ある退職教師のつれづれなるままに

38年間の教職26.3.31退職
4月1日再任用。自分の目でみたこと感じた事など
つれづれなるままに記します。

2016-348 農業研修で山形視察へ

2016年07月28日 | 日記
二日間の山形県の先進地域の視察。

心配していた雨はどうにか持ちこたえ
T畜産とその焼き肉経営の店で昼食。

現在5000頭の肉牛。
困っているのは堆肥の流通のようだ。
年間2000頭を出荷。
逆に2000頭の子牛が必要だが不足がちで価格が高いそうだ。
この山形牛は柔らかくてソフトな味であった。

次がアジサイ営農組合
ここは農協の会長賞をとった地域。
大豆、小麦、そばといった作物を2年3作の作付体系を確率。
どう次の世代につなげるか工夫した実践であった。

初日最後は
蔵王の山麓フアーム。
国内で珍しいドメ―ヌワイナリー(自家製ワイン)
40年近くワインのブドウを生産して
ニュージーランドで研修を経て立ちあげる。
ぶどうは1年で3,5m伸びるそうだ。
2年で逆に3,5m
3年目は横にといった4角な方形で効率的に育てていた。
食べるブドウはリンゴと同様
嫡化ならぬ嫡粒。これが結構手がかかるらしい。
白ワインを試飲。
乳酸を入れる前らしく酸味があったが大変フルーテイであった。
ワインに詳しい方がこの値段ではもったいないとのこと。
どこの生産地も熱意が伝わってきたものだった。

明日は日本海の庄内米の視察である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2016-347 復興記念前進座 「怒る富士」、観劇、

2016年07月23日 | 日記
昨日、復興記念事業 「怒る富士」を観劇した。
これは3,11から5年たち復興記念事業の演劇でもあった。
原作 新田次郎

1707年 富士山噴火の被災地の辛苦の道遠い復興。
59箇所の山麓の村は被害が大きく亡所として指定された。

幕府は復興予算として全国から48万両上納させる。
しかし被害が甚大すぎて
実際は1万両も出さなかった。
そして大奥の補修にその半分を費やすのだった。


そして富士山麓は亡所と指定されたのだった。

村々を捨て他の地域に移民させる政策をとった。

しかし諦めず自力で復興を目指す農民たちだが食料も尽き
食するものはなにも無く
とりさえもさっていった。

関東郡代伊奈半左衛門が被災地代官になった。
その代官が農民たちに寄り添い悪戦苦闘しながら
救済米として5000俵ださせたのだった。

しかしその代償として自害を命ぜられる。

それから被災地が完全復興するまで36年の歳月を要したという。

被災地の復興に想いをはせ人道的にふるまった代官の嵐圭史の見事な演技に吸い込まれた。
社会派ストーリーとして見ておきたい演劇であった。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2016-346  南相馬へその車中

2016年07月18日 | 日記
研修後
直にどうなっているか見ようと
バスで南相馬に向かった。

114号線を東へ
川俣町までは放射線量も低かったのだが
山を越えて飯館村に入ると
線量はかなり高くなるようだ
風景も一変。
黒いビニルシートに覆われた汚染された土砂の山
そして広大に覆われた緑のシート
時々放射線量を測定する人や
住専作業をする人たちが作業をしていた。
学校の校舎は無人。

南相馬の原の町までの約②時間
猪がほった崩れた路肩。

原発事故の影響を多少なりとも
感じることができた。
除染に終わりはないそうだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2016-345 福島・原発事故から5年、現地にて

2016年07月17日 | 日記
先週、福島で東北ブロック退職教員の学習会があった。

現役の頃も会津で原発問題について考える講演があり、
どの程度緩和されているのか知りたくて参加したのだった。

今、国は年20mmシーベルトの放射線許容量である。
しかし民間は1ミリシーベルトを求めているようだった。
その差は20倍。どう考えたらいいのか。
安全基準が不透明である。


中学の現場の教育について
2校兼務の実態が報告あった。
2校とは
所属している学校と
避難している学校2校のことである。

通勤が50キロぐらい。
今は双葉郡の浪江町など数校らしい。

介護施設がたりないと。
はいれれば幸運と。

生活の様々な様子が報告された。

帰路、福島からバスで飯舘村、南相馬に行ってみた。(

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2016-344 日本大臣賞受賞のある農家・酪農家を視察

2016年07月15日 | 日記
 今週、盛岡近郊のある農家と酪農家にいって経営学を学んだ。

その農家は140haの規模
小麦は半分
残りは水稲、なたねなど
トラクターが7台
その規模に驚いた。

しかし
水田の先見の知識の豊富さに更に驚いた。

経験に裏打ちされたもので
苗や肥料、薬品などをいかに少なくさせて経営を安定させるかを話されていた。

苗は直播、
又は1本植えなど試験栽培を経ての結論。

そしてコメ粉の製粉をして菓子屋とコラボなど
夢を感じさせてくれた。

酪農家では
地域に有名なアイスクリームのM店

大変おいしい、甘くないアイスクリームが売り。
食べるともう1つ食べたくなるアイスクリームだ。

牛80頭で
アイスクリームの原料は自分で。
産直経営など6次産業が成功した例である。
シニアで生活に根差した発想からの進化したお店であった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする