ある退職教師のつれづれなるままに

38年間の教職26.3.31退職
4月1日再任用。自分の目でみたこと感じた事など
つれづれなるままに記します。

その50 放送大学院で学んだこと

2012年01月22日 | 日記
 1月22日、試験無事終了。
どうして大学院の修士専科生になったか動機紹介します。
研修会である学者というより文科省の○○という立場の方から
「現場の先生は感覚的でいかん。話が主観的で、一般論で話さず通じない」
と話されていました。
つまり、現場での話は子どもを見取ってより具体的な話し方になるわけです。
しかし、それが「この授業がいいか悪いかの判断でありえていいのか」と。いうわけです。
「もっと客観的なだれでもわかる指標をだすべきだ。」といっているのでした。
学者の言い分にたいして、現場の一人として疑問をかんじました。
そこで実践と学問をつなげたいというのが動機でした。
 逆に現場の立場からみて、学者は理論だけで現場と実践がつながらず欲求不満で
研究会をあとにすることも多々あったのでした。

 次に学んだ感想です。学習しているときは、大変落ち着きます。
もし、何らかの理由で高ぶっていたとしたら、
気分のきりかえができます。しかし、当たり前ですが孤独との戦いでもあります。

 後半のテキストのなかでは「生涯学習の理論と実践」のなかで佐藤学氏がでてきます。
佐藤学氏の学習観、秋田喜代美乃学習観がわかりました。
大学(学者)でのこれまでの、ものの見方として・・序列のトップが学問知
下の方の実践知の序列をとっていることがわかりました。
そしてそのかきねをとりはらい
座学からの脱皮をめざし授業と理論を結びつけ展開しているのが
この両氏だあったということは周知のとおりです。
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