午前中は「ふるさと島本案内ボランティアの会」の総会に参加、午後は議会だより編集委員会でした。わたしにとって、議会だより編集委員会はとても疲れる委員会です。一般質問に質問した議員の名前を記載していない島本町議会ですが、少なくともわたしの感覚では理解できないことです。
以下は愚痴のようなものでもあり、自らの無能をさらけ出す行為ですが、わたしからの視点で、議会だより編集委員会の一端をレポートしておきます。住民の目が届かない「コップの中の改善議論」がいかに恐ろしいか、知っていただきたいと思うからです。
過去一年の編集委員会において、共産党の議員が粘り強く「そろそろ、一般質問の名前を載せませんか?」「先送りせず検討しませんか」と折にふれ提案しています。わたしもまったく同感であると言い続けています。
しかし、その度に「本日のテーマとは違う」「逸脱している」「ルールを守ってください!」という委員長(自民党)の発言が繰り返されてきました。「検討事項」「合意に至らない」「引き続き検討事項とする」として延々と実現しないままです。なぜ、毎回のように逸脱した議論が繰りかえされるのか、もう少し誠実に考えられないものでしょうか。
本日、共産党から採決内容表示についての提案があり、わたしはそれを受けて「議会改革特別委員会が発足し、議会だよりについての改革を特別委員会で議論することは可能なのか」という内容で発言しました。休憩の間の質問としてでもよい、教えていただきたいと発言しましたが、最終的に委員長は「本題に戻ります!」「休憩はとっていません!」と随分ご立腹の様子でした。
さらに委員長は「議会改革特別委員会で議論する内容ではない」と断言、その理由を「改革の検討項目にあがっていない」とし、「議会だよりのプライドにかけて当委員会で検討すべきこと。プライドをもっていただきたい!」と発言しました。理解できません。さらに「各委員会には委員会の役割があります。ごちゃまぜにしないでください!」と激しく言われましたが、質問したのであって「ごちゃまぜにした」のではないと思います。
少なくとも「議会改革特別委員会における議会改革とはなにか」、委員会が一度も開かれていないのですから、議論はなにひとつはじまっていません。議会運営に関することのなかに「議会だより」=「住民への開かれ方」が入るのか、入らないのか・・・ちなみに、議会改革特別委員会の委員長も議会だよりの委員長が務めることに決定しています。
わたしは、当然、議会のあり方の一部として入れることは不可能ではないと考えますが、学習に基づいた理論で武装しておかないと、また不毛の議論に疲れることになります。それにしても、わたしがかつて一住民として議会事務局に電話をし「なぜ、一般質問に議員の名前を載せないのですか。違和感があり、不思議です」と伝えてから、すでに3年以上が経っています。
当時、事務局は「検討中」と答えました。また民主党のある議員が(それまでに特に面識なし)町でわたしに唐突に声をかけ「質問の時間など、いろいろ関連の課題がある」と説明しました。どうして電話をかけたのがわたしとわかったのか、いまだ謎ですが、その答えの意味もいまだに???です。
議員となり「議会だより編集委員会」に所属して一年、わたしの記憶では「前向きに」このことについて検討されたという印象がありません。ひとこと口にしようものなら「過去の経緯がある」「全員合意に至っていないということ!」などの委員長発言が繰り返され、まさに地雷を踏んだような雰囲気が漂います。「出て行ってもらいますよ!」と激しく恫喝されたこともあります。
「質問者の名前を載せないという理由にはどのようなものがあるのか」との質問にも「他の自治体で、実名を挙げたことにより、被害にあうというケースがあった」という以外に具体的に答えてもらったという記憶がありません。しかし去る12月から質問の内容がホームページに掲載されていますから「覆面効果」はもうありません。
聞き及ぶところでは「質問した議員の宣伝に使われる」「質問する議員としない議員で不公平」などがその理由らしいのです。ため息どころか、涙がでます。前号の「編集後期」にあった「政権交代が実現しました」「結果がどうあれ・・・」などの表現に意義があるという公明党の発言に、「嫌だという人がいれば、やめた方がいいだろう」という配慮で民主党の議員が自ら文章を削除したときには鼻血がでそうでした。
開かれた議会の基礎的な手段である議会だよりを編集する委員は、いったいどっちを向いているの?
議員の仕事は「尊い」。しかし議論の内容がその「尊い」に値するのか、議員報酬の金額に値するのか、重い一票に値するのかを思うとき、どっと哀しい疲れが襲ってきます。もちろん、一期目一年目のわたしですから頓珍漢な発言が多いことは認めます。が、正しさのセンスは経験で養われるものではありません!
手段や手続き論に終始しているようでは、議会の存在意義はありません!島本町民の良心が議会に反映できるよう、どうかみなさんのお声を「わたしの声」として積極的にお寄せください。議会は議員のものではなく住民のものです。
画像は円山公園の夜桜(4月5日撮影)
以下は愚痴のようなものでもあり、自らの無能をさらけ出す行為ですが、わたしからの視点で、議会だより編集委員会の一端をレポートしておきます。住民の目が届かない「コップの中の改善議論」がいかに恐ろしいか、知っていただきたいと思うからです。
過去一年の編集委員会において、共産党の議員が粘り強く「そろそろ、一般質問の名前を載せませんか?」「先送りせず検討しませんか」と折にふれ提案しています。わたしもまったく同感であると言い続けています。
しかし、その度に「本日のテーマとは違う」「逸脱している」「ルールを守ってください!」という委員長(自民党)の発言が繰り返されてきました。「検討事項」「合意に至らない」「引き続き検討事項とする」として延々と実現しないままです。なぜ、毎回のように逸脱した議論が繰りかえされるのか、もう少し誠実に考えられないものでしょうか。
本日、共産党から採決内容表示についての提案があり、わたしはそれを受けて「議会改革特別委員会が発足し、議会だよりについての改革を特別委員会で議論することは可能なのか」という内容で発言しました。休憩の間の質問としてでもよい、教えていただきたいと発言しましたが、最終的に委員長は「本題に戻ります!」「休憩はとっていません!」と随分ご立腹の様子でした。
さらに委員長は「議会改革特別委員会で議論する内容ではない」と断言、その理由を「改革の検討項目にあがっていない」とし、「議会だよりのプライドにかけて当委員会で検討すべきこと。プライドをもっていただきたい!」と発言しました。理解できません。さらに「各委員会には委員会の役割があります。ごちゃまぜにしないでください!」と激しく言われましたが、質問したのであって「ごちゃまぜにした」のではないと思います。
少なくとも「議会改革特別委員会における議会改革とはなにか」、委員会が一度も開かれていないのですから、議論はなにひとつはじまっていません。議会運営に関することのなかに「議会だより」=「住民への開かれ方」が入るのか、入らないのか・・・ちなみに、議会改革特別委員会の委員長も議会だよりの委員長が務めることに決定しています。
わたしは、当然、議会のあり方の一部として入れることは不可能ではないと考えますが、学習に基づいた理論で武装しておかないと、また不毛の議論に疲れることになります。それにしても、わたしがかつて一住民として議会事務局に電話をし「なぜ、一般質問に議員の名前を載せないのですか。違和感があり、不思議です」と伝えてから、すでに3年以上が経っています。
当時、事務局は「検討中」と答えました。また民主党のある議員が(それまでに特に面識なし)町でわたしに唐突に声をかけ「質問の時間など、いろいろ関連の課題がある」と説明しました。どうして電話をかけたのがわたしとわかったのか、いまだ謎ですが、その答えの意味もいまだに???です。
議員となり「議会だより編集委員会」に所属して一年、わたしの記憶では「前向きに」このことについて検討されたという印象がありません。ひとこと口にしようものなら「過去の経緯がある」「全員合意に至っていないということ!」などの委員長発言が繰り返され、まさに地雷を踏んだような雰囲気が漂います。「出て行ってもらいますよ!」と激しく恫喝されたこともあります。
「質問者の名前を載せないという理由にはどのようなものがあるのか」との質問にも「他の自治体で、実名を挙げたことにより、被害にあうというケースがあった」という以外に具体的に答えてもらったという記憶がありません。しかし去る12月から質問の内容がホームページに掲載されていますから「覆面効果」はもうありません。
聞き及ぶところでは「質問した議員の宣伝に使われる」「質問する議員としない議員で不公平」などがその理由らしいのです。ため息どころか、涙がでます。前号の「編集後期」にあった「政権交代が実現しました」「結果がどうあれ・・・」などの表現に意義があるという公明党の発言に、「嫌だという人がいれば、やめた方がいいだろう」という配慮で民主党の議員が自ら文章を削除したときには鼻血がでそうでした。
開かれた議会の基礎的な手段である議会だよりを編集する委員は、いったいどっちを向いているの?
議員の仕事は「尊い」。しかし議論の内容がその「尊い」に値するのか、議員報酬の金額に値するのか、重い一票に値するのかを思うとき、どっと哀しい疲れが襲ってきます。もちろん、一期目一年目のわたしですから頓珍漢な発言が多いことは認めます。が、正しさのセンスは経験で養われるものではありません!
手段や手続き論に終始しているようでは、議会の存在意義はありません!島本町民の良心が議会に反映できるよう、どうかみなさんのお声を「わたしの声」として積極的にお寄せください。議会は議員のものではなく住民のものです。
画像は円山公園の夜桜(4月5日撮影)