ある退職教師のつれづれなるままに

38年間の教職26.3.31退職
4月1日再任用。自分の目でみたこと感じた事など
つれづれなるままに記します。

2022-20 白菜1600個完売

2022年02月27日 | 日記
昨年秋、白菜を32畝、1畝に50個で1,600個うえたのだった。
前の年より400個数多い数だった。
9月の満月の夕刻、18時すぎまで苗を植えつけていたころもあった。
しっかり根付き大きく育っている白菜をみながら、こんなに植えて
果たして全て売れきれるのだろうかという一抹の不安もあった。

しかし不安は年明けに解消された。
1月、2月と売れ行きが好調だったのだ。
そして今日残りの白菜を出荷。
気が付いたら昨年と同じ時期に完売だ。
計画より1週間早い。

とにかくこれからはゆっくり休める充電期間だ。
ようやく朝のんびりできる。
旅行もしたいがこのご時世だ。
県内のコロナ感染者数はついに1日400人をこえて
のべ1万人となった。
とりあえず小屋の片付けから始めよう。・・・

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2022-19  自己ベスト更新

2022年02月26日 | 日記
信じられないことが起こっている。
突然のロシアによるウクライナへの軍事侵攻が25日未明。
すでに首都のキエフの高層アパートまで攻撃。恐ろしいことだ
とにかく、一日も早く、ウクライナに平和が訪れることを祈願。

今週、日頃泳いでいるジムでのオンラインによるマスターズ全国記録会があった。
マスターズ練習で1600m泳いだ後の記録会。
アップにしては結構疲れも残っていた。が
10分後、100m個人メドレー
飛び込みはせず、練習同様、壁スタート。
スタートしてから失敗したことに気づいた。
けのびをしないでドルフインキックを始めからしていたのだった。
しかたがない。とにかくおくれを取り戻そうと全力で泳いだ。
ターンからバック。斜めターン。ここは練習していたのでいつもよりスムーズにいった。
バックはリズムがよかった。平泳ぎはまだ課題だ。最後のクロールは体力が残っていたので全力で。
終わった後のタイム。なんと自己ベスト2秒更新だった。
3日後の今日はバタフライ25m
前回のバタフライ、スタート失敗のリベンジだ。
スタートしっかりけのびをして早くするため、うねりを小さくテンポを早く泳いだ。
なんと、24秒台だった。自己ベスト2秒更新だ。
練習の成果が出たうれしい出来事だった。


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2022-18 食品衛生責任者養成講習会を受講して

2022年02月22日 | 日記
昨日は寒い真冬日の一日だった。
そんな中、合同庁舎で食品衛生・・たっぷり8時間の講習会を受講。
なぜ、そのような講習会を受講したのかというと
産直でカット野菜やゆで栗を出荷するために、今後必要だったからであった。

食品衛生が法改正され一部条例が変更されたのが2021,6月。
1年間は施行周知期間であったので昨年の6月に必要になったのだった。
そこで講習会参加を希望したが10月がいっぱいになり、受講が次のこの2月になったのだった。
受講者は73名。前期も同数ぐらい。受講料は1万円。

食品衛生法
公衆衛生学
食品衛生学 主な食中毒と健康被害
昼食をはさんで
食品衛生学
そしてまた食品衛生法
内容には講義とビデオがおりこまれていた。
講義が終わって試験問題。
細かいHACCPがこれからは必要になる。
参加者からは厳しくなるなという呟きがこぼれていた。

最後に修了証書が交付された。疲れた1日だった。


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2022-17 続ぞく先人こぼれ話

2022年02月21日 | 日記
前回の続き
啄木はよく学校をさぼって、あちこち徘徊し、
盛岡城では中学校の教科書にものっている有名な短歌を残している。

不来方のお城の草にねころびて 
空にすわれし15の心

繊細で感性の強い啄木に対しても、
富田先生はあくまで教師としての価値判断を下していたのだった。

この富田先生はのちに「日本一幸福な教師」ともいわれているのだった。
というのは一枚の同窓会の写真。中央の富田先生を囲んで多くの当時の一線で活躍していた
先人たちが並んでいるだった。
米内光政、金田一京介、野村胡堂、・・・・。

次に花巻出身といえば宮沢賢治であるが
当時、最も偉大とひょうされていたのが北海道大学の父といわれる
初代総長の佐藤昌介。原敬と同級生で作新館で3年間学んでいる。
新渡戸稲造も北海道農業大(今の北大)にかかわっているのだが
原敬のはからいで今の名称の大学の前身になったとか。

人の繋がり、絆を改めて知らされたおもいであった。
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2022-16 続先人こぼれ話

2022年02月20日 | 日記
北京冬季オリンピック、今日閉幕。
カーリング女子、活躍しましたね。
丁度、その時間、先人こぼれ話の講座があった。

米内光政をはじめ数人の先人の新たな人柄をしることが出来た。
米内光政の父受政も大柄で光政の180センチより若干大きかったそうだ。
そんな父は盛岡の市長選に立候補、初代市長に選出。
しかし、当時の知事にあたる県令の石井が認めず目時が市長に。
その後、父は上京し、発明家をめざす。がおもうようにいかず借金を抱えていく。
それを生涯、息子の光政が払い支え続けていったそうだ。
光政は海軍兵学校から立身出世して総理大臣になるのだが
貧乏少尉、やり繰り中尉と当時揶揄されていたと。
母は生活が苦しく、父に援助しなくてもといったそうだが
父の生きがいである発明工夫を奪ったら生きがいをなくしてしまうといって
父が亡くなるまで支援したそうだ。
反抗期というものが全く見つからない人だったらしい。

盛岡中学時代、下級武士の息子の光政、授業料を滞納していたことを知って
担任の富田小一郎は月2円支援していたと。
のちに出世した米内光政だが必ず帰省するたびにこの恩師には挨拶にいっていたと。

しかし、この富田先生は実は石川啄木を落第させた人物である面、授業をさぼったり
成績がよくないものには落第をさせたりしていた厳しい面もあったそうだが。
啄木はこの富田先生の追放運動をしているのだった。

また、米内光政は金田一京介と同窓生で2つ違い。
柔道でくんだとき、体格が勝っているのに敢えて投げを打たれたという優しさがあったと。
その性格が軍部対立の時、強硬派の陸軍を抑えられなかったのではと
先人のいろいろな人の繋がりが感じられた
今日の2時間の講座だった。






 
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