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4回目の3.11

2015年03月11日 23時46分45秒 | 社会で学ぶ!

今日4回目の3.11は、6次化プランナーとしてご縁を頂いた

ジャム生産農家の皆さんの販促のお手伝いをしました。

地元藤崎デパート様にて、

「北東北ジャムフェスタ&ふれあいパン祭り」が開催され、

そのジャム部門のコーディネートを行ないました。


あいにくの雪と風ですごい寒いイベントになってしまいました。


4年前も夕方から雪が積もっていっていたそうです。

今日たまたま乗ったタクシーの運転手さんが

4年前の3.11のときのことを話してくださいました。


4年前のあの日、ご自分も自宅が心配で、

表示を「予約」にして帰ろうと思ったけれど、

お客様を降ろすとすぐそこに何人もの人が乗せてくれ・・と寄ってくるため、

帰りたくても帰れなかったこと。


おばあさんが手を上げているのでそこに停車したら

若者が「オレが先だ!」と言って乗ろうとした。

「悪いけど、おばあさんが先に手を上げて居たから・・・」と断ると

「乗車拒否するのか?二度とお前の会社のタクシーには乗らないぞ!!」

と言いがかりをつけてきたそうですが、

「それでも結構です」と言っておばあさんを乗せて行ったそうです。

「いくらかかってもいいので、家まで乗せていって欲しい」と言われ、

信号が止まって、どこもかしこも渋滞の中

何とか家まで送り届けたそうですが、

おばあさんには泣いて感謝されたそうです。


「若い人だったら、歩いて帰ることもできるけど、

 あの距離はおばあさんには歩けないものね~。」

と話された運転手さんに、まるで自分のことのように嬉しくなりました!


あの日・・・みんなが普段は歩かない距離を歩いたと思います。

雪が降ってきて寒い中を歩いたと思います。

でも、津波にあった人は歩くどころでもありませんでした。


幸い家に居た私は、原発のメルトダウンを知ることも無く、

ただただ余震におびえ、ガレキの山の家の中で過ごしましたが、

あの地震の中ではどれだけ恵まれていたか・・・。


もしもあのとき外出していたら・・・・

そう思うと、被災地に居たとはいえ、

恵まれた環境だったことに改めて感謝です。


震災のあの日・・・一人ひとりに「ドラマ」がありました。

生き残った人にも、亡くなられた方にも

一人ひとりのドラマがありました。


生きたくても生きられなかった方のことを思うと、

しっかり生きているか?>自分!!

と、3.11は自分を奮い立たせる日となりました。


未だに20万人以上の方が仮設住宅で暮らしています。

3.11の震災は決して4年前の出来事ではなく、

今も尚現実のことであり、過去のことではないのです。

被災された皆様にとって、

少しでも早く3.11が現実のことでなく、過去のこととなる日を待ち望みます。