今日4回目の3.11は、6次化プランナーとしてご縁を頂いた
ジャム生産農家の皆さんの販促のお手伝いをしました。
地元藤崎デパート様にて、
「北東北ジャムフェスタ&ふれあいパン祭り」が開催され、
そのジャム部門のコーディネートを行ないました。
あいにくの雪と風ですごい寒いイベントになってしまいました。
4年前も夕方から雪が積もっていっていたそうです。
今日たまたま乗ったタクシーの運転手さんが
4年前の3.11のときのことを話してくださいました。
4年前のあの日、ご自分も自宅が心配で、
表示を「予約」にして帰ろうと思ったけれど、
お客様を降ろすとすぐそこに何人もの人が乗せてくれ・・と寄ってくるため、
帰りたくても帰れなかったこと。
おばあさんが手を上げているのでそこに停車したら
若者が「オレが先だ!」と言って乗ろうとした。
「悪いけど、おばあさんが先に手を上げて居たから・・・」と断ると
「乗車拒否するのか?二度とお前の会社のタクシーには乗らないぞ!!」
と言いがかりをつけてきたそうですが、
「それでも結構です」と言っておばあさんを乗せて行ったそうです。
「いくらかかってもいいので、家まで乗せていって欲しい」と言われ、
信号が止まって、どこもかしこも渋滞の中
何とか家まで送り届けたそうですが、
おばあさんには泣いて感謝されたそうです。
「若い人だったら、歩いて帰ることもできるけど、
あの距離はおばあさんには歩けないものね~。」
と話された運転手さんに、まるで自分のことのように嬉しくなりました!
あの日・・・みんなが普段は歩かない距離を歩いたと思います。
雪が降ってきて寒い中を歩いたと思います。
でも、津波にあった人は歩くどころでもありませんでした。
幸い家に居た私は、原発のメルトダウンを知ることも無く、
ただただ余震におびえ、ガレキの山の家の中で過ごしましたが、
あの地震の中ではどれだけ恵まれていたか・・・。
もしもあのとき外出していたら・・・・
そう思うと、被災地に居たとはいえ、
恵まれた環境だったことに改めて感謝です。
震災のあの日・・・一人ひとりに「ドラマ」がありました。
生き残った人にも、亡くなられた方にも
一人ひとりのドラマがありました。
生きたくても生きられなかった方のことを思うと、
しっかり生きているか?>自分!!
と、3.11は自分を奮い立たせる日となりました。
未だに20万人以上の方が仮設住宅で暮らしています。
3.11の震災は決して4年前の出来事ではなく、
今も尚現実のことであり、過去のことではないのです。
被災された皆様にとって、
少しでも早く3.11が現実のことでなく、過去のこととなる日を待ち望みます。