語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【本】感情は客観的で知性は主観的という逆説 ~『アルジャーノンに花束を』~

2015年12月27日 | ミステリー・SF
 『アルジャーノンに花束を』は、まず中編小説(1959年)として世に送られ、ヒューゴー賞を受賞した。ついで、書きあらためられた長編小説(1966年)に、ネビュラ賞が与えられた。
 世界各国の老若男女多数から支持された、SFの傑作である。

 本書の主題は、日本語版文庫への序文に明らかである。
 すなわち、知識/教養は「人と人との間に楔を打ちこむ(障壁を築く)可能性がある」から、学校や家庭で「共感する心というものを教えるべきだ」
 愛情を欠いた知能は、精神的道徳的な崩壊をもたらし、神経症ないしは精神病すらひきおこす、と主人公は小説の中でいっている。人間関係を排除する心は、暴力と苦痛にしかつながらない、と。

 主人公、チャーリー・ゴードン(32歳)は、知的障害者【注】である。全編の言動から推定するに、発達遅滞の程度は、「裸の大将」で知られる画家、山下清よりもやや重い。
 亡伯父の親友の保護下で、パン屋で働いていた。地域の子どもからからかわれ、同僚からあなどられつつも、その正直、暖かさ、率直、思いやりを愛する「ともだち」がいた。

 ビークマン大学がチャーリーを被験者として選び、かしこくなる手術をする。
 効果は驚異的だった。急速に知能が伸び、術後1か月で大学生と対等に会話をかわすにいたる。
 だが、よいことばかりではない。善悪の識別が可能になったため、あらたに葛藤が発生したのである。
 チャーリーは、同僚が店の金をくすねる現場を見つけた。不正を糺して「ともだち」を失うか、知らぬふりをしてよき保護者の損害を見過ごすか。ばかにしていた男のめざましい知的成長に、同僚たちはいらだち、敵意をつのらせる。
 チャーリーは馘首された。

 知能はどんどん高まり、天才の域に達する。多数の言語、数学、物理学、経済学、地質学、ありとあらゆる知識を吸収していく。
 術後3か月たった。自身の症例が報告される学会にチャーリーも参加した。ここで学者たちの無知、無能を知り、チャーリーは愕然とする。
 学者たちは、居心地が悪くなった。天才となったチャーリーの学者たちに対する関係は、学者たちの知的障害者に対する関係と同じなのだから。

 学者たちは、チャーリーを単なる実験の対象としか見ていなかった。天才である今の自分も知的障害者であった頃の自分も人間であることはかわりがないのに、学者たちが注目するのは今の自分だけである。
 不満を抱いたチャーリーは、学会から逃げ出す。
 彼の手術に先立って被験体となったねずみ、アルジャーノンとともに。

 チャーリーは孤独だった。
 恋人はいた。チャーリーに暖かな目をむける教師アリス・キニアンがそれだが、知能の高まりにつれて、アリスはついていけなくなった。
 チャーリーの知識を求める心が、アリスの愛情を排除してしまうのだ。
 知的な自由をもちながら人々と感情を分かちあえる方法を、チャーリーは見つけることができない。

-------(以下、ネタばれを回避したい方はとばしてご覧ください)-------
 アルジャーノンがおかしな行動をとるようになってきた。
 チャーリーは、ある予感を抱いて、研究に没頭する。「人為的に誘発された知能は、その増大量に比例する速度で低下する」という結論がでた。
 戦慄。
 アルジャーノンは死んだ。
 術後7か月め、チャーリーの退行がはじまった。
 やがて、すっかり元の知的障害者にもどったチャーリーは、手記の末尾に記す。「ついしん。どーかついでがあったらうらにわのアルジャーノンのおはかに花束をそなえてやてください」

 この追伸、涙なくして読めない、と或る友人は漏らした。
 同感する人は少なくあるまい。
-------(以上、ネタばれを回避したい方はとばしてご覧ください)-------

 このSFは、読者にさまざまの考察を強いる。
 たとえば、知性と感情との関係について。感情は客観的であり知性は主観的である、と三木清は通念に逆らって独特の見解を示したが、本書を念頭におくとわかりやすい。三木のいう「客観的」とは、多数に分かりやすい、というほどの意味である。そして、「主観的」とは、多数に理解されにくく孤独な立場に身をおく、といった意味だ。
 あるいは、超高齢社会の今日的な疾患、軽度認知障害(MCI、Mild Cognitive Impairment)について。認知症ほど知られていないが、知的障害は発達期(おおむね18歳まで)に生じるのに対し、軽度認知障害は成人に生じる。また、知的障害は知的能力の獲得に遅れがあるのに対し、軽度認知障害はひとたび獲得した知的能力が減少する。こうした相違があるものの、両者の感情面は損なわれない。むしろ、敏感でさえある。この点に注目すれば、本書、チャーリーの一代記は、児童のキュアまたはケアに関わる人にも、高齢者のキュアまたはケアに関わる人にも(当事者にも)、多くの示唆をあたえてくれる。

【注】
 「知的障害」は、医学的にいえば精神遅滞で、日本にしかない行政用語。従前の用語、「精神薄弱」は差別感を助長するという理由で、1999年施行の「精神薄弱の用語の整理のための関係法律の一部を改正する法律」に基づき、関係法令が一斉に改正された。

□ダニエル・キイス(小尾芙佐訳)『アルジャーノンに花束を』(ハヤカワ文庫、1999)
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【本】酒席の話題にもってこいの小咄が満載 ~『魔女の1ダース』~

2015年12月27日 | エッセイ
 本書には、「正義と常識に冷や水を浴びせる13章」という副題がつく。
 プロローグによれば、旧ソ連にも『悪魔の辞典』があって、『悪魔と魔女の辞典』がそれ。たとえば、

   希望-絶望を味わうための必需品

   思いやり-弱者に対しては示さず、強者に対して示す恭順の印

のごとく、「まっとうな」世界におけるプラス・イメージの言葉がマイナス・イメージに、マイナス・イメージの言葉がプラス・イメージに逆転する定義が列挙されている。
 本書は、米原万里版『悪魔と魔女の辞典』である。辞典ほど簡潔でないが、その分実例が豊富で詳しい。酒席の話題にもってこいである。
 実例の多くは、ロシア語通訳者としての豊富な体験から拾いだされる。その体験を抽象化すると、相対主義に行きつく。相対主義を徹底すると、一方では辛辣な毒舌に至り、他方ではからりと乾いた笑い、しばしば哄笑に至る。
 ここでは、哄笑までいたらない、どちらかというとしのび笑いの例を紹介をしておく。

 ベトナム民族歌舞団が来日したときのこと。招聘元の興行会社から派遣された20代のS君、妙齢にしてとびきりの美女30人に毎日随行してウキウキ。そのうち身ぶり手ぶりに飽きたらなくなって、同行の通訳氏からベトナム語をおそわり、片言の会話をかわすようになった。
 ベトナム語には類冠詞というものがあって、たとえば樹木をあらわす名詞にはその手前に必ず樹木をあらわす冠詞「カイ」をつける。柳リュウには「カイ・リュウ」のように。
 ところで、雀はセエ、鶯はワイン、鳩はポコ、鳥類の冠詞は「チム」である。
 ふむふむ、とうなずきながらS君は健気にメモをとった。
 京都を訪れた歌舞団一行は、休演日に市内観光をした。季節は光ざわめき緑ささやく麗しき5月。ちょうど平安神宮の広場に到着したアオザイの色も華やかな集団をめがけて鳩が舞い降りてきた。S君、ここぞとばかり走り寄って叫んだ。「チム・ポコ、チム・ポコ」
 美女たち、嬉しそうに応じて歓声をあげ、唱和するのであった。「チム・ポコ、チム・ポコ、チム・ポコ・・・・」

 シモネタはいかなる言語においても豊富で、しかも短い(音節数が少ない)。よって、異なる言語間において音韻的一致や類似がたまたま生じる確率が高い、うんぬんと著者はマジメに考察するのである。
 単行本は1996年読売新聞社刊。講談社エッセイ賞受賞作品。

□米原万里『魔女の1ダース -正義と常識に冷や水を浴びせる13章-』(新潮文庫、2000)
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【古賀茂明】玉虫色の民主・維新政策合意 ~平和主義も放棄?~

2015年12月27日 | 社会
 (1)12月7日、民主党と維新の党とが2016年1月の通常国会から統一会派を結成することで合意した。
 松野頼久・維新の党代表や前原誠司・民主党元代表、細野豪志・民主党政調会長は、両党が解党して新党を結成することを目指していた。
 しかし、今回の合意では、新党結成する話はまとまらなかった。合意文書にあるのは、「両党の結集も視野に・・・・信頼関係を高める」。その先は、全くの白紙だ。
 
 (2)同時にまとまった「基本的政策合意(案)」も、民主党のタカ派と左派・リベラル派・組合派に配慮した何でもありの玉虫色だ。
  (a)安保体制・・・・野党共闘の最大の焦点だが、「憲法違反など問題のある部分をすべて白紙化する」と書いてあるが、完全廃案にはしないことだけが分かるのみで、どこがどう違憲なのかは全く書いていない。ほとんど合憲だから、ちょっとした微修正だけ、とも読める。
  (b)憲法・・・・「地方自治など時代の変化に対応した必要な条文の改正を目指す」として、憲法「改正」を明記した。9条改正も「時代の変化に対応した」ものだと言えばできる。この点を民主党タカ派は高く評価するが、維新ハト派からは「ひどい」という声が上がる。
  (c)環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)・・・・国民の関心が高いが、TPPの3文字は見当たらない。替わりに「経済連携協定」という一般名詞にして、TPP以外のものも含めて是々非々で行くと書いてある。逆に言えば、TPP賛成もある、ということをうまく隠した書き方だ。
  (d)原発・・・・①2030年まで動かせることを明記した。しかも、②再稼働は「国の責任」とすることで、結果的に原発運営に国が積極的に関与し、税金を投入する余地が与えられ、原発停止への積極的な姿勢は感じられない。③核のゴミ対策も、最終処分場選定プロセスを「開始」するという記述にとどまり、具体性がない。民主党が電力総連、電機メーカー、機械メーカーなどの基幹労連の歓心を買うための書きぶりだ。
  (e)公務員改革・・・・維新の党の最重要政策だが、人件費2割削減をほぼ放棄した。スト権などの労働基本権回復まではお手盛り基幹の「人事院勧告制度を尊重する」、つまり人事院に賃上げ勧告をさせて、毎年の賃上げを確保すると書いた。しかも、人件費削減は、「職員団体等との協議と合意を前提」と書くことで、組合が反対すれば削減できなくなった。つまり、削減目標の実質的な放棄だ。
  (f)消費税増税・・・・事実上何もしないまま認める道を開く書き方になっている。

 (3)これでは、両党が合意できても、改革はできない上に平和主義も放棄しかねない。とんでもない政党ができるだけだ。おおさか維新とあまり変わらない政策だ。
 今必要なのは、真の意味での改革ができて、しかも平和主義を守ってくれる政党だ。
 心ある人たちが民主党と維新の党を離党し、新党をつくったらどうか。その上で共産党とも選挙協力をする。それくらいしなければ、国民の支持は得られまい。

□古賀茂明「玉虫色の民主・維新政策合意 ~官々愕々第182回~」(「週刊現代」2016年1月2・6日新春大合併号)
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 【参考】
【古賀茂明】シリア空爆の裏にある真実 ~軍需産業の大儲け~
【古賀茂明】橋下市長の去就で、憲法改正が現実味?
【古賀茂明】空虚な「日本再興戦略」 ~成長戦略の挫折~
【古賀茂明】「なかったこと」にされた議事録 ~閣議決定の記録~
【古賀茂明】【原発】大手電力のエゴ丸出し
【古賀茂明】勝っても負けても安倍自民には得 ~大阪ダブル選
【古賀茂明】問題だらけの軽減税率 ~最悪の方向へ~
【古賀茂明】【原発】骨抜きの「ノーリターンルール」
【古賀茂明】アベノミクス「第二ステージ」 ~失敗を隠す官僚の常套手段~
【古賀茂明】難民と安倍とメルケルと ~ドイツと差がつく日本~
【古賀茂明】安保法成立の最大の戦犯
【古賀茂明】軽減税率、本当の問題 ~官々愕々第170回~
【古賀茂明】国民のために働く官僚の左遷 ~読売新聞の問答無用~
【古賀茂明】安倍首相の「積極的軍事主義」が根付くとき
【古賀茂明】電力自由化は進んでいない
【古賀茂明】【TPP】の漂流と「困った人たち」
【古賀茂明】安保法案の裏で利権拡大 ~原子力ムラ~
【古賀茂明】東芝の粉飾問題 ~「報道の粉飾」~
【古賀茂明】「反安倍」の起爆剤 ~若者たちの「反安倍」運動~
【古賀茂明】維新の党の深謀遠慮 ~風が吹けば橋下市長が儲かる~
【古賀茂明】腐った農政 ~画餅に帰しつつある「日本再興」~
【古賀茂明】読売新聞の大チョンボ ~違法訪問勧誘~
【古賀茂明】「信念」を問われる政治家 ~違憲な安保法制~
【古賀茂明】機能不全の3点セット ~戦争法案を止めるには~
【古賀茂明】維新が復活する日
【古賀茂明】戦争法案審議の傲慢と欺瞞 ~官僚のレトリック~
【古賀茂明】「再エネ」産業が終わる日 ~電源構成の政府案~
【古賀茂明】「増税先送り」「賃金増」のまやかし ~報道をどうチェックするか~
【古賀茂明】週末や平日夜間に開催 ~地方議会の改革~
【古賀茂明】原発再稼働も上からの目線で「粛々と」 ~菅官房長官~
【古賀茂明】テレビコメンテーターの種類 ~テレ朝問題(7)~
【報道】古賀氏ら降板の裏に新事実 ~テレ朝問題(6)~
【古賀茂明】役立たずの「情報監視審査会」 ~国民は知らぬがホトケ~
【報道】ジャーナリズムの役目と現状 ~テレ朝問題(5)~
【古賀茂明】氏を視聴者の7割が支持 ~テレ朝問題(4)~
【古賀茂明】氏、何があったかを全部話す ~テレ朝「報ステ」問題(3)~
【古賀茂明】氏に係る官邸の圧力 ~テレ朝「報道ステーション」(2)~
【古賀茂明】氏に対するバッシング ~テレ朝「報道ステーション」問題~
【古賀茂明】これが「美しい国」なのか ~安倍政権がめざすカジノ大国~
【古賀茂明】原発廃炉と新増設とはセット ~「重要なベースロード電源」論~
【古賀茂明】改革逆行国会 ~安倍政権の官僚優遇~
【古賀茂明】安部総理の「大嘘」の大罪 ~汚染水~
【古賀茂明】「政治とカネ」を監視するシステム ~マイナンバーの使い方~
【古賀茂明】南アとアパルトヘイト ~曽野綾子と産経新聞~
【古賀茂明】報道自粛に抗する声明
【古賀茂明】「戦争実現国会」への動き
【古賀茂明】日本人を見捨てた安倍首相 ~二つのウソ~
【古賀茂明】盗人猛々しい安倍政権とテレビ局
【古賀茂明】安倍政権が露骨な沖縄バッシングを行っている
【古賀茂明】官僚の暴走 ~経産省と防衛省~
【古賀茂明】安倍政権が、官僚主導によって再び動き出す
【古賀茂明】自民党の圧力文書 ~表現の自由を侵害~
【古賀茂明】自民党が犯した最大の罪 ~自民党若手政治家による自己批判~
【古賀茂明】解散と安倍政権の暴走 ~傾向と対策~
【古賀茂明】解散と安倍政権の暴走
【古賀茂明】文書通信交通滞在費と維新の法案
【古賀茂明】宮沢経産相は「官僚の守護神」 ~原発再稼働~
【古賀茂明】再生エネルギー買い取り停止の裏で
【古賀茂明】女性活用に本気でない安部政権
【古賀茂明】【原発】中間貯蔵施設で官僚焼け太り
【古賀茂明】御嶽山で多数の死者が出た背景 ~政治家の都合、官僚と学者の利権~
【古賀茂明】従順な小渕大臣と暴走する官僚 ~原発再稼働~
【古賀茂明】イスラム国との戦争 ~集団的自衛権~
【古賀茂明】「地方創生」は地方衰退への近道 ~虚構のアベノミクス~
【古賀茂明】【原発】原子力ムラの最終兵器
【古賀茂明】【原発】凍らない凍土壁に税金を投入し続けたわけ
【古賀茂明】【原発】勝俣恒久・元東電会長らの起訴 ~検察審査会~
【古賀茂明】安倍政権の武器輸出 ~時代遅れの「正義の味方」~
【古賀茂明】またも折れそうな第三の矢 ~医薬品ネット販売解禁の大嘘~
【古賀茂明】「1年後の夏」に向けた布石 ~集団的自衛権~
【古賀茂明】法人減税で浮き彫りにされる本当の支配者 ~官僚と経団連~
【古賀茂明】都議会「暴言問題」の真実 ~記者クラブによる隠蔽~
古賀茂明】集団的自衛権とワールドカップ
【古賀茂明】野党再編のカギは「戦争」
【古賀茂明】電力会社の歪んだ「競争」 ~税金をもらって商売~
【原発】【古賀茂明】規制委員会人事とメディアの責任
【古賀茂明】医師と官僚の癒着の構造
【古賀茂明】電力会社「値上げ救済」の愚 ~経営難は自業自得~
【古賀茂明】竹富町「教科書問題」の本質 ~原発推進教科書~
【古賀茂明】安部総理の「11本の矢」 ~戦争国家への道~
【古賀茂明】理研は利権 ~文科官僚~
【古賀茂明】「武器・原発・外国人」が成長戦略 ~アベノミクスの今~
【古賀茂明】マイナンバーを政治資金の監視に ~渡辺・猪瀬問題~
【古賀茂明】東電を絶対に潰さずに銀行を守る ~新再建計画~
【古賀茂明】「避難計画」なき原発再稼働
【古賀茂明】「建設バブル」の本当の問題 ~公共事業中毒の悪循環経済~  
【古賀茂明】安倍政権の戦争準備 ~恐怖の3点セット~
【原発】【古賀茂明】利権構造が完全復活 ~東日本大震災3年~
【古賀茂明】アベノミクスの限界 ~笑いの止まらない経産省~
【古賀茂明】労働者派遣法改正前にすべきこと
【古賀茂明】時代遅れな、あまりにも時代遅れな ~安部政権のエネルギー戦略~
【古賀茂明】森元首相の二枚舌 ~オリンピックの政治的利用~
【古賀茂明】若者を虜にする「安部の詐術」 ~脱出の道は一つ~
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【詩歌】鳥見迅彦「けものみち」

2015年12月27日 | 詩歌
 けものどもはおれの死体のにおいをかぎ
 シャツの端をくわえてひきさき
 あばらのあたりに
 ぐさりと爪をかけるだろう
 黒い鳥がおりてきて
 おれの目玉をついばむだろう
 虫けらたちもやってきて
 おれの足のうらをかけあがるだろう

 引返さなければならない
 引返さなければおれは殺される
 だれもしらないこんなところで
 おれは殺される

 けものみちのどんづまり
 木漏日はうすわらいをうかべ
 ひからびてころがっているけものの糞は
 たしかにおれをあわれんでいる
 けものどもは木や草のかげにかくれてこっちをみているにちがいない

□鳥見迅彦「けものみち」(『けものみち』、昭森社、1955:第6回H氏賞)
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 【参考】
【詩歌】鳥見迅彦「霧の尾根」

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【映画】子どもたちとともに ~ 『コルチャック先生』~

2015年12月26日 | □映画
 筆名ヤヌシュ・コルチャックこと本名ヘンルィク・ゴールドシュミットのことは、今日ではよく知られている(たとえば「コルチャック資料館」)。
 史的事実を要約すると、コルチャックは1878年にワルシャワの高名なユダヤ人弁護士の家に生まれ、1942年にトレブリンカ強制収容所でガス室の煙となった。
 医師、教育家、作家、孤児院長。子どもに関わる何でもやった人で、国連「子どもの権利条約」の原型をなす「子どもの権利の尊重」案を1929年に発表した。
 映画でもちらと言及されるが、三度の従軍歴がある。26歳のとき、日露戦争においてロシア軍医として中国東北部へ。36歳から40歳にかけて、第一次世界大戦において再びロシア軍医としてウクライナ前線へ。42歳のとき、1920年のソビエト対ポーランド戦争において、ポーランド軍医として。
 61歳のとき、1939年9月1日、ドイツ軍がポーランドに侵攻した。第二次世界大戦の開始である。9月17日、ソ連軍がポーランドに侵攻し、ポーランドは独ソ両国によって分割占領された。
 62歳のとき、1940年11月、独軍はワルシャワ中心部にゲットー(特別居住区)を設け、50万人のユダヤ人を追いこんだ。コルチャックが院長をつとめる孤児院もゲットーに移った。
 64歳のとき、1942年1月、ヴァンゼー会議で決定された「ヨーロッパにおけるユダヤ人絶滅政策」により、8月6日、高名ゆえに与えられた特赦を敢然としりぞけて、コルチャックは孤児たちとともに強制収容所へ移送された。

 高野悦子『エキプ・ド・シネマ Part2』pp.222-223に『コルチャック先生』の作品紹介がある。
 岩波ホールは、この作品を1991年9月14日から12月13日にかけて上映した。
 この上映期間中に私は上京している。

 映画は、58歳のとき、1936年、コルチャックが「老博士」の名で出演していた人気ラジオ番組が突然うち切られるエピソードからはじまる。
 その後、主としてゲットーにおける子どもたち、コルチャックや職員に焦点があてられるが、ゲットー内外の他のユダヤ人の動きも描かれる。
 その業績により市民はもとより敵軍の軍医からも敬意を表されていたのだが、コルチャックもまたユダヤ人の一人として同朋とともに苦難に耐えなければならなかった。しかも、彼に全面的に頼る孤児と孤児院の職員がいた。食糧調達のため、屈辱的な行動もとらざるをえない。ユダヤ人抵抗組織から難詰されて、「誇りなどない、200人の孤児がいるだけだ」と答える。その孤児のために、コルチャックは彼を慕う者たちが手配した亡命の機会を敢えて捨て、子どもたちと運命をともにする。
 孤児たちには無限にやさしく、しかし時には厳しく、独軍の横暴には毅然と抗議して殴打されたりもする。孤児の食糧を確保するためには債鬼のごとく執拗に金持ちのユダヤ人やユダヤ人組織と交渉した。そのコルチャックも悩みで打ちひしがれる時があり、疲労で立ちあがれなくなる時もあった。一個の特異な人格のこうした多様な側面を主演のヴォイチェフ・プショニャックはあますなく演じきる。
 暗い運命を漠然と感じとりつつも子どもたちの瞳は煌めく。少年少女にも幼い恋と深い絶望があり、コルチャックは慈しみをもってくるむ。答えるには困難な問い、子どもも自殺するか、の問いかけにも、はぐらかすことなく、コルチャックは真剣かつ誠実に答える。・・・・母が亡くなったとき自殺したかった、と。そして、大人以上に尊厳をもって子どもは死ぬことができる、と。
 1942年7月、コルチャックは孤児院でタゴール作『郵便局』を子どもたちに上演させた。死というものを身近に感じさせるために。その1か月後、飢餓に苦しみつつもまだ人間の尊厳を保つことができたゲットーから子どもたちは追われた。
 あえて白黒で終始した地味な映像が、かえって歴史の重み、コルチャック先生の骨太な生きざまを鮮やかに浮き彫りにする。

 アンジェイ・ワイダ監督、ヴォイチェフ・プショニャック、エヴァ・ダルコウスカ、ピョートル・コズロウスキー、マルツェナ・トリバラ、ヴォイチェク・クラッタ出演。
 第43回カンヌ国際映画祭特別表彰受賞。

□ 『コルチャック先生』(ポーランド・西独・仏、1990)
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【本】地方の時代、地方に生きる人のために ~『だれも知らない小さな国』~

2015年12月26日 | 小説・戯曲
 小学校3年生の<ぼく>は、夏休みのある日、トリモチをつくるためにもちの木を探しに出かけた。ある小山にもちの木をたくさん見つけ、しげしげと通うようになった。「小山」は鬼門山という名があり、地元の人は近づかない。里人がわけ入ると、事故が起きるのである。
 ・・・・といったような発端から、鬼門山の事故は、じつは「小山」の住民、コロボックルの末裔である「こぼしさん」たちのしわざであることが後に判明する。おとなになって、「小山」に近い会社の電気技師になった<ぼく>は、山もちから小山を借り、「こぼしさん」さちとともに「矢じるしの先っぽの国」を築くことになる。
 「小山」に高速道路を走らせる計画がもちあがり、<ぼく>は「こぼしさん」たちに協力して対抗するのだが、その後の成り行きは未読の方のため伏せておこう。
 1959年私家版、同年講談社刊。
 1959年度毎日出版文化賞、1960年度児童文学者協会児童文学新人賞、国際アンデルセン国内賞の各賞受賞作。
 以後、第2巻『豆つぶほどのちいさないぬ』、第3巻『星からおちた小さな人』、第4巻『ふしぎな目をした男の子』、第5巻『小さな国のつづきの話』が続き、第1巻から24年間をへた1983年にいったん完結するが、1987年に別巻『コロボックル物語  小さな人のむかしの話』 が刊行された。

 ・・・・と書けば、いちおう作品紹介はおわるのだが、ここから先がむずかしい。どう評価するか。
 自分だけの城と領土をもちたいという思いは、どんな子どもにもある。森の奥の倒木の影、大樹の上の小さな小屋、崖っぷちの洞窟・・・・。<ぼく>、のちに<せいたかさん>と呼ばれる語り手の場合、それが「小山」だったとするならば、子どものときに抱いた夢がかなう点で、成功譚である。
 子どもなら無垢な夢ですむが、おとなが自分だけの城と領土をもちたいという思いは単なるマイホーム主義にすぎない、という批判は本書の一面をついている。
 高速道路建設を日本列島改造論(と同工異曲の思想)とみれば、「公」権に対する「私」権の抵抗という今日的な主題をふくむ。

 ここでは、一寸法師と対比させて考えたい。
 一寸法師は、さいごには、打ち出の小槌でお姫さまとほぼ同じおおきさに変わり、メデタシ、メデタシ、となる。幸せになるには、人なみでないといけないのだ。これが我が国の世間の考え方であった。そして、世間に合わせて人々は自分を改造してきた。
 アンデルセンの親指姫は、ちっちゃなままで幸せになるのに。
 わが「こぼしさん」たちは、ちっとも世間に合わせる必要を感じていない。自分たちの「矢じるしの先っぽの国」があれば、それで足りている。
 「こぼしさん」たちは日本という国に干渉しないから、日本政府も「矢じるしの先っぽの国」に干渉してくれるな。

 オーストラリア西部に暮らす農夫レナード・ケイズリーは、政府による小麦の割り当ての大幅な削減に抗議して、1970年、独立を宣言した。面積18,500エーカー、人口20人の独立国ハット・リヴァーである。リヴァー国は通貨、切手を発行し、国歌、国旗もつくった。国連にオブザーヴァー国としての参加を求めたが、読者も容易に想像できる理由で、要請は却下された。しかし、ケイズリーはへこたれず、「外交上」の攻撃によってオーストラリア政府を悩ませ続けた。【注】
 「矢じるしの先っぽの国」の住民は、ケイズリーより淡泊である。日本国政府を悩ませたりはしない。

【注】ジェイ・ロバート・ナッシュ(小鷹信光訳) 『世界変人型録』 (草思社、1984)

□佐藤さとる『だれも知らない小さな国』(講談社文庫、1973)
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【本】家庭と学問を両立させた偉人の伝記 ~『神谷美恵子 聖なる声』~

2015年12月26日 | ノンフィクション
 ハンセン氏病患者につくした精神科医、生きがい論のエッセイスト、ヴァージニア・ウルフ研究家、ミシュエル・フーコーやマルクス・アウレリウス・アントニヌスの訳者・・・・といった多様な顔をもつ神谷美恵子の伝記である。
 単行本は1997年、講談社刊。文庫化にあたって、単行本上梓後に得た証言を盛り込んでいるから、本書が定本となる。

 神谷美恵子は、ILO日本政府代表に就任した父の前田多聞とともに、9歳から12歳までジュネーブで暮らした。同行した家族は、母、兄の陽一のほか、妹が二人いた。末弟はスイスで生まれた。ちなみに、陽一は、後の東京大学教授、仏文学者。パスカル研究の世界的権威である。
 スイスの公用語はフランス語、ドイツ語、イタリア語、ロマンシュ語の4つあるが、ジュネーブはフランス語圏である。美恵子は、ジュネーブで過ごした3年間半のうちに、仏語で考える習慣を身につけた。

 以下、本書は、父の後半生(戦後初代の文部大臣をつとめた)やその人脈(新渡戸稲造や内村鑑三など)を絡めつつ、学問への志(文学から医学への転学)や交友関係(生涯の親友浦口真左たち)、そして内面の深化を追っている。

 美恵子は、1946年、32歳のときに婚姻。
 夫、神谷宣郎は、1949年に大阪大学教授として赴任し、直後にペンシルヴァニア大学へ招聘研究員として渡米した。
 二人の幼児をかかえた美恵子は、留守宅を守りつつ、神戸女学院大学へ週3回英文学を講じた。長男が肺門リンパ線結核に、ついで次男が粟粒結核にかかったため、高価な治療薬ストレプトマイシンを手に入れるべく、自宅の2階で仏語の私塾を開いて稼いだ。さらにハワード・ノーマン(ハーバートの兄)の依頼でカナディアン・アカデミーでも週3回仏語を受け持つ。
 休みなしの日々である。こうした多忙にもかかわらず、夫やその研究室員、大学院生の英語論文まで、嫌がらないで目をとおした。
 転機は1955年、41歳のときに訪れた。子宮癌にかかり、ラジウムの大量照射でくいとめた。これを機に夫の兄の経済的援助を受けることとし、学問に専念して医学の学位論文を取得する。研究中に再三訪れた長島愛生園との関わりは、その後も続く。

 神谷美恵子を知るには、伝記的事実をたどるだけでは不十分だ。その思想、その科学的知見は、彼女の著作にあたるしかない。
 とはいえ、本書は神谷美恵子の精神の巨大な歩みを側面から照射してくれる。生涯をたどると、傑出した知識人だったことを新ためて認識させられる。しかも、家事と育児とをまっとうし、加えて語学教師となって家計を支えること10年間に及んだ。男性ならば家庭を伴侶にまかせて学問に没頭することもあるだろうが、美恵子は家庭と学問を両立させたのである。驚異といわねばならない。

□宮原安春『神谷美恵子 聖なる声』(講談社、1997/のちに文春文庫、2001)
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【人権】したくないことはしない ~ルソーの市民的自由~

2015年12月26日 | 社会
 管理に抵抗する論理は、基本的人権から導き出される。憲法の定める基本的人権である。
 支配者は管理の必要上、被支配者と「基本的人権について契約を結ぶ。結ばざるをえない。こちらのよりどころも、そこにしかない」。
 「疎外による人権の侵害としてでてくる。それにたいして、契約によって、抵抗する。いかなる場合にも、つねにこの最初の契約にたちかえることが、抵抗の論理である」。

 ただし、「直接民主制がもしルソーのいったようなものだったら、やはり支配の論理につながる」。
 ルソーの自然ないし原始は、神が人間に与えた善なる社会である。ところが、人間は人為によって悪への道を辿った。よって、別の人為、すなわち社会契約によって善なる社会を形成しなくてはならぬ。これがルソーの社会契約論である。

 しかし、一般意志を形成する過程で基本的人権の重大な部分を委嘱するならば、人民は自由を失って支配される側へ転落する。
 旧ソ連では自由は階級に密着して人間から離れた。自由の二義性が隠れ蓑にされた。

 バスチーユの壁を壊しに行く群衆の叫ぶ自由は、古い圧制者を全体として否定する合い言葉であった。
 しかし、人民には支配者になろうとする自由がある一方、被支配者にもなる。そのときの自由とは、「基本的人権の壁によって守られた内側の自由である。この自由をもっとも早く気づいたのはルソーであろう」。
 そう指摘した上で、松田道雄は『孤独な散歩者の夢想』から引く。
 「わたしは、人間の自由というものはその欲するところを行うことにあるなどと考えたことは決してない。それは欲しないことは決して行わないことにあると考えていたし、それこそわたしがもとめてやまなかった自由、しばしばまもりとおした自由なのであり、またなによりもそのために同時代人を憤慨させることになったのだ」(第六の散歩)

□松田道雄『革命と市民的自由』(筑摩書房、1970)
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【ブラック企業】の全業種への拡がり ~ブラック国家~

2015年12月26日 | 社会
 (1)「ブラック企業」の内情は、当初インターネットなどで「告発」されたものの、それらは断片的な情報にとどまっていたために、深刻な社会問題として受け止められなかった。
 「ブラック企業」の広範な実態と背景については、今野晴貴『ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪』(文春新書、2012)が刊行されて以降、急速に認識が深まり、政策の争点となっていった。

 (2)残念ながら、それでもまだ社会のなかには依然として「いまどきの若者はすぐに仕事を辞める」「根性が足りない」といった個々人の精神論的な問題と考える人が少なくない。
 しかし、「ブラック企業」問題の本質は、単なる労務問題ではなく、「ブラック企業」で働く労働者でなくても不利益を被る社会問題と化している。
 では、「ブラック企業」はなぜ大きな社会問題となったのか。
 それはまず、長時間労働などで若者を労働者として「使いつぶす」と、次世代の労働者がますます不足してくるからだ。
 また、働いていた若者が鬱病に罹患すれば、税収や社会保険料が減少し、逆に社会の支出が増えてしまう。これでは財政悪化の要因にもなってしまう。
 一企業にとって若者を「使いつぶす」ことは短期的な利益を最大化させることができるので、「合理的」な経営戦略かもしれないが、そのツケはすべて社会にまわる。端的に言って、「ブラック企業」の存在は、個別企業の利益のために、社会全体の再生産を脅かす「公害」同然の問題なのだ。

 (3)こうした実態の体系的な告発を受けて、政府(厚生労働省)も2013年9月、対策に乗り出した。ブラック企業を
   「若者の《使い捨て》が疑われる企業」
と定義し、労働基準監督署による監督を強化した。
 また、同時期に民間でも「ブラック企業被害対策弁護団」や、研究者・NPO法人・労働組合らで「ブラック企業対策プロジェクト」が結成され、被害者の、労働基準法以外の権利擁護にも乗り出した。

 (4)政府のブラック企業対策も進みつつある。
  (a)2015年9月には、「青少年雇用促進法」が制定された。この法律は、ブラック企業が社会問題化したことなどを背景に、若者の就職や雇用継続を支援することを目的としている。より具体的には、
   ①中小企業に対して、直近の3事業年度の離職者の数や平均勤続年数などの情報を学生やハローワークが求めた際に開示を義務づける。
   ②若者の育成に積極的な企業を認定する。
   ③違法行為を繰り返した企業の求人をハローワークで受け付けない。
  (b)厚労省は、2015年5月から、ブラック企業の企業名公表について新基準を採用し、行政が是正勧告を行っていて違法な労務管理をしていることが分かっている企業の名前がより公表しやすくなった。

 (5)(4)の政府の対策の有効性には限界もある。
  (a)多くの学生が就職活動で利用しているのは、ハローワークではなく、民間の就職情報サイトだ。そうしたサイトからブラック企業の求人を締め出すことは、(4)の対策の枠内では不可能だ。
  (b)明確な違法行為をしている企業に対して対策しやすくなったが、労働組合と協定を結ぶなどして「合法的に」長時間労働が行われているケースや、労働基準法の範囲外であるパワーハラスメントなどは取り締まりの対象外となっている。

 (6)若者の「使いつぶし」や社会の再生産を脅かす問題は、ブラック企業が多かった業界(IT産業、飲食店やアパレルなど接客業)だけにとどまらず、社会のさまざまな場面に拡がっている。

 (7)(6)の例1、「ブラックバイト」。大学生や高校生を低賃金のアルバイト契約のままで「戦力」として活用する企業の登場だ。酷使する手法が拡がっているのだ。
   ・コンビニなどのクリスマス商戦におけるケーキの予約、お中元・お歳暮などの予約といったノルマ。
   ・テスト期間でも休みを貰えず、強制的にシフトに入れられる、etc.の長時間労働、サービス残業。
 この背景に貧困化する学生の経済事情もある。日本学生支援機構の調査によれば、奨学金を受給した学部生は、
   ・2008年度 全体の43%
   ・2012年度 全体の53%
まで増加した。また、全体の7割がアルバイトに従事している。
 本来であれば、国際競争力を持つ職業人としての基礎能力や長期的な国内産業を担いうる人材を育成するための大学教育だ。多額の国費も投入されている。その大学に通う学生がアルバイトで使いつぶされてしまっては、日本の人材は枯渇し、産業の運営も成り立たない。

 (8)(6)の例2、「マタニティハラスメント」。妊娠期間中や育児期間中を理由にした嫌がらせだ。ブラック企業と同じように個別企業にとっては「合理的な労務管理」の帰結なのかもしれないが、少子化を進展させ、日本社会の未来を奪い、破壊してしまう行為だ。 

 (9)(7)や(8)のように、国の未来を考慮せず、近視眼的に資源を食いつぶしてしまうような経済運営が拡がっている。
 これはいわば国家のブラック化だ。そのような社会は、目先の数字上は企業の利益が上がり、「生産的」に見えたとしても、しっかりと経済のイノベーションを実現し、人間が健康で将来に希望を持てるような、本当の意味での「生産的」な社会とは言えまい。

□今野晴貴「全業種に拡がったブラック企業」(『オピニオン 2016年の論点』、文藝春秋社、2015)
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 【参考】
【ブラック企業】大賞2015 ~セブンイレブンの何が問題なのか~
【ブラック企業】大賞2015ノミネート ~セブン-イレブンなど6社~
【ブラック企業】の没落 ~改善策なき「ワタミ」の絶対絶命~
【ブラック企業】ブラックバイト対策を ~恵方巻きにセブンが販売ノルマ~
【ブラック企業】大賞2014 ~(株)ヤマダ電機が2冠を獲得~
【ブラック企業】大賞2014 ~候補決定~
【ブラック企業】を残業代ゼロが促進 ~竹中平蔵パソナ会長向け成長戦略~
【ブラック企業】対策プロジェクトが成功した要因 ~社会運動と言説~
【ブラック企業】連帯の極小サイクル ~社会の底でせめぎ合う情念~
【ブラック企業】の定義は社会運動がつくりあげた ~言説~
【【ブラック企業】が社会問題として認知されるまで ~社会運動~
【ブラック企業】赤字49億円! 「瀬死」のワタミから人もカネも消えた
【ブラック企業】奨学金という貧困ビジネス ~学生の苦難(3)~
【ブラック企業】全身就活 ~学生の苦難(2)~
【ブラック企業】ブラックバイト ~学生の苦難(1)~
【ブラック企業】激変する若年労働者市場 ~労使間の話し合いが不可欠 ~
【ブラック企業】調査対象の8割で違法行為 ~厚労省初「ブラック企調査」~
【ブラック企業】対策講座 ~騙されないための心得~
【ブラック企業】対策講座 ~就活~
【社会】ブラック企業大賞2013 ~ワタミフードサービス~
【社会】「ブラック企業」への反撃 ~被害対策弁護団が発足~
【社会】「ワタミ」の偽装請負 ~渡辺美樹・前会長/参議院議員~
【社会】学校もこんなにブラック ~公教育の劣化~
【社会】私学に広がる教員派遣と偽装請負
【社会】私学に広がる教員派遣と偽装請負・その後 ~裁判~
【本】ブラック企業 ~日本を食いつぶす妖怪~
【本】ブラック企業の実態
【社会】若者を食い潰すブラック企業 ~傾向と対策~
【本】ブラック企業の「辞めさせる技術」 ~違法すれすれ~
【心理】組織の論理とアイヒマン実験 ~ブラック企業の心理学~
【社会】第二回ブラック企業大賞候補 ~7社1法人~
【社会】ブラック企業における過労死、ずさんな労務管理 ~ワタミ~
【社会】ブラック企業の見抜き方 ~その特徴と実例~

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【本】異国で独りはたらく ~『スウェーデンの作業療法士』~

2015年12月26日 | □スウェーデン
 河本佳子さんは、マルメ大学総合病院ではたらく作業療法士である。
 本書は、かの国の作業療法士の仕事ぶりや作業療法の現場を紹介するとともに、「福祉先進国」を支える平等の精神を伝える。

 リハビリテーションあるいはハビリテーションは、個々の患者の治療や訓練だけではなくて、住環境や地域の社会環境の整備も推進しなくてはならない。
 だから、スウェーデンの作業療法士は、建築に関する基礎的な素養をもたねばならない。
 高齢者や障害者が暮らす住宅の改造にあたっては、家庭訪問し調査し、改造の必要性を証明する書類を作成し、簡単な設計図さえも作成し、コミューン(日本の市町村に相当する)の建築事務所へ申請する。
 個々の住宅改造に関与するだけではない。都市計画が設計される際にも発言する。
 患者の社会参加にも寄与する。医療チームの一員、「余暇コンサルタント」とともに、夏休みにはキャンプやマルメ市探検などを企画し、実施するのだ。
 忙しいが、自主的に指導・訓練計画をたて、自らの責任において実施できる点で、「大変だけれども最高に面白い」。
 面白いのは当然だ。仕事の範囲が、日本の作業療法士より、かくだんに広い。

 本書は、作業療法士の日常、同僚たちの人間模様、感覚統合教室とも訳されるスヌーゼレンの実際、統合教育や特別支援学校を実例に即して紹介している。医療福祉や障害児教育の専門家はもとより、患者とその家族にも役立つだろう。
 現に、著者は、日本の各地で、なんどか講演している。

 さらに、本書のいたるところで言及されるスウェーデンの福祉、そのお国柄は、一般の読者にも興味深いはずだ。
 たとえば、医療制度。
 歯科医療は別として、すべての病院は公営であり、独立した医療予算の枠内で患者負担のない公的治療を行う(社会保険による医療費給付ではない)。だから、過剰診療は生じない。
 たとえばまた、スウェーデン独特の平等な社会システム。
 平等は、議論に地位の上下関係が持ちこまれず、職種に関係なく互いをファースト・ネームで呼び合う点にも見られる。
 スウェーデンでは、幼いころから、家庭内のことは家族が共同で処理する。こうした発達期の環境が、男女の性差や障害の有無にかかわらず、誰もが自立すること、そのうえで平等に生きること、といった精神をつくりあげたものだろう。著者はそう推定している。

□河本佳子『スウェーデンの作業療法士 -大変なんです、でも最高に面白いんです-』(新評論、2000)
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【本】江國滋の遺句集『癌め』 ~患者みずからの貴重な証言~

2015年12月26日 | 詩歌
 滋酔郎江國滋は、随筆家、俳人。1934年生、1997年没。享年62。
 晩年、食道癌にかかった。
 本句集には、闘病半年間に詠んだ545句が収められている。

 「病床にはや夏場所の触れ太鼓」のように独立して味わうに足る佳品もあるが、全体としては、癌をめぐる連作である。
 十七文字に託した闘病記として読んだ場合、三つの面が浮き上がる。
 第一に、「永き日や聞きしにまさる検査漬け」のような、ほとんど散文に近い記録の側面である。
 第二に、常に変わらず読者サービスに努める文筆家の貌である。
 「春の昼見舞の友は長ッ尻」には、川柳めいた笑いがある。

 第三に、これがもっとも刮目に価するが、病人の心理である。散文では語りがたい内面が、窮屈な形式であるがゆえにかえって赤裸々に活写される。
 「着ぶくれの電車に癌は俺だけか」には、自分だけが死へ至る病にとりつかれた、という孤独感。
 「百回も『なぜだ』と自問春さむし」には、よりによって自分が死病にかかるなんて不条理だ、という思い。
 「春のテレビばかタレどもはど健康」では、健康な人々に対する怨みというべき屈折した感情が吐露される。

 痛みが昂ずると、「梅天やこんなに骨が痛いとは」となりふりかまわず、ほとんど悲鳴に近い。
 無力感が濃くなると「梅雨冷えの奈落の底の底思ふ」
 入院経験のない人には気づきにくいが、病室では暇で屈託するから「春の灯を点けるまた消すまた点ける」
 無聊の先にあるのは、空虚である。「飽きることにも飽いてゐる日永かな」

 通読すると、病が重くなるにつれて諦念に傾いていくのがわかる。
 しかし、「ちちははの呼ぶ声聞こゆ明易し」の諦念にはまだ余裕があって、その余裕が枯れると病気さえ即物的に見るにいたる。「朝涼やまだ生きてゐて痰地獄」の客観化は、すさまじい。
 「おい癌め酌みかはそうぜ秋の酒」が絶筆。前書に「敗北宣言」とある。この諧謔は著者の持ち味だ。直前の暗く沈みきった一連の作品のトーンとは異質だから、まだ元気な時期にものして、土壇場で披露したのかもしれない。だとすると、随筆や俳句で読者を楽しませ続けてきた著者の、最後にみせた意地というべきか。

 癌は、死因第一位の座を譲ったが、依然として死と隣あわせの病気であることに変わりはない。病人がどんな思いをして治療に耐え、最後をむかえるかは、結局のところ本人でないとわからない。
 ここに表現を業とする滋酔郎がいて、闘病中の一喜一憂を報告した。
 癌患者の家族にとってもターミナルケアの従事者にとっても、貴重な証言といわなければならない。

□江國滋『癌め』(角川文庫、1999)
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【本】藤沢周平と時代小説 ~『海坂藩の侍たち』~

2015年12月26日 | 批評・思想
 平成4年6月から平成6年4月にかけて刊行された藤沢周平全集(文藝春秋社)全23巻の解説をまとめた単行本(文藝春秋社、1994)に、藤沢周平の唯一の現代小説『早春』、絶筆となった『漆の実のみのる国』のそれぞれを論じた2編を加える。作品の刊行年次にこだわらず、主題によって3部構成とする。
 すなわち、「第一部 しぐれ町の住人たち」、「第二部 海坂藩の侍たち」、「第三部 英雄ぎらい」である。

 本書の構成自体が藤沢作品の特徴をいかんなく示している。
 つまり、量的に市井ものと武家ものがあい半ばすること、両者に共通して権力に対する礼賛がないこと、である。

 全作品に目をとおした人ならではの指摘が随所に見受けられる。たとえば、主人公が担う暗い過去や彼がかかえる鬱屈した情念は、結核で教職を辞し(所定の期間を越えて休職した)、業界紙の編集と平行して書いた発表した初期作品に顕著であって、『用心棒月影抄』成立前後から「しだいに相貌をあらため、ハッピー・エンドとまではいわぬまでも、何かしらほほえましい、なごんだ後味を残す結末を持つものがふえはじめる。」と作家生活十年近くのうの変化を指摘する。
 あるいは、かくも膨大な数の作品を書き継いできていながらその出来にむらというものがまったくない、という断言も、全作品を追いかけた人にだけできることだ。

 読み巧者の向井敏らしく、微に入り細にわたって藤沢作品の特徴を拾いだすが、時代考証のたしかさも、指摘されてみて気づく、というより嬉しい。気づくには、読者のこちらが江戸時代に、さっぱり詳しくない。
 ちなみに、藤沢周平は三田村鳶魚をしっかりと読んでいるそうな。鳶魚には、時代小説における史実に対する軽視ないし無知をこきおろした評論集が2編ある。たとえば、御用聞や岡っ引きは同心の指図がなければ、いかなる場合でも縄をかけることができない。こう事例を引いて、向井敏は藤沢がちゃんと史実をふまえている点を『神谷玄次郎捕物控』から例証する。

 作家の特徴は、同じジャンルを扱う他の作家と比較するとよくわかる。
 向井敏も山本周五郎たちと比較するが、きわだって異なるとされるのは司馬遼太郎である。
 司馬遼太郎の織田信長に対する評価は、きわめて高い。信長は「この国の思想史上最初」の無神論者、「有害無益な中世の魑魅魍魎どもを退治」して「理に適(あ)う世を招来する革命思想」を抱懐していた稀有の人物である。だから、明智光秀にその旧主の髑髏の盃で酒を飲むべく強要する「狂気」も、軽く飄逸な描写ですませる。
 他方、藤沢周平は、叡山焼き討ちをはじめとする大殺戮、ことに正規の軍団ではない一向一揆(2万人を焼殺した長島ほか)に対する残虐はナチス・ドイツのホロコーストやポル・ポト政権の大量虐殺と共通するもので、常識的な立場から受け入れがたいとする。だから、信長の「狂気」は彼の本質に根ざすものであり、光秀に対するふるまいも司馬遼太郎と違って、軽く看すごしはしない。
 このくだり、あくまで向井敏の対比にそって要約しているのだが、藤沢周平の特徴を鮮やかに浮き彫りにしていると同時に、明言はしないけれど藤沢に心を寄せる向井敏の立場も明かにしている。向井もまた、英雄史観よりは「常識的な立場」に立つと見てよい。

 かにかくに、評者すなわち向井敏は藤沢作品をおおいに楽しみ、細部にわたって楽しんでいることが、本書のいたるところから伝わってくる。
 時代小説作家にとって、これにまさる批評はあるまい。

□向井敏『海坂藩の侍たち 藤沢周平と時代小説』(文春文庫、1998)
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【詩歌】入澤康夫「夜」  

2015年12月25日 | 詩歌
 彼女の住所は 四十番の一だった
 所で僕は四十番の二へ出かけていったのだ
 四十番の二には 片輪の猿がすんでいた
 チューヴから押し出された絵具 そのままに
 まっ黒に光る七つの河にそつて
 僕は歩いた 星が降って
 星が降って 足許で はじけた

 所で僕がかかえていたのは
 新聞紙につつんだ干物のにしんだった
 干物のにしんだつた にしんだった

 【注】末尾二行の「にしん」3か所すべてに傍点。

□入澤康夫「夜」(『倖せそれとも不倖せ』、ユリイカ、1955)
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 【参考】
【詩歌】擬物語詩の神秘 ~聞いて下さい~
【詩歌】呪い ~鴉~
【詩歌】現代詩における道行き ~「失題詩編」~
【読書余滴】未確認飛行物体
【読書余滴】「わたしのいつた国」 ~擬物語詩の神秘~
【読書余滴】わが出雲・わが鎮魂
【読書余滴】現代詩における心中

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【論点】ドイツの勃興 ~岸信介の統制経済(2)~

2015年12月25日 | 社会
 (承前)

 (6)このため、19世紀末から戦間期にかけて、米国の制度学派、ドイツの歴史学派、イギリスのフェ美案社会主義やニューリベラリズムなど、新たな経済思想が続々と台頭してきた。
 これら新思潮は、いずれも経済自由主義の非現実性を批判し、現実の経済において制度や団体が果たす役割に着目し、政治の介入による社会改良の必要性を積極的に認めようとするものだった。
 こうした新たな経済思想が、世界恐慌の経験を経て、ニューディール政策の誕生や、J・M・ケインズによる理論的革新を用意したのだ。ケインズが「自由放任の終焉」を発表したのは1926年、岸が初めて欧米を訪れた年だ。

 (7)岸は、まず米国で経営者資本主義と遭遇し、その強大さに圧倒された。米国に比べると我々の今まで考えていたことは桁違いのお話にならない事柄だ、うんぬん。
 暗澹としてドイツに渡ったが、ドイツの化学工業の組織をまのあたりにして決して日本産業の資源の貧弱ということを憂えるに及ばないと考えるに至った。日本に必要なのは「協調的経営者資本主義」だと。
 そのドイツで当時行われていたのが、「産業合理化」運動だった。岸は「産業合理化」運動を「第二の産業革命」と呼ぶべき重大事件と見なした。従来は自由競争の原則が金科玉条とされてきたが、産業合理化とは「協調」を精神としてコストを低下するものだ。単なる協調なき自由競争や利益追求による進歩は、産業合理化ではない。資本主義の原則において、「競争」から「協調」への一大変換が起きたのだ。

 (8)なお岸は、産業合理化はドイツでは成功したが、アダム・スミス以来の経済自由主義の伝統が強いイギリスにおいてはうまくいかなった、と観察している。岸の目は、同時代的に、しかもわずかな時間でチャンドラーの研究と同じ結論に達した。
 さらに、「協調」は企業間のみならず、生産者と販売者と消費者、さらには資本家と労働者の間でも行わなければならないと岸は言う。つまり国民全体が有機的に連関し、協調する必要があると。産業合理化とは結局一の国民経済を経済単位としてその繁栄を期するがために互いに協調してやっていこうとする運動なのだと。
 ドイツは第一次世界大戦後の困窮の中で、米英仏に対抗すべく国民が一致団結した。国家間は「競争」したが、国民同士は「協調」を優先した。換言すれば、ナショナリズムが協調をもたらし、産業合理化へと駆り立て、協調的経営者資本主義を実現したのだ。
 このドイツの経験を日本の範にしようというのが岸の経済統制だった。

 (9)岸は彼のいう「統制経済」はソ連型計画経済とは違うと明言している。合理化は強制力ではなく、誘導的手段によって各人の自発的協力を促すようなものであるべきだと考えていたからだ。
 岸のいう「統制経済」とは、有機的な国民経済、その国民経済の内部においては競争はある種の制限を受けて全体の利益を増進するようにすべて仕組まれねばならないものだ。
 これは確かに「計画経済」ではない。むしろ、戦後の西側世界において成立した「混合経済」の先駆だ。
 なぜ「統制経済」が必要なのか。
 従前の自由放任主義の理論は、自己利益を追求する主体の自由競争によって需給が自動的に調節されると説いてきた。しかし、第一次大戦後に到来した世界不況は、供給過剰とデフレーションをもたらしたが、需給均衡へのメカニズムは働かなかった。
 製鉄業のような巨大な固定資本と高度な技術を要する産業においては、需要の変化に対して供給を柔軟に対応させることができないため、生産過剰を解消することが極めて困難であり、市場による需給の自動的な均衡の達成などあり得ないのだ。
 こうした現実を前にして、市場に代わる新たな需給調整機能が待望され、統制経済という発想が生まれてきた。
 こう説明する岸は、米国制度経済学派やケインズなど、当時最先端の経済思想に到達していた。

 (10)岸は満州で辣腕を振るったが、その際、鮎川義介ひきいる日産を満州へ移住させるべく尽力した。満州経営の成功のために日産の「経営力」が欲しかったという。「経営力」とはチャンドラーのいわゆる「組織能力」のことだろう。やはり岸は、経営者資本主義の肝をつかんでいた。
 だが、日本が戦争へ歩みを進めていく中で、岸のめざした協調的経営者資本主義の「統制経済」は、戦時経済としての「統制経済」へと変容していかざるを得なかった。
 岸は登場内閣の商工大臣として戦時統制経済の運営に奔走したが、戦況の悪化の中でそれが円滑に行くはずはなかった。それゆえ統制経済には失敗のイメージがつきまとうが、戦争という特殊事情を勘案しなければ岸の統制経済論の本質を正当に評価できまい。

 (11)岸の下で戦時統制経済を担った商工官僚たちは、戦後、通商産業省に復帰し、かつての経験を生かして産業政策を実行していった。戦前、企業間の協調のために形成された各種の業界団体もまた、戦後に引き継がれた。かくして、戦前の統制経済を源流とする戦後の日本型経済システムが形成されていった。
 岸自身もまた、1927年の欧米視察以来の協調的経営者資本主義の理想を、戦後も一貫して堅持した。
 1953年、政界に復帰した岸は、ティピカルな資本主義、自由主義で、すべてのものは自由競争に任すのだということは日本の現状からいうと許されない、という。資本と経営と労働がバランスを持って再建について真剣に協力する体制を構想したが、岸がその範としたのはやはりドイツだった。
 1957年に成立した岸政権は、「新長期経済計画」を策定し、鳩山前政権の緊縮財政の方針を改めて積極財政に転じ、公共事業を大幅に増額して道路整備や港湾整備を積極的に推し進めた。この「新長期経済計画」は、次の池田勇人政権における「所得倍増計画」の原型となり。高度経済成長の基盤を用意するものとなった。

 (12)かくして世界第2位の経済大国となった日本は、ドイツ経済とならぶ協調的経営者資本主義国の成功例として、欧米からも高く評価されてきた。岸が若き商工官僚として夢見た夢がついに実現したのだ。
 1987年、岸はこの世を沙汰。
 それから数年後、バブル経済崩壊による不況に突入した日本は、約20年にわたって構造改革に邁進し続けた。めざしたのは計画性なき自由競争、そして協調的経営者資本主義の解体だ。
 原罪、安倍政権がさらにそれを徹底しようとしている。

□中野剛志「統制経済 岸信介の選択」(「文藝春秋SPECIAL秋「昭和史大論争」、2015)
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 【参考】
【論点】経営者資本主義 ~岸信介の統制経済(1)~
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【論点】経営者資本主義 ~岸信介の統制経済(1)~

2015年12月24日 | 社会
 (1)安倍晋三・首相の発言や著書には岸信介がいて、改憲をめざすなど共通点がある。しかし、経済方面では二人は著しく違っている。
 安倍首相の成長戦略は、規制緩和や自由化など、典型的な経済自由主義によって貫かれている。他方、岸信介は戦前・船中は商工省官僚ないし商工大臣として統制経済の遂行に力を注いだ中心人物であり、戦後も経済自由主義には懐疑的だった。
 では、経済自由主義に背を向けた岸信介の経済思想とはどのようなものだったか。
 
 (2)1920年、農商務省(のちの商工省)に入省した岸は、26年、米国で開催された世界博覧会に出席するため渡米し、イギリスやドイツにも立ち寄って調査する機会を得た。
 30年、浜口内閣の下で金解禁が実施されて昭和恐慌が勃発すると、26年の報告書が注目され、岸は再びヨーロッパに派遣された。
 当時、欧米では資本主義の大転換が進行中だった。その衝撃は経済理論の革新を引き起こすほどのもので、二度の海外体験は岸の思想形成に決定的な影響を及ぼしたはずだ。
 資本主義の大転換について、アルフレッド・チャンドラー『スケール・アンド・スコープ --経営力発展の国際比較』(有斐閣)に依拠しつつ概説すれば以下のとおり。

 (3)所有者が個人的に管理する小規模の企業によって運営される資本主義経済は、19世紀後半、欧米においては大規模な投資を必要とする輸送・通信手段(蒸気船や鉄道、電信)が出現し、俸給経営者が専門的に経営を担うようになった。所有と経営とが分離した。
 大量生産・大量販売を行う企業もまた、業務上の意思決定を俸給経営者陣に集中させるようになった。
 さらに19世紀末から20世紀初頭にかけて、画期的な製法の革新、新たな産業の勃興が起きた(「第二次産業革命」)。
 これら新産業は「規模の経済」が大きく働くもので、よって規模が大きいプラントほどコスト上の優位に立つことになった。
 さらに、これらの新産業は同じ原材料・同じ中間工程から多数の製品を製造することができるため、「範囲の経済」も大きく働く。つまり、同じ工場で同時に製造される製品数が増加すれば、各製品の単位費用が低下する。
 ただし。この「範囲の経済」を享受するためには。生産設備を通過する原材料の通量が生産能力を下回らないように維持されていなければならない。さらに原材料から生産設備への通量だけはでなく、中間業者や消費者に至るまでの流れも調整する必要がある。もし、こうした調整がうまくいかず、現実の流量が生産能力を下回る場合には、固定費用が巨額であるため、単位費用は急増してしまう。
 要は、規模と範囲の経済が大きく働く資本集約的産業においては、その費用と利益は、定格生産能力と通量によって決まる。通量の調整には、生産から流通に至る全工程を管理する組織化された人間の能力(チャンドラーのいわゆる「組織能力」)を必要とする。「組織能力」こそ、資本集約的産業の競争力を決める主たる要因だ。
 資本集約的産業においては、高度な「組織能力」を有する統合的な経営階層組織が構築されるようになる。統合的経営階層組織による新たな資本主義の形態をチャンドラーは「経営者資本主義」と呼ぶ。

 (4)さらにチャンドラーは、米国、イギリス、ドイツの3ヶ国における経営者資本主義の違いを比較している。
  (a)米国・・・・経営者資本主義の発達が最も顕著で、主要企業は市場シェアと利益を求めて競争していた。広大な国内市場が競争関係の維持を可能にした。チャンドラーのいわゆる「競争的経営者資本主義体系」だ。
  (b)ドイツ・・・・経営者資本主義が発達したが、主要企業が国内外で市場シェアを維持するために協定を結ぶ傾向が強かった。この「協調的経営者資本主義」により、ドイツは第一次世界大戦における敗戦から急速に復興を遂げることができた。
  (c)イギリス・・・・企業家たちが従来の個人経営に執着し、経営者資本主義に必要な投資や組織能力の開発に消極的だった。ためにイギリスでは「個人資本主義」が残存し、ドイツや米国の後塵を拝することになった。
 なお、この「経営者資本主義」の成立は、経済思想にも多大な影響を与えることになった。
 資本集約的産業においては、産出量の増大に伴って生産コストが低下する(「費用低減」)。
 経済思想の主流(経済自由主義)は、自由競争市場の価格メカニズムによって需要と供給が均衡するという「市場均衡」を至上命題としている。ただし、「市場均衡」は「費用一定」ないし「費用逓増」を仮定することで成り立っている。

 (5)市場は自動的に均衡するのだから、政府介入の必要はない。これが、経済自由主義が「自由放任」を正当化する理論的根拠だったはずだ。
 しかし、費用逓減現象が起きるのであれば、価格メカニズムによる需要と供給の均衡は達成できなくなる。企業は、生産量が拡大するほどコストを引き下げ、利潤を拡大できるのだから、市場シェアの拡大をめざして投資競争を繰り広げることになり、市場は均衡しない。
 劇甚な競争の結果、最終的には寡占や独占の発生に至ってしまう。
 また、経済自由主義は、個人や企業が自己利益を追求して競争するものと仮定している。
 これに対して経営者資本主義は、チャンドラーが指摘するように、企業内ないし企業間の調整や強調を実現する「組織能力」が決定的に重要となる。
 しかし、経済自由主義の理論的枠組みでは、この「協調」や「組織能力」を説明するにははなはだ不十分だ。

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