楽しいはずの合唱練習だったが、
その練習中、ある一人の音楽家の訃報を聞いたのだった。
仙台合唱団、みやぎ紫金合唱団、D51合唱団、はじめ各合唱団の
指揮やピアニストも務めていた作曲家の小林康浩さん。
日本の歌ごえ祭典の数々の楽曲、人間の歌、ロシア民謡編曲、伴奏者としても活躍。
日本の歌ごえ運動に寄与した方であった。
先月の5月16日、心不全のため死去。51歳の若さで突然なくなったというのだ。
信じられなかった。この若さで。・・・・
今まで、合唱指導でたくさんの方の指揮者に出会った。
その中で、小林さんには岩手や仙台で指導を受けたのだが、
最も歌いやすかった指揮者であった。合唱指導がとても上手かったのだ。
いかにも一種の構えて歌いますといった風でなく、
自然に曲にあった歌を歌える、歌っているといった風に
人を自然体にのせていくのだ。
だから無理なく歌に引きずり込まれていくといった案配だ。
もっと多くの方に幅広い知識で合唱の魅力を伝えてほしかった。
本当に残念でたまらない。・・・追悼。
その練習中、ある一人の音楽家の訃報を聞いたのだった。
仙台合唱団、みやぎ紫金合唱団、D51合唱団、はじめ各合唱団の
指揮やピアニストも務めていた作曲家の小林康浩さん。
日本の歌ごえ祭典の数々の楽曲、人間の歌、ロシア民謡編曲、伴奏者としても活躍。
日本の歌ごえ運動に寄与した方であった。
先月の5月16日、心不全のため死去。51歳の若さで突然なくなったというのだ。
信じられなかった。この若さで。・・・・
今まで、合唱指導でたくさんの方の指揮者に出会った。
その中で、小林さんには岩手や仙台で指導を受けたのだが、
最も歌いやすかった指揮者であった。合唱指導がとても上手かったのだ。
いかにも一種の構えて歌いますといった風でなく、
自然に曲にあった歌を歌える、歌っているといった風に
人を自然体にのせていくのだ。
だから無理なく歌に引きずり込まれていくといった案配だ。
もっと多くの方に幅広い知識で合唱の魅力を伝えてほしかった。
本当に残念でたまらない。・・・追悼。