語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【スウェーデン】における優生手術

2017年07月11日 | □スウェーデン
(1)経緯
 1992年夏、福祉先進国として他の国々の模範だったスウェーデンで、1930年代以降、70年代にいたるまで、優生学を背景とした強制的な不妊手術が実施されていた、という事実が、スキャンダルとして世界を駆けめぐった。
 この直後、スウェーデン政府は、この問題に係る調査委員会を発足させ、委員会調査部は1999年1月末、中間報告「スウェーデンにおける不妊手術問題」を提出した。委員会調査部は、強制不妊手術の実態を調査のうえ、200件超のケースについて、スウェーデン政府は被害者に対する謝罪ならびに補償を早急に行うべし、と勧告し、そのための法案を準備した。委員会は遅くとも1999年7月1日までに最終報告書を提出するとした。
 優生学と福祉国家は、これまで相互に対立するものとして語られるのが常だったが、歴史的事実を追っていくと、むしろ福祉国家の枠組みの中でこそ、優生学とこれに基づく諸政策は発展したと考える方が正しい。

(2)スウェーデン報道をめぐる問題点
 件のスウェーデン報道に関して、二点。
 (a)日本のマスコミの姿勢・・・・右のスキャンダルは、スウェーデンの有力紙「ダーゲンス・ニヘーテル」の記事(1997年8月20日、21日付)を、まずAFPとロイターが拾い、さらにこの外電に朝日をはじめ日本の各紙が飛びつくという形で伝わった。その際、スウェーデンと全く同様、いやそれ以上のことが、戦後の日本でも「優生保護法」下で行われてきたにもかかわらず、日本の各紙は当初、この自国の問題を全く省略して、スウェーデンのことだけを報じた。
 「優生保護法」は1996年6月に「母体保護法」に改正された。本来ならば(遅くとも)この時点で、日本のマスコミは、優生保護法の何が問題だったのかを検証しながら、国内の強制不妊手術の問題をきちんと論じるべきだったのだが、それが全く看過されたまま、1997年夏を迎えた。障害者団体や女性団体の訴えに触発される形で、日本のマスコミが自国内の問題に言及し始めたのは、スウェーデン報道から約1ヵ月たってからだ。
 (b)スウェーデン通とされる日本の識者たちの、件の報道に対する反応・・・・いわく、強制不妊手術の問題はスウェーデンでは、すでに周知のことであり、現在そのようなことは行われていない。それがあのような形で大々的に報じられたことには、何らかの悪意を感じる。この報道は、20年代以降、国政の中心にいたスウェーデン社民党を、さらには福祉国家スウェーデンそのものをバッシングするためのものではないのか、云々。スウェーデンびいきの人びとがそう思いたいのは分かるし、事実、そうした副次的効果がなかったわけではない。
 しかし、こうした見方はやはり偏っている。

(3)スウェーデンの断種法
 スウェーデンの断種法(正式名「特定の精神病患者、精神薄弱者、その他の精神的無能力者の不妊化に関する法律」)は、「国民の家(folkhem)」を標語に、福祉国家の確立を訴えたハンソン社民党政権下で、1934年5月に制定された。ナチス・ドイツが断種法を制定した翌年のことだ。この法律によって、法的に有効な同意能力が期待できないとされた精神病患者、知的障害者などに対する不妊手術が合法化された。その法律は、第1条で「精神疾患、精神薄弱、その他の精神機能の障害によって、子どもを養育する能力がない場合、もしくはその遺伝的資質によって精神疾患ないし精神薄弱が次世代に伝達されると判断される場合、その者に対し不妊手術を実施できる」と定めた。その際、重要なのは、手術は、保健局の審査ないし医師の鑑定によって実施され、本人の同意は全く不要だったことだ。物理的な強制こそ禁じられていたが。公式記録によると、この法律に基づいて1941年までに実施された不妊手術は合計で3,243件である(その9割は女性)。
 この34年断種法は、41年に大幅に改正された。改正のポイントは、(4)以下のとおり。

(4)41年改正のポイントの第一
 不妊手術の適用事由を三つに分けながら、手術の対象者を拡大した点。
  ①優生学的事由。「ある者が精神疾患、精神薄弱、その他の重い疾患ないし欠陥をその子どもに伝えると判断できる場合」、不妊手術が認められた。34年法と異なり、知的障害、精神障害以外の身体的な疾患や障害も、この適用事由に含まれることになった。
  ②社会的事由。ある者が「その精神疾患、精神薄弱、その他の精神的欠陥、もくしは反社会的な生活様式ゆえに、将来、子どもの養育には不適当であることが明白な場合」に認められた。ここで重要なのは、「反社会的な生活様式」云々の対象として、「タッタレ(tattare)」(スウェーデン国内のエスニック・マイノリティー)がターゲットにされたことだ。その出自は不明の部分が多いが、「タッタレ」は、「ジプシー」と呼ばれたシンティ、ロマの人びとと同様、各地を放浪しながら生活し、基本的には農耕定住社会と言ってよいスウェーデンでは極めて異質な存在だった。
  ③医学的事由。41年法は、「病気、身体的欠陥、衰弱」にある女性が、「その女性の生活と健康を著しく危険にさらすような妊娠を予防する」場合に、不妊手術を認めると定めている。この規定そのものには何も問題がないように見える。しかし、最初にあげた「優生学的事由」に該当するケースが、戦後この「医学的事由」に流れ込むことによって、優生政策は実質的に維持されたという事実がある。

