ある退職教師のつれづれなるままに

38年間の教職26.3.31退職
4月1日再任用。自分の目でみたこと感じた事など
つれづれなるままに記します。

2021-11 こめ騒動と原敬

2021年01月31日 | 日記
米騒動の映画が封切りされた。
父母が生まれた頃の大正7年当時の社会を知りたくて見に行った。

100年前、正確に言うと102年前、実際に起こった米騒動とはどういった背景だったのが。
場所は富山県の滑川魚津の漁村。
米不足で悩む女達の一揆が全国に広がり、当時の寺内内閣が辞職。
原内閣が誕生している。
なぜ、米が不足したのか、1914年一次大戦の中、1917年、ロシア革命が起こる。
日本はそのためにシベリア出兵をする。
そこに米を大量に送るために国内の米が高騰。という社会背景。
富山県が舞台だけに、室井滋、立川志の輔、柴田理恵などが出演。

男達は漁師で魚が捕れない時期は出稼ぎ北海道などに入って漁をする。
男不在の中で生活を守るために女達が一揆を起こすのだった。
当時は男が米一升、女も8合食べていたと。今の数倍だ。
女達は米の担ぎ屋として生計を立てている。
米俵60キロを船着き場まで担ぐのだ。凄い力だ。
しかし、酒田での米問屋の写真には米を6俵担いでいる
女性の写真が残っているのを見たことがあった。

一日の日銭が20銭、米一升が20銭。それが30銭、40銭と高等、
米問屋が買い占め 腹一杯食べさせてやりたいと女達が起ち上がり富山をきっかえに
新聞で広がり各地で社会運動が広がっていくのだった。

そして、その結果、貧民救済として一日一人3合が配給されたとのことだった。
今の社会にも通じるような内容だった。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2021-10 人生100年・情熱と努力の人

2021年01月28日 | 日記
先だって、マスターズ水泳最高年齢で世界記録保持者であった
大正3年生まれの長岡三重子さんが106才で亡くなった。

すごいのは長岡さんは元アスリートでもないのだ。
80才から膝を痛めたことをきっかけに水泳を始めて1年かけ泳ぎを覚えた人である。
そして二〇数年やるならとことんつきつめるといった性格で泳ぎ続けた人であり、
実に多くの人の目標になったことだろう。そのうちの一人なのだが。

水泳は体幹が左右するスポーツだ。
その点、踊りの師匠だった長岡さんは体幹がしっかりしているのだと推測される。
技術より体幹。今それに苦労しているだけにうらやましい限りだ。

1500mクロール、バック。それを100才を超えて
一時間以上泳ぎ切る体力。
決してスピードがあるわけではない。
バックの記録は一時間一六分。一般ならその半分ぐらいで泳ぐタイムだ。
ただし100才では誰もが泳がない未踏の記録なのだ。

多くの人にやる気と継続の大切さをもたせた長岡さん
心からご冥福をお祈りいたします。








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2021-9 回復力

2021年01月24日 | 日記
先だっての池江選手の100mの泳ぎ方がもうすでに
アスリートに戻っていた。4位になって悔しがっていた。
病気で戦線離脱していたとは思えないほどの日々の回復力だ。

自分も昨年の108煩悩スイムを終えて、1月は仕事と重なり、長距離を泳いでいなかった。
久しぶりに一週間前に1600mを泳いだ。
アップしてから
100mー75m-50mー25mー50m-75m-100m一セット475mを三セット
のメニューだ。
三セット目がきつかった。
体力が維持できていなかったのだ。特に後半の75mと100mはスピードが落ちていた。
今まで泳いでいた長さだったのにスピードが出なかった。
三週間のブランクが見事に泳ぎに反映されていた。

そして一週間後、再び逆ピラミッド。今回はどうにか回ることができた。
その要因はそれぞれの長さのスピードだった。
一から二秒遅れると休みがその分少なくなり次の泳ぎに影響してくるのだった。

一週間泳いでようやく、前の早さに回復してきたのだった。
自分に置き換えてみても、池江選手の回復力は凄いものだ。








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2021-8 ある児童養施設

2021年01月18日 | 日記
テレビで放映された「子守歌響く母屋」
児童養護施設は全国で605施設があるという。うち県内では6カ所。
3才から18才まで240名が入園しているという。
そのうちのみちのく・みどりが老朽化し昨年、新しく落成された。

医療・教育・福祉の分野から教育を考える会が発足。
そのメンバーの一人がこの学園の代表でもある。

一時保護を含め、子どもを親の虐待から身を守る最期の砦であるとその代表が語っていた。
60年前に開所。当時は虚弱体質の児童が集まっていた。その後、心身、不登校など
そして今、児童虐待と、社会に反映される形で変わってきたらしい。

8人部屋に押し込まれた形で
これを改善しようと10年の構想で今の小規模単位にしたという。
一棟にに職員8人で三棟。
ここは全国に先駆けてのモデルケースだと。
棟方志功の秘蔵っこの版画家井上さんの作品が寄贈され三点掲げられていた。
11月恒例の弁論大会。謙虚に自分を振り返りながら所長する子ども達。
子どもの孤独感を減らすためにも、社会、全体で関心をもち、
みんなで育む意識が必要だとその知人である代表が力説されていた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2021-7阪神大震災から26年

2021年01月17日 | 日記
また1,17がやってきた。当時たまたま神戸にいてあの震災を経験した自分にとっては
3,11と同じく記憶に残る日である。
この震災で生まれた「しあわせ運べるように」は各地で民間教育団体でも歌い継がれてきた曲であった。
その曲を作った白井真教諭が今年で定年を迎えるとを知った。
神戸から発信されたこの曲は3,11の時も一部詞の「神戸」を現地の三陸などに置き換えて歌われていたのだ。
今後、全国に更に広げて行きたいと語っていた。彼の活躍を期待したい。

この阪神震災と関連して気になった3,11の復興記事があった。
それは三陸の被災地のかさ上げの規模と堤防の高さである。
10年たってようやく箱物がたって仮設住宅も撤去されてきた。
しかし10年も時間がかかり、かっての予想される人口が大幅に減少し、
自治体では空き地問題に悩まされている。

なぜか。阪神震災経験した方々がアドバイスして理想の町の復興を計画したにもかかわらず
人が減少したのは、時間がかかりすぎたことだ。かさ上げが当時の計画の2倍の高さにかさ上げされ
また堤防も途中から10mは高いと気付いた住民が変更申し出ても自治体では更に計画が遅くなると却下してしまったこととか。規模が膨らんできても誰もがストップをかけられなかったという証言がよせられていた。
しかし、阪神は都会型の被災地であり、数年たつと空き地も埋まっていったとあった。
しかし三陸はもともと過疎地である。
数年後空き地が解消されていくだろうか。危惧されるのが人口減少の問題だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする