3月6日ぴあ・ネット主催の講演会「地域で共にくらす べてるの家から吹く風」で、向谷地好生良さんの講演を聴きました。ぴあ・ネットは、女性やマイノリティな人権問題など、当事者とつながる活動をしておられるグループです。
この講演を通じて、わたしは「べてるの家」のことが少し理解でき、なにより「当事者研究」という言葉をはじめて知りました。そして「生きる」ことの当事者である「人」にとって、「障害をもつ、もたない」の境界線は限りなく太く広く、根源的には変わりのない課題を抱えてるいう感覚がもてる、その「入り口」に立てたような気がしました。
もちろん、現実は厳しく「意識のバリアフリー」はそう簡単に築けるものではありません。障害をもつ人と、そうでないと思われている人がともに暮らしているという点では実は島本町も同じです。子をもつひとりの母親として、保育所、小中学校を通じて普通学級に席を置いてみんなとともに学ぶ、欧米で「チャレンジド」と呼ばれる子どもたちの姿に触れてきました。
けれども「べてるの家」の「ノリ」は少し違っていました。たとえば「過疎の町でなんにもない。けれども病気があれば生きてゆける・・・」「治りませんように・・・おかげさまで病気です」という表現。そこに底なしの明るさを感じます。「安心してサボれる職場づくり」「昇る人生から降りる人生へ」「弱さの情報公開」「自分でつけよう自分の病名」「弱さを絆に」「手を動かすより口を動かせ」など、深く含蓄に富んだ「理念」が示されています。で「今日も順調に問題だらけ!」。
精神障害を体験された回復者数名が、浦河という北海道の小さな町の教会の片隅で「昆布の袋詰めの下請け作業を始められたのが1983年。「これは福祉ではなくビジネスである」という立ち位置ではじめられたそうです。「社会的な支援体制の貧しさや地域経済の弱体化が、精神障害を抱えながら生きようとする当事者自身の生きづらさと重なり合って生まれた起業精神」という表現が講演会資料にありました。
「○○さん、金欲しくないかい!」「欲しい!」といった当事者がお風呂に入りはじめたと向谷地さんはおっしゃいました。コロンボテクニック」と名づけ、質問を通して相手に考えさせる手法も紹介されましたが、これが実に興味深い、慈悲深い内容でした。
ケアマネージャー「効き目はありますかね。副作用は?」当事者「最悪です」ケアマネ「おぉ、ちゃんと現状を受け止めているね、素晴らしいです!いっしょに研究してみませんか?!」自分にとって忌まわしい経験が社会的に意義があるということに気づいてゆく・・・多くの人がこの気づきによって再生できる。
ケアマネ「あなたの今おしゃったことは、たいへん参考になりました。これは役に立ちます!ありがとう」自分自身の存在が家族や周囲の人びとに迷惑で害のある存在であると考えがちな当事者が、常に保護され管理される対象であったことから解き放たれる瞬間です。
「べてるの家」のある浦河に引越して来て、ここで暮らしておられる方も少なくないといいます。自分が「自分の苦労の主人公」になることで、研究的な関心、客観的な関心を自分に向け、自分が自分の支援者になることが自立(=仲間と補い合って)への一歩です。
精神的な障害を抱えてしまった人にとって、「自己管理」という「病の基本中の基本」に到達することの意味は大きく、感動的です。精神医療の分野において欠落していた部分であり、浦河の取り組みは世界的に注目されつつあると聴きました。凄いことだと思います。
薬の内容も病名も知らされず、家族や医師(ときに=薬)に任されて「管理されていた」当事者が、「自分に起きていることを認知」して「仲間とともに起こっていることを研究」する。体調管理、気分管理、考え方の癖などが理解できれば、自己管理しながら「少しは楽に」暮らしていけます。特に精神疾患の場合、既に手につけている「職」が本人を支えます。
「地域密着=ともに寂びれる」という宿命を負った北海道の僻地において、自分たちの取り組みが町に活力をもたらすものとなるかを考えて起業されたそうです。障害を抱えた人が、ひとりひとり自立の道を模索しながら、決して事業を大きくし過ぎないでやっていく。その「ひとり起業」を支援してゆくのが「べてるの家」だそうです。
地域の課題は地域にあり解決の道も地域にころがっている。「天地人」がそろって「必然」が起こります。浦河で起こっていることが他の地域で起こるとは限りませんが、生きづらさを抱える人が「べてるの家」を知ることによって再生できる可能性は感じます。当事者、家族、医療介護従事者の見学研修を受けておられるそうです。
身近な人が当事者になり、自分がどうやって手を差し伸べてよいものか悩む人の声を聴きます。絡まりあった糸がほどけないと当事者をますます追い詰めてしまうことにもなり、みんながそれぞれの生きづらさを背負い、不幸の主人公だらけになってしまう。
「べてる」の関連本はたくさん出版されています。一度ふれてみてください。ヒントがみつかるかもしれません。わたしは、講演会で手にした、実践的非援助論「技法以前~べてるの家のつくりかた」という本を読みます。奇跡のリンゴ・木村秋則さんのお話も収録されているそうです。
画像は春の比叡山(3月14日撮影)
この講演を通じて、わたしは「べてるの家」のことが少し理解でき、なにより「当事者研究」という言葉をはじめて知りました。そして「生きる」ことの当事者である「人」にとって、「障害をもつ、もたない」の境界線は限りなく太く広く、根源的には変わりのない課題を抱えてるいう感覚がもてる、その「入り口」に立てたような気がしました。
もちろん、現実は厳しく「意識のバリアフリー」はそう簡単に築けるものではありません。障害をもつ人と、そうでないと思われている人がともに暮らしているという点では実は島本町も同じです。子をもつひとりの母親として、保育所、小中学校を通じて普通学級に席を置いてみんなとともに学ぶ、欧米で「チャレンジド」と呼ばれる子どもたちの姿に触れてきました。
けれども「べてるの家」の「ノリ」は少し違っていました。たとえば「過疎の町でなんにもない。けれども病気があれば生きてゆける・・・」「治りませんように・・・おかげさまで病気です」という表現。そこに底なしの明るさを感じます。「安心してサボれる職場づくり」「昇る人生から降りる人生へ」「弱さの情報公開」「自分でつけよう自分の病名」「弱さを絆に」「手を動かすより口を動かせ」など、深く含蓄に富んだ「理念」が示されています。で「今日も順調に問題だらけ!」。
精神障害を体験された回復者数名が、浦河という北海道の小さな町の教会の片隅で「昆布の袋詰めの下請け作業を始められたのが1983年。「これは福祉ではなくビジネスである」という立ち位置ではじめられたそうです。「社会的な支援体制の貧しさや地域経済の弱体化が、精神障害を抱えながら生きようとする当事者自身の生きづらさと重なり合って生まれた起業精神」という表現が講演会資料にありました。
「○○さん、金欲しくないかい!」「欲しい!」といった当事者がお風呂に入りはじめたと向谷地さんはおっしゃいました。コロンボテクニック」と名づけ、質問を通して相手に考えさせる手法も紹介されましたが、これが実に興味深い、慈悲深い内容でした。
ケアマネージャー「効き目はありますかね。副作用は?」当事者「最悪です」ケアマネ「おぉ、ちゃんと現状を受け止めているね、素晴らしいです!いっしょに研究してみませんか?!」自分にとって忌まわしい経験が社会的に意義があるということに気づいてゆく・・・多くの人がこの気づきによって再生できる。
ケアマネ「あなたの今おしゃったことは、たいへん参考になりました。これは役に立ちます!ありがとう」自分自身の存在が家族や周囲の人びとに迷惑で害のある存在であると考えがちな当事者が、常に保護され管理される対象であったことから解き放たれる瞬間です。
「べてるの家」のある浦河に引越して来て、ここで暮らしておられる方も少なくないといいます。自分が「自分の苦労の主人公」になることで、研究的な関心、客観的な関心を自分に向け、自分が自分の支援者になることが自立(=仲間と補い合って)への一歩です。
精神的な障害を抱えてしまった人にとって、「自己管理」という「病の基本中の基本」に到達することの意味は大きく、感動的です。精神医療の分野において欠落していた部分であり、浦河の取り組みは世界的に注目されつつあると聴きました。凄いことだと思います。
薬の内容も病名も知らされず、家族や医師(ときに=薬)に任されて「管理されていた」当事者が、「自分に起きていることを認知」して「仲間とともに起こっていることを研究」する。体調管理、気分管理、考え方の癖などが理解できれば、自己管理しながら「少しは楽に」暮らしていけます。特に精神疾患の場合、既に手につけている「職」が本人を支えます。
「地域密着=ともに寂びれる」という宿命を負った北海道の僻地において、自分たちの取り組みが町に活力をもたらすものとなるかを考えて起業されたそうです。障害を抱えた人が、ひとりひとり自立の道を模索しながら、決して事業を大きくし過ぎないでやっていく。その「ひとり起業」を支援してゆくのが「べてるの家」だそうです。
地域の課題は地域にあり解決の道も地域にころがっている。「天地人」がそろって「必然」が起こります。浦河で起こっていることが他の地域で起こるとは限りませんが、生きづらさを抱える人が「べてるの家」を知ることによって再生できる可能性は感じます。当事者、家族、医療介護従事者の見学研修を受けておられるそうです。
身近な人が当事者になり、自分がどうやって手を差し伸べてよいものか悩む人の声を聴きます。絡まりあった糸がほどけないと当事者をますます追い詰めてしまうことにもなり、みんながそれぞれの生きづらさを背負い、不幸の主人公だらけになってしまう。
「べてる」の関連本はたくさん出版されています。一度ふれてみてください。ヒントがみつかるかもしれません。わたしは、講演会で手にした、実践的非援助論「技法以前~べてるの家のつくりかた」という本を読みます。奇跡のリンゴ・木村秋則さんのお話も収録されているそうです。
画像は春の比叡山(3月14日撮影)