江戸時代に常陸国下館藩を治めていた水谷 勝隆は、
寛永16(1639)年に備中国成羽藩へ、そして寛永19(1642)年に備中国
松山藩へ移封となりました。
下館・成羽・松山の城下町の町づくりに携わったことになります。
現在、下館は茨城県筑西市に、成羽・松山は岡山県高梁市になって
います。
▽[資料]「岩瀬エリアの人口は約2万人」
平成の大合併で真壁町・大和村と合併して茨城県桜川市になる
以前の岩瀬の人口は約2万人でした。
△[資料]「高梁エリアの人口も約2万人」
平成の大合併で成羽町・川上町・備中町・有漢町と合併する以前
の高梁の人口も約2万人でした。
東京から数十km離れている下館や岩瀬では定期バス路線が全廃とな
っていますが、高梁では備北バスによる定期バスの運行が続いてい
ます。
▲ 「地方の駅から農山村へ」
バスは備中高梁駅の近くの高梁バスセンターから発車していま
す。
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寛永16(1639)年に備中国成羽藩へ、そして寛永19(1642)年に備中国
松山藩へ移封となりました。
下館・成羽・松山の城下町の町づくりに携わったことになります。
現在、下館は茨城県筑西市に、成羽・松山は岡山県高梁市になって
います。
▽[資料]「岩瀬エリアの人口は約2万人」
平成の大合併で真壁町・大和村と合併して茨城県桜川市になる
以前の岩瀬の人口は約2万人でした。
△[資料]「高梁エリアの人口も約2万人」
平成の大合併で成羽町・川上町・備中町・有漢町と合併する以前
の高梁の人口も約2万人でした。
東京から数十km離れている下館や岩瀬では定期バス路線が全廃とな
っていますが、高梁では備北バスによる定期バスの運行が続いてい
ます。
▲ 「地方の駅から農山村へ」
バスは備中高梁駅の近くの高梁バスセンターから発車していま
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たまに、日本全部の路線バスの路線図を見ることがあるのですが・・・。
それを見ると、バス停の数も多いですよね。
それだけ鉄道は不便な場所なのかもしれませんが。
高梁は岡山県の山あいの町ですが、
鉄道のほうは特急列車が約1時間おき・普通列車が約30分おき
に運転されていて東京都あきる野市とあまり変わりません。
東京一極集中により東京の交通事業者は‘利用者は多いのが当たり前’のような感覚になっていますが、
中国地方は首都圏とは対照的に過疎化が数十年間も続いてきたので対応策が蓄積されてきて、
少ない利用者でもある程度やっていこうとしているようにも思われます。