ある退職教師のつれづれなるままに

38年間の教職26.3.31退職
4月1日再任用。自分の目でみたこと感じた事など
つれづれなるままに記します。

2023-105 畑作業と歯医者での絵本

2023年05月29日 | 日記
大谷選手、疲れが出ているのかぱっとしません。
大相撲、さすがに横綱強かったですね。郷土の関取、錦木も9勝と後半の7連勝ビックリでした。

さて日々、忙しくしているのですが
ようやく、我が畑作業も一段落。ジャガイモの土寄せ。
きゅうりの棚に最後のゴーヤを5本追加しての植えつけ。
トウモロコシ4本目の畝に種蒔き。そして枝豆も時期をずらし種蒔きをしていたのだが
その芽をなんとカラスに引っこ抜かれていたずらをされてしまっていたのだった。
慌てて今日、鳥よけの鷲の形の凧を設置。これでどうにか被害がなくなればと。
そしてレタスの苗植え。180本。初めての自家栽培のレタスの苗植えだ。
大小様々だが小雨の中での植え付け。晴れていると後の水やりが大変なのだ。

作業の合間に歯医者へ。3か月ぶりだった。
個人でやっているので前の方の治療が長引くと予定より遅くなるのだ。
予約より1時間近く待つ羽目になった。
待合室で「長いですね、まだですかね。」とつい待っていた一人の外国人の男性に話しかけた。
「そんな時は読書をしたらいいですよ」と返事が。なるほど彼は1冊の文庫本を持っていた。
そして待合室にある絵本をとりだして「この本がいいですよ」。と勧めたのだった。
よく見ると「ピーナッツ、チャリーブラウン」の英語と日本語で書かれている絵本だった。
一緒にその絵本を読んだ。スヌーピーなどお馴染みの人物が描かれていた。
「日本語の勉強になります。」と。これは逆に英語の勉強にもなりそうだ。
「本の訳者は素晴らしいです。凄い滑らかな日本語なんです。」と彼は続けた。
誰が訳者だろうと思ってみたら、谷川俊太郎さんだった。
「当然です。彼は日本の詩人の第1人者なのですから」と。応えたのだった。

会話を楽しんでいるうちに治療のための名前が呼ばれた。
待合室のなにげない会話の中の出来事だった。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2023-104 日露戦争と県民 盛岡の歴史を語る会

2023年05月24日 | 日記
先日、盛岡の歴史を語る会の学習会があった。
この会は歴史が長く今年で51年になるという。
会員も130名から多いときは150名程受講するという。
年に9回で4500円。1回500円だ。

今回のテーマは「日露戦争と岩手県民」だった。
その原因は日清戦争の下関条約その後の三国干渉によって
ロシアと遼東半島をめぐる部分で戦が起こったことによる。
後ろに日英同盟があった。

この日露戦争では県民の犠牲者の中には著明な方も犠牲になっていた。
というより日清戦争に比べて犠牲者も戦費も10倍と大きいものであった。
県人からみると開戦した年の1904年に石川啄木が日露戦争に対して岩手日報に8回連載。
「平和が続くと堕落する。そんな意味で正義のために平和のために理想のために戦うのは良しとする」
と当時ナシュナリズムの18歳の青年だったのだ。
しかし、敵将マカロフが戦死すると相手に敬意を表し、その後の啄木は思想を一変させ、
「当時は無邪気な好戦国民の一人であった。」と4年後の1908年の日記に記している。
日露戦争前から横川省三がスパイ活動をしシベリア鉄道爆破を図り
1904年4月銃殺される。高松の池に建立されている。
南部藩士の息子の東条秀教は第8旅団長。(東条秀樹の父)
南部42代当主南部利祥は戦死。盛岡城跡公園に台座だけが残っている。
柴内魁三はこの戦で両目を失明。自ら私立の盲学校を創立。現在の盛岡聴覚支援学校。
他に2次大戦での首相米内光政、2,26事件で暗殺された斎藤実首相などが活躍している。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2023-103 田植えいろいろ

