今日は建設水道委員会の第1日目を傍聴しました。「人びとの新しい歩み」は平野議員が委員を務めています。平成22年度は、し尿処理課題に端を発した高槻市との広域行政勉強会再開(「合併を含めた」という文言を盛り込んで再開され、主なテーマが「合併」になってしまった)。JR島本駅西側地区・地権者を対象にした「まちづくり勉強会」の発足。中期的な財政収支見通しにおいて、平成26年度に売却(=埋め立て)を考えている2つの若山台調整池の問題(防災・減災の観点から埋め立て・売却しての土地利用に疑義あり!)など、重いテーマが多い年でした。
明日は3つの委員会の最終日。10月7日の本会議(後半)で9月議会が終わります。運動会・文化祭など行事の多い秋でもあり、また、長岡京市をテーマにした「持続するまちづくりと公共交通」の調査研究もはじまっています。今日は、過日、長岡京市の大阪成蹊大学・芸術学部の構内で発掘された埋蔵文化財の現地説明会に行ったときのことをUPします。この日は、昼の会食と午後の高槻市医師会主催の医療防災訓練への参加予定があり、ほんのわずかな滞在でしたが、思いもかけずに大きな成果がありました。
猛暑の中、道に迷いながら(方向音痴)歩いてたどり着いた現地でしたが、お蔭で「町の声」を拾うことができました。今年度を最後に移転が決まっていて、現在、在校生は4回生のみとのこと。まもなく開催される学園祭は今年が最後だそうです(校門横に学園祭の大きな看板がありました)。代って、当該地には、私立大学の付属校である立命館中・高校(1700人規模)が転入してくると知りました。最寄りの駅は、現在工事中の「にそと」高架下に開設される「阪急新駅」です。
過去には金属を扱う工場があったが移転(地元住民の反対があったとも耳にした)、跡地に大学が建ったものの、この度の移転となり(阪急沿線の相川駅方面へ?)、更地にして新たに立命館の中・高校の校舎が新築されることに。近隣住民の思いは複雑、とのことでした。大学の正門付近には送迎バスが止まっていました。中学・高校の生徒たちは、この閑静な住宅街を毎日のように徒歩で通学するのか(かなり賑やかなことになりそう)。一定の時間に集中してスクールバスが住宅街の一般道路を通ることになるのか。いずれにしても地元住民のみなさんは、さまざまに心配されているとのことでした。
ごくごく普通の住宅街に忽然と現れる大学、しかも京都府内なのに大阪成蹊大学であることにも驚きましたが、それがまた新たに別の学校になるとは・・・民から民への転売が頻繁に行われていること、その際には行政の介入が難しいということを確認しました。JR島本駅西地区の土地利用構想について、「農地を手放して、たとえば大学に売却したらなら、将来、民から民へ売却が行われる可能性があり賛成できかねます」というお声をいただいていますが、ご指摘いただいていたことを目の当たりにしたように思います。
長岡京期の醸造所跡や江戸期の上水道設備の遺跡はとても面白いものでしたが、近年の地層には、田の跡に工場、その跡に学校の運動場と素人目にもわかる状態でくっきり断面が露出していました。当該地が「農地」「工場」「大学」と姿を変えたという周辺の「聞き込み」と一致していて、非常に興味深い体験をしました。
現在「にそと&阪急新駅設置に関連する『換地』(土地区画整理事業が行われていると思われる)では、地域住民を対象にした丁寧なヒアリング調査が、民俗学的側面から行われているそうです。埋蔵文化財調査に並行して、古文書の調査や聞き取り調査によって、地域の伝承文化(祭りの行い方など)や土地の歴史の伝承が丁寧に行われ、複眼的な記録を遺す作業をされているそうです。財源や調査期間の制限があり、悠々とのどかな作業というわけでは決してなく、迫りくる期限までにまだまだ作業が必要とのことでした。
さて、島本町に比べて長岡京市はとりわけ大規模な自治体というわけではありません。人口約8万人、面積19.18㎢。京都、大阪間に位置する阪急ならびにJR沿線の都市であり、一種の類似団体ともいえるでしょう。島本駅西側は北摂の山並みを背景にしていますが、その山並みは、乙訓、大山崎町、長岡京市の西山に連なるものです。交通の利便性、水と緑の豊かさ、サントリーの存在など、「強み」と思える点に共通点が多いことがわかりました。
つまり島本町が誇るものの多くが長岡京市にはあり、おそらく大山崎町にもあり、水も緑も歴史・文化も、そして交通の利便性も、実は「独自性という点では非常に弱い」ということになります。ここをどう考えるのか。これからNPO再生塾で仲間と議論しながら、ここのところをつかみとろうとしています。難題です。
画像は、最近の地層です
田(濃い灰色、土色)、工場(薄い灰色、コンクリート層?)運動場(表面の部分)と
断面がくっきり明確に現れています
明日は3つの委員会の最終日。10月7日の本会議(後半)で9月議会が終わります。運動会・文化祭など行事の多い秋でもあり、また、長岡京市をテーマにした「持続するまちづくりと公共交通」の調査研究もはじまっています。今日は、過日、長岡京市の大阪成蹊大学・芸術学部の構内で発掘された埋蔵文化財の現地説明会に行ったときのことをUPします。この日は、昼の会食と午後の高槻市医師会主催の医療防災訓練への参加予定があり、ほんのわずかな滞在でしたが、思いもかけずに大きな成果がありました。
猛暑の中、道に迷いながら(方向音痴)歩いてたどり着いた現地でしたが、お蔭で「町の声」を拾うことができました。今年度を最後に移転が決まっていて、現在、在校生は4回生のみとのこと。まもなく開催される学園祭は今年が最後だそうです(校門横に学園祭の大きな看板がありました)。代って、当該地には、私立大学の付属校である立命館中・高校(1700人規模)が転入してくると知りました。最寄りの駅は、現在工事中の「にそと」高架下に開設される「阪急新駅」です。
過去には金属を扱う工場があったが移転(地元住民の反対があったとも耳にした)、跡地に大学が建ったものの、この度の移転となり(阪急沿線の相川駅方面へ?)、更地にして新たに立命館の中・高校の校舎が新築されることに。近隣住民の思いは複雑、とのことでした。大学の正門付近には送迎バスが止まっていました。中学・高校の生徒たちは、この閑静な住宅街を毎日のように徒歩で通学するのか(かなり賑やかなことになりそう)。一定の時間に集中してスクールバスが住宅街の一般道路を通ることになるのか。いずれにしても地元住民のみなさんは、さまざまに心配されているとのことでした。
ごくごく普通の住宅街に忽然と現れる大学、しかも京都府内なのに大阪成蹊大学であることにも驚きましたが、それがまた新たに別の学校になるとは・・・民から民への転売が頻繁に行われていること、その際には行政の介入が難しいということを確認しました。JR島本駅西地区の土地利用構想について、「農地を手放して、たとえば大学に売却したらなら、将来、民から民へ売却が行われる可能性があり賛成できかねます」というお声をいただいていますが、ご指摘いただいていたことを目の当たりにしたように思います。
長岡京期の醸造所跡や江戸期の上水道設備の遺跡はとても面白いものでしたが、近年の地層には、田の跡に工場、その跡に学校の運動場と素人目にもわかる状態でくっきり断面が露出していました。当該地が「農地」「工場」「大学」と姿を変えたという周辺の「聞き込み」と一致していて、非常に興味深い体験をしました。
現在「にそと&阪急新駅設置に関連する『換地』(土地区画整理事業が行われていると思われる)では、地域住民を対象にした丁寧なヒアリング調査が、民俗学的側面から行われているそうです。埋蔵文化財調査に並行して、古文書の調査や聞き取り調査によって、地域の伝承文化(祭りの行い方など)や土地の歴史の伝承が丁寧に行われ、複眼的な記録を遺す作業をされているそうです。財源や調査期間の制限があり、悠々とのどかな作業というわけでは決してなく、迫りくる期限までにまだまだ作業が必要とのことでした。
さて、島本町に比べて長岡京市はとりわけ大規模な自治体というわけではありません。人口約8万人、面積19.18㎢。京都、大阪間に位置する阪急ならびにJR沿線の都市であり、一種の類似団体ともいえるでしょう。島本駅西側は北摂の山並みを背景にしていますが、その山並みは、乙訓、大山崎町、長岡京市の西山に連なるものです。交通の利便性、水と緑の豊かさ、サントリーの存在など、「強み」と思える点に共通点が多いことがわかりました。
つまり島本町が誇るものの多くが長岡京市にはあり、おそらく大山崎町にもあり、水も緑も歴史・文化も、そして交通の利便性も、実は「独自性という点では非常に弱い」ということになります。ここをどう考えるのか。これからNPO再生塾で仲間と議論しながら、ここのところをつかみとろうとしています。難題です。
画像は、最近の地層です
田(濃い灰色、土色)、工場(薄い灰色、コンクリート層?)運動場(表面の部分)と
断面がくっきり明確に現れています