ある退職教師のつれづれなるままに

38年間の教職26.3.31退職
4月1日再任用。自分の目でみたこと感じた事など
つれづれなるままに記します。

2024-98 春に向けての野菜作り

2024年10月30日 | 日記
衆議院選挙、自民党・公明党過半数割れ。
国民をないがしろにしてはいけないのだ。
遅くなったが被団協のノーベル平和賞の快挙。おめでとうございます!!
長年の運動が認められた出来事であった。
そして袴田事件の無罪判決。長かった半世紀。
弟を信じ支え続けた姉のひでこさんの努力が報われた待ちに待った人道判決。
ようやく肩の荷が下りただろう。それにしても強い方だ。

さて温暖化により、今、ホウレンソウ出荷中
再度、春向けのほうれん草、3畝の種まきができた。
そして玉ねぎの苗の植え付け400本は既に終えていたが
自分で種まきをした玉ねぎ100本+αの苗の植え付けも完了。
これで来春の準備が出来た。
ようやくひと息つけそうだ。明日は雨。
しばらくぶりに大リーグが見られそうだ。


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2024-97消費者大会で竹信三恵子氏と再会

2024年10月29日 | 日記
アイーナにて消費者大会が行われた。
身近なくらしの問題を市民レベルで考える会だ。
午前中は食の問題、社会保障、消費者問題、震災防災、人権・ジェンダー平等の5分科会。
午後はジェンダーと社会保障をテーマにジャーナリストの竹信三恵子さんの講演。
竹信さんは現役の頃、当地に来ていただき学習会を担当として企画。

あの頃を思い出して、ずいぶん遠くにきたと記憶していたようだ。
そして4年前、東京のある全国大会にてやはり講師が竹信さんだった。
久しぶりに再会してうれしいことに覚えていてくださった。
ラインで今回の感想を送った。
今回のテーマについて、女性と家制度のしばり、低賃金のケア労働の仕組みなど
綿密な調査での内容であった。
女性問題として上野千鶴子さんと竹信さんのスタンス
学者とジャーナリストの立場の違いからよくわかった。
情報量が多かったが話し手としては上野さんの方が上回っているのは仕方がない。
学生相手に教えているのだから。
今後とも元気に講演活動を続けて幅広く発信してほしいものだ。

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2024-96 秋深し畑も一変

2024年10月27日 | 日記
稲刈りを終えた田んぼの株から緑の芽が伸びている。
実に時が過ぎているのがわかる景色だ。

稲刈りを終えてのからの農作業。
サツマイモ堀、そして洗って干して箱詰め。
次は白菜の収穫、毎日20個ずつ収穫して出荷。
大根も今までに300本収穫
困ったのはほうれん草だ。早く種をまいたせいか春に収穫しようとした
ほうれん草が今収穫時期になってしまった。
夏は4時ごろから明るくなったのだが
今は、6時からスタート。
夜も7時までできていたのが5時半ぐらいには暗くなってしまう。

12時間があっという間だ。つるべ落としとはよくいったものだ。
ぼやぼやしていると瞬く間に1日が過ぎてしまう。
今、体重が1年で1番落ちてしまっている。
栗拾いと出荷が8セット。昨日今期分終了した。
次はほうれん草の出荷準備が待っている。

今日は市民マラソン大会。早めに出荷しないと交通規制に引っ掛かりそう。
大谷選手の活躍見られないのが残念。
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2024-95 東日本マスターズ水泳大会200m個人メドレー3位

2024年10月26日 | 日記
10月半ば、東日本マスターズ水泳大会が開催された。
大会としては5月、7月そして今回と年に3回出場している。
その中でもこのイーハトーブ東日本大会は約800名が参加する人気の大会だ。
始めの種目が200m個人メドレー。大橋選手の得意種目だ。
シニアなので練習量を増やしたからといって急に速く泳げるようになるわけではない。
それで大会向けに飛び込みとターン練習を意識的に行ってきた。
土曜日一番早い種目だった。待ち時間もなくアップしてすぐスタート台へ。
自分のペースでしっかり泳ぎ切った。
着順を見たらなんと3位だったのだ。半信半疑だった。
記録が掲示されていた。速い人が休んだのかもしれないが今回の大きなご褒美だった。
その後100m自由形、翌日はりレーと100m個人メドレーに出場。
タイムが3秒遅くなっていた。これも次の宿題だ。
そして大きな収穫は実力派の100m個人メドレーを目の前で見られたことだった。
上手い、速い、一歩でも近づけるように、これからの練習に励む目標ができた。









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2024-94 南部藩のルーツを求めて

2024年10月05日 | 日記
今日は一日中🌂。
盛岡歴史の会で三戸南部氏の居城見学。
野菜の収穫と出荷に追われる日々にとってはしばしの休息日になった。
しかもいつかは行ってみたかった南部藩のルーツの場所だ。

朝早く家を出て駅口8時出発。目的地は青森の三戸。
10時に聖寿寺舘跡に到着。そこは4haの広大な更地だった。2時間見学
室町時代、甲斐の山梨から移ってきた南部氏の祖先が最初に居城した場所に当たる。

まるで平泉の跡地を見るような感覚だった。
雨に濡れた草地を踏み歩きたくさんの杭のある場所で、当地の担当者から話を伺った。
この辺は🈩戸から九戸までの地名がある。戸は村の単位を指す用語だったようだ。
部下が放火して炎上。それで4キロ先の三戸に山城を築いたようだ。三戸城。
城の大きさは室町時代は江戸時代に比べ小さいものであるとのこと。
一帯は有数な場産地で当時、普通は1頭しか献上しないのが100頭、今でいうフェラーリ車を
差し出したぐらいの価値があったそうだ。
昼は老舗の清水屋旅館で昼食。
1時30分から三戸城へ。山城だが、そこには小さな城が復元されていた。
これでルーツがしっかり理解できた。
26代信直が九戸一揆を経て統一。九戸城に移り、その後30年かけて盛岡に居城したのが1633年。
そこまでの足取りを確かめられた貴重な歴史の旅だった。

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