朝9時、阪急長岡天神駅に集合、レンタサイクルを借りて、NPO再生塾のアドバンスドコース・長岡京市Bチームの仲間とフィールドワークに出ました。バス路線に沿って乙訓寺、光明寺、長岡天満宮へ。しかし、暑い!「にそと工事館」を訪ねて模型や工事内容をおおまかに確認、阪急新駅設置現場を含む工事現場を実際に訪れました。遊び気分を装いつつ、実は、土木技術に詳しいコンサルタント会社の方や自治体職員の方の目線は、右折路線、既存のバス路線、運転手の様子、民家の車庫の様子など、わたしには想像もできないところに注がれていたようです。
午後からは、市役所で建設担当部局の職員のみなさんからヒアリング。夕刻4時には京都・烏丸御池近く、庵の京町家ステイ体験。6時には卒業生も含めた再生塾のメンバーが大集合。大合宿となりました。前から気になっていた町家が会場ということで、はりきって参加しましたが、想像以上に素晴らしい空間でした。木と紙と土の建築のぬくもりと外国人向けの便利なアメニティで本会議の疲れを癒し、近くのフレスコで買った惣菜と飲み物で盛り上がり、常任委員会に向けての英気を養いました。宿泊組は夜を徹して語り、そのまま出勤するようです。
それにしても、よくこのような町家をのこしてくださった!とアレックス・カー氏に感謝。主な利用者は外国人。宿泊施設ではなく貸家という位置付けということもあり、連泊される方が多いそうです。福島原子力発電所の事故により、外国客が激変している京都で、期間限定で特別に体験させていただきました。ここぞとばかりに隈なく見学。かつては白生地を扱う呉服屋さん、たいへん丁寧に使っておられ、従業員が住まいされていたという空間もそのままでした。、
実は、島本町にも東大寺に七つの釜戸がある古い貴重な農家が残っていました。不動産屋と何度かやりとりしたものの、慣れない議会活動であたふたしているうちに、ある日、更地になってしまった・・・という苦い経験があります。町家再生、活用の手法を、全国に広めようと各地を飛び回っておられる「庵」の女性プロデューサーとお話しする機会にも恵まれ、島本町の古い農家が素晴らしいものであったこと(落ち着いたら一度、内部を拝見したいと思っているうちにあっけなく解体)、持ち主の意向で、民家を保存するという条件なら5000万円以下であった(と記憶)と伝えました(土地は確か200坪規模)。
「小規模多機能施設」あるいは「落語の寄席」としてなんとか活用できないかとない知恵を絞っていましたが、当時のわたしには、どう動けばよいのかもわかりませんでした。ネットで町家再生の大工さんを検索したり、小規模多機能施設について調べたり、友人に声をかけたりしていました。女性プロデューサー(30代?)は「それなら、センスの良いレストランにできたかもしれない、ですね」とおっしゃり、確かにそうだな、と納得。地方を回って、その土地、土地の宝物を発見、再生されるお仕事に、楚々と誇りをもっておられると感じました。もっと早く会いたかった!
京都だから、外国人だから、財源があるからできたという考えは、この際、捨てなければ。奇をてらったイベントやB級グルメでの地域振興、宿泊施設のない町の観光事業には自ずと限界がある。社会的、文化的意義がある事業を創造しなければ、持続は不可能。島本町にも、まだまだ「お宝」はあります!
デジカメの充電器を実家に置いてきたらしい
で、画像は、山吹渓谷の落石です
わが町の「山吹渓谷」は「小・奥入瀬渓谷」です
残念ながらここ数年落石が目立ち、必ずしも通行をお勧めできない状況
6月に府の職員に連絡、現地視察を行いましたが
さまざまな事情により、抜本的な改善策がみつかりません
国土交通省が税金の使い道を変えれば(!)遊歩道として整備することは不可能ではない(?!)
夢と称して諦めるのか、実現を信じて考えるのか、選ぶのは後者です
午後からは、市役所で建設担当部局の職員のみなさんからヒアリング。夕刻4時には京都・烏丸御池近く、庵の京町家ステイ体験。6時には卒業生も含めた再生塾のメンバーが大集合。大合宿となりました。前から気になっていた町家が会場ということで、はりきって参加しましたが、想像以上に素晴らしい空間でした。木と紙と土の建築のぬくもりと外国人向けの便利なアメニティで本会議の疲れを癒し、近くのフレスコで買った惣菜と飲み物で盛り上がり、常任委員会に向けての英気を養いました。宿泊組は夜を徹して語り、そのまま出勤するようです。
それにしても、よくこのような町家をのこしてくださった!とアレックス・カー氏に感謝。主な利用者は外国人。宿泊施設ではなく貸家という位置付けということもあり、連泊される方が多いそうです。福島原子力発電所の事故により、外国客が激変している京都で、期間限定で特別に体験させていただきました。ここぞとばかりに隈なく見学。かつては白生地を扱う呉服屋さん、たいへん丁寧に使っておられ、従業員が住まいされていたという空間もそのままでした。、
実は、島本町にも東大寺に七つの釜戸がある古い貴重な農家が残っていました。不動産屋と何度かやりとりしたものの、慣れない議会活動であたふたしているうちに、ある日、更地になってしまった・・・という苦い経験があります。町家再生、活用の手法を、全国に広めようと各地を飛び回っておられる「庵」の女性プロデューサーとお話しする機会にも恵まれ、島本町の古い農家が素晴らしいものであったこと(落ち着いたら一度、内部を拝見したいと思っているうちにあっけなく解体)、持ち主の意向で、民家を保存するという条件なら5000万円以下であった(と記憶)と伝えました(土地は確か200坪規模)。
「小規模多機能施設」あるいは「落語の寄席」としてなんとか活用できないかとない知恵を絞っていましたが、当時のわたしには、どう動けばよいのかもわかりませんでした。ネットで町家再生の大工さんを検索したり、小規模多機能施設について調べたり、友人に声をかけたりしていました。女性プロデューサー(30代?)は「それなら、センスの良いレストランにできたかもしれない、ですね」とおっしゃり、確かにそうだな、と納得。地方を回って、その土地、土地の宝物を発見、再生されるお仕事に、楚々と誇りをもっておられると感じました。もっと早く会いたかった!
京都だから、外国人だから、財源があるからできたという考えは、この際、捨てなければ。奇をてらったイベントやB級グルメでの地域振興、宿泊施設のない町の観光事業には自ずと限界がある。社会的、文化的意義がある事業を創造しなければ、持続は不可能。島本町にも、まだまだ「お宝」はあります!
デジカメの充電器を実家に置いてきたらしい
で、画像は、山吹渓谷の落石です
わが町の「山吹渓谷」は「小・奥入瀬渓谷」です
残念ながらここ数年落石が目立ち、必ずしも通行をお勧めできない状況
6月に府の職員に連絡、現地視察を行いましたが
さまざまな事情により、抜本的な改善策がみつかりません
国土交通省が税金の使い道を変えれば(!)遊歩道として整備することは不可能ではない(?!)
夢と称して諦めるのか、実現を信じて考えるのか、選ぶのは後者です