(5)41年改正のポイントの第二
 34年法と異なり、不妊手術の実施は原則として本人の同意が必要であると明記した点。この原則は前記三つの適用事由すべてに妥当した。
 しかし、前記調査委員会中間報告は、41年法によって実施された少なからぬ不妊手術が、本当に自発的なものだったとは言いがたい、と指摘している。中間報告は、六つの疑わしいケースをあげている。
  ①不妊手術が、施設や刑務所にいる人びとに対して、そこからの退(出)所、あるいは施設内での待遇改善の条件として、当事者に提示されていたケース。この場合の「同意」は、半ば強制的に得られたものだと判断せざるをえない。
  ②不妊手術が、未成年者や法的に有効な同意能力を期待できないとされた人びとに対しておこなわれたケース。とりわけ後者に関連することだが、41年法そのものが、その第2条で、本人の「精神的障害」のため法的に有効な同意能力が期待できない場合、右に述べた適用事由のどれかに該当すれば、本人の同意は不要であると明記していた。
  ③50年代までに「精神薄弱」との診断の下で実施された不妊手術。その場合に、本人の「同意」があったとしても、そこできちんとしたインフォームド・コンセントがなされたかどうかは今日、残されている記録では確認できず、きわめてずさんな手続きだった可能性が高い。
  ④中絶との絡みで実施された不妊手術。38年のスウェーデン中絶法は、妊娠中絶を、医学的理由(妊娠の継続と出産によって女性の生命と健康が著しく損なわれる場合)、犯罪的理由(レイプ)、社会的理由(貧困など)にもとづいて各々、合法化したが、これらとならんで優生学理由(生まれてくる子どもが先天的な疾患や障害がもっていると予想される場合)によっても中絶を認めていた。そして、最後の優生学的理由で中絶する場合には、同時に不妊手術を受けることが義務づけられていた。明確な法規定こそなかったものの、社会的理由その他で中絶する場合にも、不妊手術が条件として提示されていた疑いが強く、こうしたケースでの「同意」にも問題がある。
  ⑤「婚姻法」(1915年制定、20年改正)との絡みで実施された不妊手術。この法律は、てんかん患者、精神病患者、知的障害者の婚姻を禁止していたが、いくつかのケースでは不妊手術と交換条件で婚姻を認めていた。この場合の「同意」にも問題がある。なお、婚姻に関する欠格条項は、てんかん患者については69年まで、精神病患者、知的障害者については73年まで存続した。
  ⑥福祉サービスを受ける条件として提示された不妊手術。とりわけ40年代から50年代にかけては、子どもを抱えて、生活に困窮した女性に生活保護や児童手当の支給を認める際、行政側が不妊手術を条件として提示したケースが少なくなかった。
 以上の六ケース以外にも、中間報告は、先に述べた「反社会的な生活様式」をとる人びと(「タッタレ」など)に対して行われた不妊手術も、半ば強制的なものだったと指摘している。つまり、当局側は、親権を剥奪し、子どもを取り上げるぞ、と迫りながら、不妊手術に同意させたのである。

(6)手厚い福祉と引き換えに
 ノーベル賞受賞者として知られるグンナルとアルヴァのミュルダール夫妻は、スウェーデンの普通出生率が世界最低にまで落ち込んだ1934年に『人口問題の危機』を出版した。
 夫妻は、翌35年に発足した政府の「人口問題委員会」にも加わり、出生率を上昇させるため、低所得層の有子家庭に対する経済的援助の充実を力説した。ミュルダール夫妻が提言した家族政策は今日でも肯定的に言及されることが多い。
 夫妻はしかし、経済的援助と同時に、誰が子どもをもつに値する人間なのかという選別の必要性を強く訴えていた。夫妻は『人口問題の危機』の中で、「変質(退化)が高度に進んだ人間たちを淘汰する」ためには、必要ならば強制手段に訴えてでも、不妊手術を実施すべきだと説いている。
 中立と独立を守るために、スウェーデンもまた第二次大戦中、防衛費にかなりの支出を余儀なくされた。しかし、戦争が終わると、軍事費は小規模の常備軍を維持するだけで済むようになり、その分浮いた国家予算を減税という形で国民に返すか、それとも社会福祉のさらなる充実にあてるか、で国内の世論は二つに割れたた。社民党の単独内閣となった45年5月のハンソン政権、およびハンソンの急死後、後継者となった社民党のエルランデル政権(46年10月~)は、減税はせず、福祉のさらなる充実にあてることを選択した。すべての有子家庭に対し、16歳以下の児童一人につき一定額の手当を支給する一般児童手当は、48年に開始された。これによって、子どもの養育の「社会化」(養育に必要な経済的負担を個々の家族が背負うのではなくて社会が引き受けるという形)が徐々に整っていった。
 しかし他方で、アルヴァ・ミュルダールは「手当の支給は断種法の強化を求めるか?」(1946年)と題する論考で、スウェーデン国内の既婚者のうち約3%は、「精神薄弱」その他の理由によって、家計をきちんと維持する能力がなく、一般児童手当の導入によって、そうした人びとに経済的余裕が生まれ、さらに子どもを産むような事態は、何としてでも回避しなければならない、と主張した。「すでに生まれた子どもに対しては手当を支給しなければならない。しかし、まだ生まれていない子どもに対してまで支給することはできない。・・・・不妊手術は必要である。しかし、その実施件数はいまだに低い」。
 アルヴァの主張は、一般児童手当の導入と引き換えに、不妊手術をより広汎に実施せよ、というものだった。その結果が、前記中間報告が指摘するような、半ば強制的な不妊手術の実施(とりわけ(5)-⑥のケース)だったのだ。

