四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

三門館(埼玉県滑川町)

2017年11月19日 | 100名城以外の城館跡


城 名:三門館(みかどやかた)
別 名:和泉の陣城
形 態:館
時 期:不詳
指 定:―
遺 構:土塁・空堀
所在地:埼玉県比企郡滑川町大字和泉字三門1238付近

滑川町大字和泉字三門地内に、「三門館」(みかどやかた)と呼ばれた城館跡があるというので訪ねてみました。
場所は、八宮神社南の一帯というこで、土塁や空堀が遺るとのことでした。

土地の伝承では、五所五郎丸の居館と言われるも裏付けるものはない。また、毛呂太郎季綱が、武蔵国泉・勝田の
土地を賜ったという記録から毛呂太郎季綱の居館があったのではないか。しかし、鎌倉時代を通して毛呂氏の所領
であったと思われるも三門館や泉福寺との関係を示すものはないとのこと。詳細は不明ですが、何らかの城館があ
ったのは確かなようです

上の写真は、泉福寺から見た三門館跡です。左斜め上に向って走っている道路の先に八宮神社があります。
取敢えずは八宮神社を目指します。




八宮神社方向への道路です。




道路右側上が三門館跡のようです。




朱色の鳥居が見えます。八宮神社です。




鳥居をくぐり神社に向います。




八宮神社社殿  思ったほどは大きくはありません。




案内板(由緒書)
創建年代は不詳とあります。
神社境内前方には、中世の城址や、建久2年開山の泉福寺があるとあります。
三門館に関する情報でもあればと期待したのですが、残念ながらその記載はありません。




境内末社




境内敷地はかなりの広さがあります。ここに館があったのではと考えたくなります。




鳥居前方に祠があります。




左:鎌足大権現  右:羽黒山  が祀られている。
多分、多分ですがこの2基とも、ごく近くの別の場所に祀られていたものをここに移して並べて祀ったのではな
いかと勝手に推測しています。




鎌足大権現の石祠の側面には嘉永六丑年四月吉日と刻まれていますので、1853年のもののようです。
『鎌足権現(藤原鎌足)ごんげん様は足にご利益のある神様といわれて、古くから人々に親しまれてきました。
いつの頃からか草履を供える習慣ができました』
それにしてもどこに行っても「藤原氏」ですね。ここもやはり藤原氏の流れをくむ地なのでしょうね。




予め調べておいた地点から三門館跡とされる場所に。山と言おうか林と言おうか。
完全に藪状態です。




尾根上から東方向(実際には南東方向になるのですが便宜上東方向とします。以下それに合わせた方位で表現し
ます)に下る竪堀ですが、灌木や草、枯葉等で埋まっています。
これは下(東)から上(西)に向って撮った写真です。




堀底を下に向ってみましたが、落葉等で埋まっているように見えてもズブズブト入り込むし、弦が足に絡んだり
倒木があったりで中々進めません。堀底と堀の渕を行ったり来たりです。
ここ以外の竪堀でも同様な状況だったと思います。それ以前に竪堀を見つけるのが大変ですが。
この写真も下から上に。




先のほうに麓の民家の屋根が見えるのですが、足場の悪い堀底で滑り、バックやカメラ、被服が土だらけになって
しまいました。これ以上、藪状態の斜面の堀底や堀のふちをを歩くのは無理で、危険を伴いそうでしたので引き返
しましたが、引き返すのもこれまた大変でした。
写真では分りにくいですが中央部の灌木等が生えているところが空堀(竪堀)です。




尾根の上に戻りました。台地南方に延びる堀跡と土塁です。




堀跡と土塁と言ってよいのか分りませんが、とにかく堀跡と土塁です。




同上




堀跡と土塁の途切れたところで、若干傾斜のある平場に出ました。




出たところを左(東側)に行ってみました。ここからも麓に下りられますが、民家の裏庭に下りてしまいます。




平場




先ほどの平場の更に南側です。冒頭の写真の中央あたりです。南方から北方向に撮っています。
ここの段差のすぐ下が下り口のようです。




中央の明るくなっている所が下り道のようです。




石造物が倒れるようにして建っています。




明るくなっているところが道路です。




民家の脇に下りてきました。冒頭の写真の右側民家のところです。




道路に戻ってから、台地東側の谷津の回り込み、途中で下るのを断念した竪堀がみられるかと探しました。しかし
木が生い茂っていて確認できませんでした。写真左端に写っている家の裏当たりに下りてくると思うのですが。

三門館跡を散策するにあたり、いろいろな方のHPやブログ等で現場を確認してありました。しかし、写真で見た
のと、実際現場に来て見るとでは全く違います。
参考にした写真は、10年以上も前のもののようで、藪状態にはなっておらず、堀跡にしても土塁にしてもはっきり
とわかります。年月が経過すれば現況が変っていしまうのはどこにでもあることです、逆に、藪状態であったもの
が整備されて見やすくなったという城館跡もあるわけです。

この三門館跡と誰しもが対で訪問する泉福寺館については追って別記事にします。

散策日:平成29年(2017)10月30日(月)・31日(火)