ある退職教師のつれづれなるままに

38年間の教職26.3.31退職
4月1日再任用。自分の目でみたこと感じた事など
つれづれなるままに記します。

2022-80 岩手の新聞 昔と今

2022年07月17日 | 日記
小雨の土曜日。
所によっては局地的大雨で被害にあっている地域もあるようで被害が少ないことを願っております。

先人記念館でのシリーズ学習会。今回の学習会は「岩手の新聞、昔と今」
結構知らなかったことがあり、学ぶことが多い学習会だった。

岩手の新聞は1876年明治9年から145年の歴史があるのだった。当時は8社。
今は岩手日報、一関の岩手日日、奥州の胆江日日、大船渡の東海新報、盛岡のタイムス
青森八戸のデリー東北と6社。震災で釜石の岩手東海新聞は現在休刊。と全国紙がある。

現在、日報は18万部数、全国紙は3万部数、あるという。

さて地元で圧倒的な部数を誇る日報だが発足当時、強力のライバルが岩手毎日新聞。
大正元年時、発行部数、日報4060部数、岩手毎日4700部数だったと。
当時の新聞は1部、1000円と高価だったようだ。
創設者は県会議員で衆議院議員の高橋かたろう。
どちらも資産もちである銀行がついている。日報は盛岡銀行(金田一)毎日は岩手銀行。
そして高橋は4才下の原敬の政党に属している。つまり原敬は毎日新聞側であった。

当時の原敬は60になったら政界を引退し、夏は盛岡で冬は鎌倉の腰越に住んで政治史をかくつもりだ。
その時新聞がないと困るから、と毎日新聞援助の理由を語っていたそうだ。

しかし原敬は1921年暗殺され、その後10年後、銀行は世界恐慌にあおりで
新聞社から手引き上げ、両社ともとじてしまう。
しかし、日報は分裂したあと有志が集まり再建。今の日報の前身となるのだった。

戦時中は1県、1新聞という政策にと聞く。
そこで日報に全国紙の方も加わり合同新聞となったようだ。

設立から戦前、戦中まで、知らない当時のことを知るよい機会であった。



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