(7)優生政策の正当化
 福祉国家は、少なくとも二つの理由から優生政策を正当化する。
 かつてM・フーコーは、福祉国家に内在する矛盾を「無限の要求に直面する有限なシステム」として表現した。そうした矛盾ゆえに、福祉国家は、有限な財源の効果的配分を目指して、誰が子どもを産むに値するか、誰が生れるに値するか、さらには誰が生きるに値するか、という人間の選別に着手するのである。
 と同時に、福祉国家は、児童手当の支給、あるいは障害者施設の拡充といった形で、従来は家族という私的領域に委ねられていた人間の再生産過程を支援する分、逆にその過程に深く介入する権利を手にするのである。

□市野川容孝「福祉国家の優生学 ―スウェーデンの強制不妊手術と日本―」(「世界」 1999年5月号)からスウェーデンに係る部分を抜粋、要約
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【本】遊牧民は「野蛮」ではなかった ~俗説を覆すユーラシアの通史~

2017年07月11日 | 批評・思想
★クリストファー・ベックウイズ(斎藤純男・訳)『ユーラシア帝国の興亡:世界史4000年の震源地』(筑摩書房 4,200円)
 
 (1)米国のトランプ政権による失態が続く中、中国は着実にユーラシア大陸における覇権の確立を目指す動きを進めている。
 〈例1〉ロシアのプーチン大統領をはじめとする約30ヵ国の首脳を集めて開催した「一帯一路」に関するフォーラム。
 〈例2〉上海協力機構の会合
 こうした中、いわば“全ユーラシア史”のような骨太の書籍が出版されたのは興味深い。

 (2)著者は、ユーラシアの歴史に新たな視点を与えることで定評のある米インディアナ大学の教授。本書は彼の著作の初の邦訳だ。
 彼の主張を要約すると、一般的な世界史で言われている「中央ユーラシア人」たちは、決して侵略的な騎馬民族や遊牧民などではなく、生活の安定や周縁国との交易を積極的に求めていた・・・・というもの。
 本書の特徴を三つ。
  (a)“扱う範囲の大きさ”。記述は、家畜の飼育を本格化させた紀元前2000年前の「インド・ヨーロッパ人」の動きから始まり、その後の流れを多数の言語の資料を扱いながらサポートする。各地に残された二輪車や英雄伝説など、話を進める上でのシンボルの使い方も巧みだ。
  (b)その“逆説的な視点”。最大のものが、中央ユーラシアに住んでいた人々は極めて侵略的であったという過去のイメージを完全に否定している点だ。歴史というものは往々にして勝者の視点で書かれる。著者は、むしろ「野蛮」(バルバロイ)であったのは「周辺帝国」(ギリシャ、ローマ、ペルシャ、中国など)だ、と主張する。
    地政学の理論を初めてまとめた地理学者マッキンダー(英国)も、ユーラシア内陸からの遊牧民による侵略をロシアやドイツの台頭に重ね合わせていたが、こうした西洋のユーラシア脅威史観は偏見であることが資料から浮かび上がる。
  (c)当地域の“未来の暗さ”を暗示している点。後半では、将来の明るい見通しとして、政治面ではEU(欧州連合)、技術面ではインターネットの普及が希望となる、とするが、最近では英国のEU離脱やネットが政治の分断に効果を発揮していることから、本書が提示する楽観的な未来像は微妙だ。原著が2009年に刊行されて以降、中国の台頭やロシアのウクライナでの軍事行動なども起きている。本書で示される暗い歴史が復活したと感じられるほどである。

 (3)非常に分厚な本格的な歴史書だが、文章は極めて明晰だ。固有名詞が多いのは難点だが、壮大な歴史を鳥瞰する視点を得られる点で、高価であるものの、世界史好きにはたまらない一冊だ。

□奥山真司(IGIJ(国際地政学研究所)上席研究員)「遊牧民は「野蛮」ではなかった 俗説を覆すユーラシアの通史 ~私の「イチオシ収穫本」~」(週刊金曜日 2017年7月15日号)
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