みれいの近郊生活(ITI)

変えられる事も・変えずに済む事も重要

秋葉原通り魔事件1年

2009年06月08日 | Weblog
秋葉原通り魔事件から1年が経ちました。
この事件に影響を与えたとされる荒川沖の通り魔事件のほうは
公判が始まりました。
結果は秋葉原のほうが重大でも動機は荒川沖のほうが衝撃的なのか
も知れません。


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この機会に書いてみます。
●『不満を抱えているのは通り魔だけではありません』
  これほど大きく報道されないまでも
  ムシャクシャしてやったという事件はありますし、
  気が立っている人は街でも見かけることがあります。
  我慢にはおのずと限界があるので
  “不満を我慢する”だけでなく“不満を発散する”方策も必要
  なのですが…。
  (池田小や中央大の事例を考えると、不満を解決するために
   転職するというのは逆の結果につながることも)
●『人の命を大切にしないのは通り魔だけではありません』
  通り魔に殺されて死ぬ人以外にも、
  自ら死ぬ人は~年間3万人以上の年が10年も続いています、
  値段は安ければいい・税金も安ければいい・自分さえ良ければ
  いいという人が多くて低賃金・低福祉となり、失業が死につな
  がりかねないのが今の日本です。
  殺人の罪を償うのでない死には“もっと疑問を・異議を!”。
●『コミュニケーションが苦手なのは通り魔だけではありません』
  学校の授業ならともかく会社の仕事では会話の必要が多いので
  孤独に耐えているだけじゃ済まないのが難しいところです。  
  インターネットでのコミュニケーションはどの程度の役割を果
  たせるのでしょうか?。

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NHKは6月13日の番組で取り上げるようです。
「秋葉原事件から1年 人と、どうつながりたい?」[→]


放す所に麦が生えてる
▲ 米から麦への転作が進んでいる地域で
  アイガモ米のカモのスペースにも麦が生えてしまっています。

NHKの別の番組のページ[→]を見ると…
「... 当事者だらけの集まりだとなかなかこういう一般的な意見
 って出てこないですからね ...」
「... 相手と二度、三度と重なる話し合いなのではないでしょう
 か ...」
人が相手になると‘集まる’・‘話す’・‘つながる’のは
田舎は都会よりも不利なのでしょうかねぇ。
コメント
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