2023年05月23日 | 日記
日曜日、今年の田植えが終了。
苗箱は昨年よりも1割多い191箱。
今年は快晴ではなく曇り日だったので作業がやりやすかった。
ようやく終わった。田植えが終了したのは数軒だが夜な夜なカエルの合唱が賑やかになる。

さてしっかりと水を張った水田をめがけて。
カメラマンの2人が写真の好場所を探し求めて歩いていた。
聞けば北上からと。
どんな構図でとるのですか。
「画面の下を水田にして新幹線が上下に映るようにしたい」とのこと。
ここは1年を通じて、よくカメラマンが来る場所だ。
新幹線と岩手山と田園風景がマッチするのだろう。新幹線はスピード連写で。
曇っていたので岩手山は見えずじまいなので水田を広くとった構図を狙っているようだ。
いい写真がとれればいいのだが。
田植えが終了したのは数軒。

周りはまだ水が入っていない「田おこし」も進んでいない個所もある。
委託農業で時間をずらして順々に作業を進めていくのだろう。
隣りの田んぼも休耕田になった。昨年までしっかりやっていた83歳のおじいさんが亡くなったのだ。
「今年は初めて断念したと。」息子さんが。
残念だが農業も高齢化が進み、放棄地もこの付近でも目に付くようになってきた。・・・

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2023-102 風薫る中の田植え

2023年05月20日 | 日記
今日から始まったG7サミット。そして田植え。

実はこの周辺では今週から田植えがが始まっっている。
そうなると毎晩、賑やかになるのだ。カエルの合掌で。
田植えの前日、1日目に植える分140箱を苗を作ってる農家から運んでいる。
品種はこの辺一体があきたこまちだ。粘りもあって味が良い。岩手農業試験場で開発したものだ。
なぜあきたこまちと命名したのか不明。初期に秋田で大量に植え付けたのか?

その苗箱に薬をふる。雑草が生えないように。
そして今日の田植えが始まったのだ。天気は曇り。
絶好の田植え日和だ。手伝いは2人。4人で行った。
苗を田植え機に入れた箱を回収して箱を洗い作業。
途中で苗が足りず、軽トラで一人で苗を荷台に運んだ。
苗箱を上向きにすると12箱詰めるが、横に本を立てるようにすると30箱詰めるのだ。

今年は田植え機械の故障も少なく、初日、目標の部分まで植えることができた。
あと3分の1を残して6時過ぎに終了した。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2023-101 半年ぶりの対面面会

2023年05月18日 | 日記
明日は広島でG7サミット。どんな成果が出るのだろう。

さて昨日、施設に入所している母との面会だ。。
半年ぶりだった。冬からはオンライン。
声をかけても静止画面になったりして反応が今でも一つ悪く、
画面で顔色を判断して健康状態をチェックする程度だ。
ようやくそれから5月8日になってマスク着用が自由になり
面会も対面形式になったのだ。

ひさしぶりに会って、母の表情が痩せてもなく、穏やかでホッとした。
母は大分耳が遠くなっており施設の方が傍で小さなメガホンで語りかけてくれていた。
そこで名前を書いて見えるようにした。名札のようにした。目はよいのだ。
母はその名札をじっと見て、何か思い出すようなしぐさをとった。

会えない半年間で大分認知も進んでしまったのかもしれない。
コロナは施設の入居者にとって残酷だ。
それがなければ施設の部屋に訪問して体を触ったり、手を握ったりできるのに。

その後、母が摂っている高カロリーゼリーの食品を見せてくれた。
おかゆをたべて食が進まないとき代用しているそうだ。
栄養とエネルギー補給に役立っているようだ。
3月後半、熱を出したと言われたがそれをとって回復したのかと思ったりした。

いつもと変わらない元気な母の顔をみて安心した対面の面会日だった。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする