ある退職教師のつれづれなるままに

38年間の教職26.3.31退職
4月1日再任用。自分の目でみたこと感じた事など
つれづれなるままに記します。

2014-122 退職教職員感謝状贈呈式

2014年03月31日 | 日記
 h26年3月31日 
 県民会館にて感謝状贈呈式が行われた。

今年度の岩手県の小学校退職者 159人。
中学校66人 県立高校143人
受賞者374人であった。(欠席者5人に一人の割合)
内勧奨早期退職者76人定年298人 (5人に一人が早期)

会場を見渡すと懐かしき面々。

呼名がされ代表が授与。
38年間の教員生活終了の記念すべき1日。

記念撮影が7組に分かれて行われた。

生徒発表では盛岡2高の合唱部が5曲発表
透き通った女性二部。高音部が会場に響いた。
素晴らしい合唱が胸に響いた。

今日で「ある小学校教師の研修記録」は終了します。

明日からは「ある退職教師1年目の小学校教師つれづれなるままに」に変更します。



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2014-121 ガッテン流 食育の極意

2014年03月31日 | 日記
3月30日 ためしてガッテンのディレクター北折一氏の講演会
早口のテンポがよく話が上手い。
初めにクイズ
食と健康とメタボ対策。
本人自ら9キロ痩せたり10キロ太ったりで
体重コントロールの極意を話した。

バナナダイエットや納豆ダイエットなど
一品で痩せることはないが結論。

生活改善が中心の柱であるとのこと。
自ら数カ月で痩せたのは
10品目を食べること。

少し小腹がすいた状態は大敵。
ちょっと体を逆に動かすことでこの脳指令は消えると。
そして別の蓄えている内臓脂肪が活躍しだすと。
これが上手く回転すれば痩せる。

食育の極意おいしいこと。

ピーマンの嫌いな子どもに無理に食べさせることはない。
ピーマンの苦さは大人の嗜好品。
大人になると食べるようになるものだ。等

生活改善が第1の効果的方法だということらしい。
大変共感できた内容であった。

私自身それで4㌔減ったのだった。
その後はスポーツで鍛え、どうにか20代の体重に戻したのだが。

北折氏は運動しなくてもやせられる実践を見事に裏付けたところに価値がある。
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2014-120 僕らはココで生きていく

2014年03月23日 | 日記
震災1カ月後
復興食堂を立ち上げ
震災の街、大船渡、山田、大槌などでたちあがる人たち
のドキュメント。

あの松本てつや氏、
盛岡の200店舗の協力をうけ
たきだし活動とライブの記録だった。
下山監督
トークでは初め震災の記録をとるつもりが
地域のたちあがるおじさん達、笑顔で活動している
若者たちをみてそれを記録に
とチェンジ。

映画を通して
震災から2年間の記録をとって
報告の義務があると
各地で自主上映を展開。

今後はようやく
スタート地点にたったばかりであり
続きをしっかり伝えたいとのこと。
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2014-119 被災地に寄せて

2014年03月22日 | 日記
前回のあの2人は
今年の1月、分科会県代表として
全国教研で滋賀県にて発表者に選ばれたのであった。

思えば確かにあの3.11後
「何かをしなきゃ」と誰もが感じたのであった。

人事ではその年度は沿岸部は凍結だった。

稀なる震災で動揺している子達が
身近な教員が去るのは不安を増長させてしまう
ということで異動なし。

内陸部からの支援。これを実行した2人の姿勢には
実に男気を感じる。

昨日の彼岸の中日、
墓前にて、父や義父に
無事、38年間の教員生活を終えたことを報告してきた。

昨年の秋、再任用希望調査の際
「広域人事でありどこでもいいのか、
もしかして被災地にいくことも有りうると。」
いわれた。

その際、「宜しいです」と即答した。
それで心意気を示したのだった。

結果は今の勤務先の近くの学校であったが。

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2014-118 新聞記事の中から 被災地へ志願教師

2014年03月21日 | 日記
朝日新聞の今日の記事から
被災校へ 志願の教師、手探りの授業
震災後志願して赴任した2人の教師が紹介されていた。

3,11後、内陸から沿岸部へ。
この2人は実は教研の分科会の仲間である。

彼らの山田での実践は2年前からレポートとして報告されていた。

手探りで行った実践。
あまりに想像を絶するあの体験の子ども達や同僚。
その後に赴任してのある壁。

彼らは今までと同じ行事をやろうと固執する。
外部からきたものには理解できない。やれるものだけでいいのにと。
震災にあった彼らは元に戻すこと。
今までの日常を与えたいのだという想いに気付く。

後から来た教師の役目とは
当時を体験した子や教師の想いを大切にしながら
背中をそっと押すこと。それが役割でないかと

3,11後に志願して赴任した教師は2年間で63人という。
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