ある退職教師のつれづれなるままに

38年間の教職26.3.31退職
4月1日再任用。自分の目でみたこと感じた事など
つれづれなるままに記します。

2015-207 ついに離任式そして小さな記事

2015年03月30日 | 日記
3月に入って2回のドカ雪

そのなごり雪も消えて
春のきざし満開

卒業式や送別会など飲み会3回
つい腰の痛みを忘れたものだった。

そんな慌ただしい中で1つの小さな記事が目に入った。
10数年前の教え子が某地区の学校に赴任されていた。

進学校に入って地元の大学に入ったことまでは分かっていたが
採用試験に合格して晴れて教師になったことがうれしかった。

ゆずり葉を思い出した。

若い教師のHさん。
熱く子ども達に真摯に立ち向かって頑張ってほしいものである。



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2015-206 続 開校延期について

2015年03月30日 | 日記
予定より2年間延期問題について

17年度開校予定が工事費高騰のため
最大で2年延長になるとの説明があった。

男性数人が予算に対して見通しの甘さ等意見が出された。

その中で、あるM地区の主婦の意見。
家の近くに道路も出来て兄弟、開校をとっても楽しみにしてしていたのに
延長になると子ども達が新設校に行く予定が
できなくなってしまいがっかりだ。1年間でも経験させたい。
どうにか少しでも早くできないのかという意見があった。

それを聞いてだまってはいられなかった。

対象地区の学校は2校とも
県下で1,2のマンモス校である。
日頃、学力向上等で努力しているが
音楽室など特別教室を普通教室にして空きが無い状態で
学校の教育条件は厳しいものがある。
今の子ども達に我慢を強いているわけで
できるだけ早く新設校開校して頂きたいものだ
と現在の勤務している学校の実態の様子を報告。

それをうけて市長はできるだけ早くできるように
教育長と一緒に文科省に資金調達について陳情に行くとの説明があった。

それから数日後の市広報には1年後とかかれ
最大2年延期という限定の数字が消えていたのは救いであった。







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2015-205 ある新設校の開設延期について

2015年03月24日 | 日記

 3月上旬に市内のマンモス校2校の解消のため
開設される新設校の開校の時期が延長の説明会があった。

参加者は地元の方々や教育関係者など数十名であった。

理由は工事費高騰の影響で予算が組めないとのこと。

開校は当初予定の2017年度(h29)より最大で2年遅れ
2019年度(h31)になるとの説明であった。

そして今年は
校庭外灯やグランド整備等で
建設工事はh29になるとの予定であるとのこと。

これらについて、参加者から
いくつかの質問、意見要望がだされた。(続く)





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2015-204 今終わるひとつのこと・・卒業式

2015年03月21日 | 日記
今年の小学校の卒業式は 19日・20日
本校は20日が卒業式。
穏やかな晴天に恵まれ朝から晴れ晴れとした
卒業生が集まっていた。

やはりはかま姿の小学生が目立っていたが
レンタルがおおはやりで華美になっている。

私としたら、和装は大学生ぐらいでいいと感じているのだが。

卒業式まで○○にち。
というカレンダーを6年生はよく壁に貼っている。

有終の美をおくろうという意図なのだが
疲れ気味の教師や残念なことにあまり学級がうまくいかないとき等は
あと何日だから頑張ろうということにもなる。

今年の3学期は足の状態があまりよくなかったので
後者の気持ちがよくわかる卒業式でもあった。

さて卒業式
子ども達一人一人が緊張しながら証書を授与し
心をこめて発表するよびかけ歌などは
きいていて実に感動的で足の痛みも忘れたものだった。

大きなひとつのことをなしとげた卒業式
中学校でたくましく健やかに育ってほしいと願うものである。



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2015-203歴史の中の震災にしないで

2015年03月12日 | 日記
昨日の震災の式典で最も心打たれたのが
あの時大川中の生徒の追悼の言葉だった。

母をがれきの中で見つけたにもかかわらず
釘や木がささり足がおれた母を
一人では助けることも叶わず
「いかないで」という母の言葉に「有難う好きだよ」と伝え
泳いでにげたという切ない出来事。
誰もが感動したものと思う。

これを聞いた時
戦争の空襲でにげまどう中
大事な人をたすけられず
自分だけにげざるをえない状況とにているものだと感じた。

また新聞のコメントの中で最も目を引き付けられたのが
歴史の中で風化させたくないという
ある政治家のコメントだった。

3・11を震災の日として法案を作る動きについて
それが今なのかということが問題です。
記念日ができると、歴史の中の震災になってしまう。せめて
16年度には住宅再建も7割近く進む。
せめてそこまで待って欲しい。

これは津波で家族を失い、自分も仮設にはいっている
ある国会議員の言葉である。





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