「公害」同然の問題なのだ。

 (3)こうした実態の体系的な告発を受けて、政府(厚生労働省)も2013年9月、対策に乗り出した。ブラック企業を
   「若者の《使い捨て》が疑われる企業」
と定義し、労働基準監督署による監督を強化した。
 また、同時期に民間でも「ブラック企業被害対策弁護団」や、研究者・NPO法人・労働組合らで「ブラック企業対策プロジェクト」が結成され、被害者の、労働基準法以外の権利擁護にも乗り出した。

 (4)政府のブラック企業対策も進みつつある。
  (a)2015年9月には、「青少年雇用促進法」が制定された。この法律は、ブラック企業が社会問題化したことなどを背景に、若者の就職や雇用継続を支援することを目的としている。より具体的には、
   ①中小企業に対して、直近の3事業年度の離職者の数や平均勤続年数などの情報を学生やハローワークが求めた際に開示を義務づける。
   ②若者の育成に積極的な企業を認定する。
   ③違法行為を繰り返した企業の求人をハローワークで受け付けない。
  (b)厚労省は、2015年5月から、ブラック企業の企業名公表について新基準を採用し、行政が是正勧告を行っていて違法な労務管理をしていることが分かっている企業の名前がより公表しやすくなった。

 (5)(4)の政府の対策の有効性には限界もある。
  (a)多くの学生が就職活動で利用しているのは、ハローワークではなく、民間の就職情報サイトだ。そうしたサイトからブラック企業の求人を締め出すことは、(4)の対策の枠内では不可能だ。
  (b)明確な違法行為をしている企業に対して対策しやすくなったが、労働組合と協定を結ぶなどして「合法的に」長時間労働が行われているケースや、労働基準法の範囲外であるパワーハラスメントなどは取り締まりの対象外となっている。

 (6)若者の「使いつぶし」や社会の再生産を脅かす問題は、ブラック企業が多かった業界(IT産業、飲食店やアパレルなど接客業)だけにとどまらず、社会のさまざまな場面に拡がっている。

 (7)(6)の例1、「ブラックバイト」。大学生や高校生を低賃金のアルバイト契約のままで「戦力」として活用する企業の登場だ。酷使する手法が拡がっているのだ。
   ・コンビニなどのクリスマス商戦におけるケーキの予約、お中元・お歳暮などの予約といったノルマ。
   ・テスト期間でも休みを貰えず、強制的にシフトに入れられる、etc.の長時間労働、サービス残業。
 この背景に貧困化する学生の経済事情もある。日本学生支援機構の調査によれば、奨学金を受給した学部生は、
   ・2008年度 全体の43%
   ・2012年度 全体の53%
まで増加した。また、全体の7割がアルバイトに従事している。
 本来であれば、国際競争力を持つ職業人としての基礎能力や長期的な国内産業を担いうる人材を育成するための大学教育だ。多額の国費も投入されている。その大学に通う学生がアルバイトで使いつぶされてしまっては、日本の人材は枯渇し、産業の運営も成り立たない。

 (8)(6)の例2、「マタニティハラスメント」。妊娠期間中や育児期間中を理由にした嫌がらせだ。ブラック企業と同じように個別企業にとっては「合理的な労務管理」の帰結なのかもしれないが、少子化を進展させ、日本社会の未来を奪い、破壊してしまう行為だ。 

 (9)(7)や(8)のように、国の未来を考慮せず、近視眼的に資源を食いつぶしてしまうような経済運営が拡がっている。
 これはいわば国家のブラック化だ。そのような社会は、目先の数字上は企業の利益が上がり、「生産的」に見えたとしても、しっかりと経済のイノベーションを実現し、人間が健康で将来に希望を持てるような、本当の意味での「生産的」な社会とは言えまい。

□今野晴貴「全業種に拡がったブラック企業」(『オピニオン 2016年の論点』、文藝春秋社、2015)
     ↓クリック、プリーズ。↓
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ  人気ブログランキングへ  blogram投票ボタン

 【参考】
【ブラック企業】大賞2015 ~セブンイレブンの何が問題なのか~
【ブラック企業】大賞2015ノミネート ~セブン-イレブンなど6社~
【ブラック企業】の没落 ~改善策なき「ワタミ」の絶対絶命~
【ブラック企業】ブラックバイト対策を ~恵方巻きにセブンが販売ノルマ~
【ブラック企業】大賞2014 ~(株)ヤマダ電機が2冠を獲得~
【ブラック企業】大賞2014 ~候補決定~
【ブラック企業】を残業代ゼロが促進 ~竹中平蔵パソナ会長向け成長戦略~
【ブラック企業】対策プロジェクトが成功した要因 ~社会運動と言説~
【ブラック企業】連帯の極小サイクル ~社会の底でせめぎ合う情念~
【ブラック企業】の定義は社会運動がつくりあげた ~言説~
【【ブラック企業】が社会問題として認知されるまで ~社会運動~
【ブラック企業】赤字49億円! 「瀬死」のワタミから人もカネも消えた
【ブラック企業】奨学金という貧困ビジネス ~学生の苦難(3)~
【ブラック企業】全身就活 ~学生の苦難(2)~
【ブラック企業】ブラックバイト ~学生の苦難(1)~
【ブラック企業】激変する若年労働者市場 ~労使間の話し合いが不可欠 ~
【ブラック企業】調査対象の8割で違法行為 ~厚労省初「ブラック企調査」~
【ブラック企業】対策講座 ~騙されないための心得~
【ブラック企業】対策講座 ~就活~
【社会】ブラック企業大賞2013 ~ワタミフードサービス~
【社会】「ブラック企業」への反撃 ~被害対策弁護団が発足~
【社会】「ワタミ」の偽装請負 ~渡辺美樹・前会長/参議院議員~
【社会】学校もこんなにブラック ~公教育の劣化~
【社会】私学に広がる教員派遣と偽装請負
【社会】私学に広がる教員派遣と偽装請負・その後 ~裁判~
【本】ブラック企業 ~日本を食いつぶす妖怪~
【本】ブラック企業の実態
【社会】若者を食い潰すブラック企業 ~傾向と対策~
【本】ブラック企業の「辞めさせる技術」 ~違法すれすれ~
【心理】組織の論理とアイヒマン実験 ~ブラック企業の心理学~
【社会】第二回ブラック企業大賞候補 ~7社1法人~
【社会】ブラック企業における過労死、ずさんな労務管理 ~ワタミ~
【社会】ブラック企業の見抜き方 ~その特徴と実例~

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【本】異国で独りはたらく ~『スウェーデンの作業療法士』~

2015年12月26日 | □スウェーデン
 河本佳子さんは、マルメ大学総合病院ではたらく作業療法士である。
 本書は、かの国の作業療法士の仕事ぶりや作業療法の現場を紹介するとともに、「福祉先進国」を支える平等の精神を伝える。

 リハビリテーションあるいはハビリテーションは、個々の患者の治療や訓練だけではなくて、住環境や地域の社会環境の整備も推進しなくてはならない。
 だから、スウェーデンの作業療法士は、建築に関する基礎的な素養をもたねばならない。
 高齢者や障害者が暮らす住宅の改造にあたっては、家庭訪問し調査し、改造の必要性を証明する書類を作成し、簡単な設計図さえも作成し、コミューン(日本の市町村に相当する)の建築事務所へ申請する。
 個々の住宅改造に関与するだけではない。都市計画が設計される際にも発言する。
 患者の社会参加にも寄与する。医療チームの一員、「余暇コンサルタント」とともに、夏休みにはキャンプやマルメ市探検などを企画し、実施するのだ。
 忙しいが、自主的に指導・訓練計画をたて、自らの責任において実施できる点で、「大変だけれども最高に面白い」。
 面白いのは当然だ。仕事の範囲が、日本の作業療法士より、かくだんに広い。

 本書は、作業療法士の日常、同僚たちの人間模様、感覚統合教室とも訳されるスヌーゼレンの実際、統合教育や特別支援学校を実例に即して紹介している。医療福祉や障害児教育の専門家はもとより、患者とその家族にも役立つだろう。
 現に、著者は、日本の各地で、なんどか講演している。

 さらに、本書のいたるところで言及されるスウェーデンの福祉、そのお国柄は、一般の読者にも興味深いはずだ。
 たとえば、医療制度。
 歯科医療は別として、すべての病院は公営であり、独立した医療予算の枠内で患者負担のない公的治療を行う(社会保険による医療費給付ではない)。だから、過剰診療は生じない。
 たとえばまた、スウェーデン独特の平等な社会システム。
 平等は、議論に地位の上下関係が持ちこまれず、職種に関係なく互いをファースト・ネームで呼び合う点にも見られる。
 スウェーデンでは、幼いころから、家庭内のことは家族が共同で処理する。こうした発達期の環境が、男女の性差や障害の有無にかかわらず、誰もが自立すること、そのうえで平等に生きること、といった精神をつくりあげたものだろう。著者はそう推定している。

□河本佳子『スウェーデンの作業療法士 -大変なんです、でも最高に面白いんです-』(新評論、2000)
     ↓クリック、プリーズ。↓
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ  人気ブログランキングへ  blogram投票ボタン

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【本】江國滋の遺句集『癌め』 ~患者みずからの貴重な証言~

2015年12月26日 | 詩歌
 滋酔郎江國滋は、随筆家、俳人。1934年生、1997年没。享年62。
 晩年、食道癌にかかった。
 本句集には、闘病半年間に詠んだ545句が収められている。

 「病床にはや夏場所の触れ太鼓」のように独立して味わうに足る佳品もあるが、全体としては、癌をめぐる連作である。
 十七文字に託した闘病記として読んだ場合、三つの面が浮き上がる。
 第一に、「永き日や聞きしにまさる検査漬け」のような、ほとんど散文に近い記録の側面である。
 第二に、常に変わらず読者サービスに努める文筆家の貌である。
 「春の昼見舞の友は長ッ尻」には、川柳めいた笑いがある。

 第三に、これがもっとも刮目に価するが、病人の心理である。散文では語りがたい内面が、窮屈な形式であるがゆえにかえって赤裸々に活写される。
 「着ぶくれの電車に癌は俺だけか」には、自分だけが死へ至る病にとりつかれた、という孤独感。
 「百回も『なぜだ』と自問春さむし」には、よりによって自分が死病にかかるなんて不条理だ、という思い。
 「春のテレビばかタレどもはど健康」では、健康な人々に対する怨みというべき屈折した感情が吐露される。

 痛みが昂ずると、「梅天やこんなに骨が痛いとは」となりふりかまわず、ほとんど悲鳴に近い。
 無力感が濃くなると「梅雨冷えの奈落の底の底思ふ」
 入院経験のない人には気づきにくいが、病室では暇で屈託するから「春の灯を点けるまた消すまた点ける」
 無聊の先にあるのは、空虚である。「飽きることにも飽いてゐる日永かな」

 通読すると、病が重くなるにつれて諦念に傾いていくのがわかる。
 しかし、「ちちははの呼ぶ声聞こゆ明易し」の諦念にはまだ余裕があって、その余裕が枯れると病気さえ即物的に見るにいたる。「朝涼やまだ生きてゐて痰地獄」の客観化は、すさまじい。
 「おい癌め酌みかはそうぜ秋の酒」が絶筆。前書に「敗北宣言」とある。この諧謔は著者の持ち味だ。直前の暗く沈みきった一連の作品のトーンとは異質だから、まだ元気な時期にものして、土壇場で披露したのかもしれない。だとすると、随筆や俳句で読者を楽しませ続けてきた著者の、最後にみせた意地というべきか。

 癌は、死因第一位の座を譲ったが、依然として死と隣あわせの病気であることに変わりはない。病人がどんな思いをして治療に耐え、最後をむかえるかは、結局のところ本人でないとわからない。
 ここに表現を業とする滋酔郎がいて、闘病中の一喜一憂を報告した。
 癌患者の家族にとってもターミナルケアの従事者にとっても、貴重な証言といわなければならない。

□江國滋『癌め』(角川文庫、1999)
     ↓クリック、プリーズ。↓
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ  人気ブログランキングへ  blogram投票ボタン

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【本】藤沢周平と時代小説 ~『海坂藩の侍たち』~

2015年12月26日 | 批評・思想
 平成4年6月から平成6年4月にかけて刊行された藤沢周平全集(文藝春秋社)全23巻の解説をまとめた単行本(文藝春秋社、1994)に、藤沢周平の唯一の現代小説『早春』、絶筆となった『漆の実のみのる国』のそれぞれを論じた2編を加える。作品の刊行年次にこだわらず、主題によって3部構成とする。
 すなわち、「第一部 しぐれ町の住人たち」、「第二部 海坂藩の侍たち」、「第三部 英雄ぎらい」である。

 本書の構成自体が藤沢作品の特徴をいかんなく示している。
 つまり、量的に市井ものと武家ものがあい半ばすること、両者に共通して権力に対する礼賛がないこと、である。

 全作品に目をとおした人ならではの指摘が随所に見受けられる。たとえば、主人公が担う暗い過去や彼がかかえる鬱屈した情念は、結核で教職を辞し(所定の期間を越えて休職した)、業界紙の編集と平行して書いた発表した初期作品に顕著であって、『用心棒月影抄』成立前後から「しだいに相貌をあらため、ハッピー・エンドとまではいわぬまでも、何かしらほほえましい、なごんだ後味を残す結末を持つものがふえはじめる。」と作家生活十年近くのうの変化を指摘する。
 あるいは、かくも膨大な数の作品を書き継いできていながらその出来にむらというものがまったくない、という断言も、全作品を追いかけた人にだけできることだ。

 読み巧者の向井敏らしく、微に入り細にわたって藤沢作品の特徴を拾いだすが、時代考証のたしかさも、指摘されてみて気づく、というより嬉しい。気づくには、読者のこちらが江戸時代に、さっぱり詳しくない。
 ちなみに、藤沢周平は三田村鳶魚をしっかりと読んでいるそうな。鳶魚には、時代小説における史実に対する軽視ないし無知をこきおろした評論集が2編ある。たとえば、御用聞や岡っ引きは同心の指図がなければ、いかなる場合でも縄をかけることができない。こう事例を引いて、向井敏は藤沢がちゃんと史実をふまえている点を『神谷玄次郎捕物控』から例証する。

 作家の特徴は、同じジャンルを扱う他の作家と比較するとよくわかる。
 向井敏も山本周五郎たちと比較するが、きわだって異なるとされるのは司馬遼太郎である。
 司馬遼太郎の織田信長に対する評価は、きわめて高い。信長は「この国の思想史上最初」の無神論者、「有害無益な中世の魑魅魍魎どもを退治」して「理に適(あ)う世を招来する革命思想」を抱懐していた稀有の人物である。だから、明智光秀にその旧主の髑髏の盃で酒を飲むべく強要する「狂気」も、軽く飄逸な描写ですませる。
 他方、藤沢周平は、叡山焼き討ちをはじめとする大殺戮、ことに正規の軍団ではない一向一揆(2万人を焼殺した長島ほか)に対する残虐はナチス・ドイツのホロコーストやポル・ポト政権の大量虐殺と共通するもので、常識的な立場から受け入れがたいとする。だから、信長の「狂気」は彼の本質に根ざすものであり、光秀に対するふるまいも司馬遼太郎と違って、軽く看すごしはしない。
 このくだり、あくまで向井敏の対比にそって要約しているのだが、藤沢周平の特徴を鮮やかに浮き彫りにしていると同時に、明言はしないけれど藤沢に心を寄せる向井敏の立場も明かにしている。向井もまた、英雄史観よりは「常識的な立場」に立つと見てよい。

 かにかくに、評者すなわち向井敏は藤沢作品をおおいに楽しみ、細部にわたって楽しんでいることが、本書のいたるところから伝わってくる。
 時代小説作家にとって、これにまさる批評はあるまい。

□向井敏『海坂藩の侍たち 藤沢周平と時代小説』(文春文庫、1998)
     ↓クリック、プリーズ。↓
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ  人気ブログランキングへ  blogram投票ボタン

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする