円の外へ

20070121開設/中学高校国語授業指導案/中学校学級経営案/発達症対応/生活指導/行事委員会指導

先生はいつからこのような授業になったのですか?

2014-05-25 15:28:08 | 2014年度雑記
2014-05-25up

定期試験が終わってすぐ五色百人一首をする予定だった。
だが、中学2年は「お話が聞きたい」という。
それで、一つだけ話した。
四年間のつき合いの高3クラスも毎年「お話しよう」と言い続けた。
有難いことだ。
それに、いいことだと思う。

4 生まれて初めて国語でいい点とれて うまれてはじめてほめられたため、
  涙が止まらなかったです。

3番のようなことを、 この学校の生徒はいつも書いてくれる。
どうなっているんだろう?

4番の生徒は90点以上取り、僕は当然だと思った。
授業中の質問も、つっこみも、聞く目つきも、クラスで一、ニの生徒だ。
文系特有のおとなしい人ではなくて、かなり気も強くてしっかりしている。
どう考えても、国語は得意だ、と思ったらこの感想だ。
試験の答案について、教卓に一つ質問に来て、ついでに、
「こんな点数初めてとりました」
と言うから、
「ほんと? 信じられない。もともとできると思ってた」
と答えた。
「本当です」
「そうか。じゃあ、花が開いたな」

すると、4番が泣いてます!、と誰かが言った。
あり得ないね。
今までがどうかしていただけだ。
なぜ、教員は褒めないのだろう。

■先生はいつからこのような授業になったのですか?■
5番の感想用紙の答えは、次の時間に話した。
「20代は、授業で何をしていいか分からなかった。

 30になる前、初めて指名なし発表ができた。
 この前、みんなでやったあれ。
 今は一瞬でできることが、できるまで6年以上かかった。

 30代の後半に教えた生徒が、国語の教育実習に来てこう言った。
 ”中学で傭兵先生の国語の授業を三年間受けて、国語教師になろうと思った”
 中学ではオール5で、特に数学は抜群にできた。
 でも、国語の教員になると言う。

 40代でいっぱい勉強したら、自分でもものすごく伸びたと思った。
 けれど、今とは違う。

 転職したあと、無職の2年近くがあって誰とも喋る機会もなかった。
 その後、この学校に来た。
 普通なら、授業ができなくなっちゃってるはずが、前より良くなった。
 心技体、という言葉を知っているか? (一人だけ知っていた)
 2年間の孤独が、僕の心を鍛えた。
 技と体は、たいして変わっていない。
 心が鍛えられて、授業も変わった。

 人間、どんなことで強くなるか分からないものだ。
 つまり、いつから、の答えは、この学校に来てから、4年前からだ。

 みんなは、ぐうちゃんには、なりたくない、と手を挙げたけど、
 もしかしたら、ぐうちゃんは、すごく強い心を持った人かもね」

※ぐうちゃん:『アイスプラネット・椎名誠』に出る居候。

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