ある退職教師のつれづれなるままに

38年間の教職26.3.31退職
4月1日再任用。自分の目でみたこと感じた事など
つれづれなるままに記します。

2025-26 小さな旅レポート・・・虎に翼 三淵氏の別荘へ

2025年01月28日 | 日記
小さな旅レポート
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2025-25 小さな旅

2025年01月27日 | 日記
一昨日から旅に出ていた。
そして1年ぶりに友人と会う事も楽しみの1つだ。
後ほど旅レポートをしたいと思う。
それでは次号にご期待を。・・・
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2025-24 スイカの講習会

2025年01月25日 | 日記
昨日、B/Rでスイカ講習会があった。参加者は市内の生産者20名。
スイカについて学ぶ貴重な機会である。
最初に県立大学の教授からアライグマ被害の報告があった。
アライグマとタヌキは似ているが手の指が赤ちゃんのような5本指
犬のようなタヌキと違って器用に表面の皮をくりぬいて中身を食べる。
甘党だ。糖分の高いもの、トウモロコシなども被害に会う。
対策は電柵しかなく凶暴なので自分で対処せず連絡を。と。結構2年前あたりから
目撃情報がよせられているとのこと。
ウイルス菌が人間にも感染するので要注意とのこと。
1月に入って、鶏インフルエンザが5例県内で報告。何十万と処分されている。
養鶏業者にとって何とも気の毒なことだ。

さてスイカの講習会であるが
昨年は定植時、雨が少なかったがその後、もちなおす。高温もあり、収穫量は平年並み。
スイカの人気は小玉が都心部で多い。地方とは別物だ。
大玉では金色スイカが人気、中身が黄色であるが栽培が難しいとのこと。
すいかの病気対策、一番怖いのが炭素病だ。
その対策は穴の開いたシート。水はけをよくすること。等々。
定植から1か月は実をあっても取り除く。収穫量を上げるヒントだ。
とにかくスイカは神経を使う作物だ。

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2025-23 農村の過酷な嫁の立場

2025年01月24日 | 日記
33回忌で親族が集まった時の85歳の義姉がふと漏らした言葉が胸につき刺さった。
「今まで苦労ばかりしてきたと。」
昭和14年生まれ、戦前、戦後の物がない時代、そして嫁の立場を体で感じてきた
80年間で重みがある。
敗戦の直後入学し中学を卒業し、4年間、家で農作業を手伝い19歳で結婚。
ちなみに4歳上の長男は高校を出た後働き、その後都内の大学に進学している。
求める学歴も男女間で差があった。

嫁ぎ先も農家。数カ月義祖父の介護、そして葬式、嫁の置かれた過酷な嫁の休みのない生活。
その後、耐えられず実家に戻るが引き戻され、子供も生まれ、毎日朝から晩まで農作業、
子育て、そして介護と耐え忍んびながら、つくしてきたようだ。
夫が数年前から介護施設へ。面会で初めて、
「お前も、もう年なんだから農作業も休みながらやれ」と人並みな言葉を掛けられたと。
「本当に苦労ばかりだった」としみじみ語っていた。

藤あや子63歳のファミリーヒストリー。
秋田、仙北出身の農村、祖母は24歳で亡くなる。
当時、農村の嫁は朝から晩まで働くのがあたりまえの過酷な労働状況。
嫁をもらうことを「手間を貰う」「角のない牛」に例えられていた。と
18歳で嫁ぎ、体を壊して実家に戻されて1週間後の昭和16年24歳で亡くなったと。
直前、ボロボロになった手をじっと眺めてていたそうな。
なんとも不憫で過酷な農村の嫁の生き様である。

「この小さな世界の片隅で」のすずさんのような庶民からみた、戦争や
昭和30年代の農村ルポ「ものいわぬ農民」での貧しい農村の暮らしなど
と共通している。
「角のない牛」に例えられた労働牛が嫁だった。
だから農家の長男には嫁の貰い手がないのだろうか・・・





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2025-22 知られざる内容の終戦の詔

2025年01月22日 | 日記
ボランティア活動の日。学芸員からの学習の日でもあった。
今回のテーマは米内光政の展示内容を知ること。

米内の展示の一画に天皇の「終戦の詔」を米内光政が写した書が展示されている。
読もうにも漢文訓読体で書かれ意味が詳しく分からない。
「たえがたきを耐えしのびがたきを忍び・・・」のフレーズがよく知るれている。
当時の国民はラジオの玉音放送を聞いても詳しく分からなかったようだ。
その後でNHK解説員が戦争終結を知らせ、新聞で内容を知った人多いようだ。

さてその内容だが口語調に直して頂いた。
わたくしの善良な国民に告げる
(7月)ポツダム宣言を受諾する通告をした。
・・・
先に米英に戦いを宣した理由もわが国の自存とアジアの安定を心から願ったためであり
いやしくも他国の主権を押しのけたり、その領土を侵略するようなことは勿論、
わたくしの志とは全く異なる。
この戦争が始まってすでに4年が経過。陸海将兵は勇戦奮闘し1億国民も各職域に奉公してきた。
にも関わらず戦局は不利である。敵は新たに残虐な爆弾を広島長崎に投下、その惨状は計り知れない。
このような状況下でなお戦争を続けるなら日本民族の滅亡に繋がることになる。
これこそポツダム宣言を受諾する理由である。
たえがたきを耐えしのびがたきを忍び人類永遠の真理である平和の実現をはかろうと思う。・・

この文の作成は学者である。この戦争を開始したのは天皇の志とは違うことを明確に述べているのだ。
「天皇万歳」といって死んでいった若き兵士になんと申し開きができるのだろう。

終戦後の天皇の戦争を責任を回避する文を4日間で作成したのだ。

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