語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【保健】適性な「降圧目標値」 ~120未満で関連疾患が3割低下~

2015年12月13日 | 医療・保健・福祉・介護
 (1)最新の「高血圧治療ガイドライン」では、日本人の降圧目標値は、
   「140/90mmHg未満」
で、その前の
   「130/80mmHg未満」
から緩和された。この「緩和傾向」は、ここ数年の世界的トレンドだったのだが。

 (2)先日、米国立心臓肺血液研究所から、大規模臨床試験「Systolic Blood Presure Intervention Trial(SPRINT)」の解析結果が報告された。試験名を邦訳すると、「収縮期血圧(上の血圧)介入試験」といったところ。
 試験は、
   ①50歳以上
   ②上の血圧が130mmHg以上
   ③心血管疾患の既往
   ④慢性腎臓病がある
などのハイリスク例、もしくは
   ⑤75歳以上の高血圧患者
を対象に行われた。
 高圧目標を上の血圧に絞り、
   (a)「120mmHg未満」の厳格な降圧治療群
   (b)「140mmHg未満」の緩い降圧治療群
に分け、その影響を追跡している。(a)は、平均3種類の降圧剤を処方されている。
 対象者は、9,250人。③が1,877人、④合併が2,648人、⑤が2,636人だった。
 本来、同試験は2018年末まで続くはずだったが、この秋で打ち切られた。命に関わる優劣が明らかになったからだ。

 (3)(2)の(a)群は、(b)群と比べ、心筋梗塞や脳卒中の発症頻度とその関連死が30%低下。全死亡率も25%少なかった。血圧低下によるめまいなどは増えたが、文句なく(a)群に軍配が上がった。
 ガイドラインでは、SPRINTの対象に近い「糖尿病や蛋白尿を伴う慢性腎臓病」の降圧目標値は130mmHg未満。
 日本高血圧学会は、医療現場の混乱を防ぐためか、同試験の結果が報告された数日後、ホームページ上に「慎重な判断が求められる」とコメントを掲載。次のガイドライン改定で「厳格な降圧治療」への揺り戻しがあるかどうかは、今のところ不明だ。

 (4)ともあれ、われわれ一般市民は、
   「高血圧は体に悪く、下手をすると死を招く」
と肝に銘じよう。生活週刊の改善が先決で、数値に振り回されるのは、その後でいい。

□井出ゆきえ(医学ライター)「適性な「降圧目標値」は? 120未満で関連疾患が約3割低下 ~カラダご医見番・ライフスタイル編 No.279~」(週刊ダイヤモンド」2015年12月12日号)
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 【参考】
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【保健】前糖尿病患者は食習慣の改善を ~全国糖尿病週間~
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【保健】貧乏ゆすりが命を救う? ~マナーより健康~
【保健】「高収入の勝ち組」の健康リスク? ~50歳以上の有害な飲酒~
【保健】照明用白色LEDのブルーライトは安全か?
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【言論】マッカーシズムの教訓 ~政治権力と言論~

2015年12月13日 | 批評・思想
 (1)1950年2月、ジョセフ・マッカーシーという、当時ほとんど無名の上院議員が国務省のなかに大量の共産主義者がいると指弾したことから「マッカーシズム」は始まった。
 6月に朝鮮戦争が勃発、東西冷戦の対立が深刻化するなか、中世の魔女狩りを思わせる赤狩りの嵐が米国社会を襲った。
 『マッカーシズム』を著した米国人ジャーナリストのロービアは、マッカーシーを「米国が生んだ最も天分豊かなデマゴーグ」と捉えている。
 もっとも、マッカーシーが名を馳せたのは、1954年ごろまでのごく短期間にすぎない。1957年には48歳の若さで死去している。
 しかし、稀代のデマゴーグが失脚した後も、赤狩りは執拗に続けられた。

 (2)日本人の経済学者、都留重人が米国上院司法委員会の国内治安小委員会に喚問されたのは、1957年3月のことだった。
 ハーバード大学滞在中に突然、喚問状が届き、2日間にわたり証言台に立たされた。都留は、上院で証言した後に「朝日新聞」に寄せた手記で語っている。「事前の推測では、ノーマン氏(駐エジプトのカナダ大使)との関係を聞かれるのが主眼であろうと考えていたところ、喚問当日まず非公開の席で、いきなり一たばの証拠書類を見せられた」
 ハーバード大学で学んだ都留は、1942年8月、手紙などをアパートに残して帰国した。それが「一たばの証拠書類」となったわけだ。20年近く前に綴った手紙などを証拠として突きつけられた都留が動揺したのも無理はない。

 (3)米国における都留の喚問は、日本の言論界にも衝撃を与えた。
 都留証言から1週間後、ハーバート・ノーマン大使(カナダ人)が赴任先のカイロでビルの屋上から投身自殺したからだ。
 宣教師の子として日本で生まれ、日本語が堪能だったノーマンは、敗戦後の日本でGHQの一員として活躍した。『日本における近代国家の成立』などを著した日本研究の第一人者であり、マッカーサーの信頼も厚かった。
 都留とノーマンは、1930年代にハーバード大学で知り合い、GHQ統治下の日本でも親しく付き合った。
 ノーマンは、マッカーシズムの初期から反共主義者のターゲットになっていて、国内治安小委員会の関心もノーマンにあった。都留証言と自殺を結びつける向きも多かったが、工藤美代子・ノンフィクション作家/『スパイと言われた外交官』の著者によれば、実際には、ノーマンは都留の証言を知らないまま自殺した。

 (4)都留と同時期にハーバード大学で学んだ鶴見俊輔は、論考「自由主義者の試金石」を「中央公論」1957年6月号に寄せている。
 多元的価値観体系に忠誠を誓う自由主義者はそれゆえに「あいまいさ」を身にまとうが、その内実が問われたと指摘した。当時のさまざまな論者の議論を渉猟すると、マッカーシズムの教訓はいまなお古びていない。
 都留喚問をふくめ、マッカーシズムはいまだに十分に解明されたとはいえないが、集団ヒステリーとも形容される赤狩りが、政治権力と言論との関係を劇的な形で露わにしたことだけは確かである。

□佐々木実「マッカーシズムの教訓 赤狩りが露にした政治権力と言論の関係 ~経済私考~」(「週刊金曜日」2015年12月4日号)
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